めんどくせぇことばかり 2019年12月
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『未踏の野を過ぎて』 渡辺京二

『男はつらいよ お帰り 寅さん』を見てきた。腰が抜けた。立ち上がれない。寅さんは、ここまで凄かったか。

満男は泉ちゃんじゃない人と結婚して、奥さんは6年前になくなっていた。一人娘はもうすぐ高校受験って感じかな。そうそう、靴の卸の会社に就職したんだよね。その会社を辞めて、小説家になっていた。物書きとして食っていけるかどうか、これからが正念場って感じかな。

泉ちゃんは、結局、母親から逃げるために海外にいる親戚を頼り、そちらに生活の基盤を移した。結婚して家族も持ったようだ。今は国連の仕事をしていて、その仕事の一環で日本に戻り、偶然、満男に巡り会う。

生きるっていうのは、基本的に苦しいものだ。思いのままにならない人生だ。何でも思いのままに生きているつもりの人がいたら、それは、なんか勘違いをしているのだろう。あるいはガキか。

『男はつらいよ』っていう映画は、それを大前提としている。生きていくっていうのはつらいもんだ。だけど、祖運な人生だからこそ、・・・。すべてはそこから始まる。

渡辺京二さんは言う。「忘れたのか」と。

満州にいた日本人民間人に、ソ連軍は襲いかかった。多くの日本人老若男女が、絶望の果てに死んだ。引揚げることが出来た者たちも、着の身着のままだった。原発事故どころではない。広島と長崎には、人口密集地を狙って原爆を投下された。爆心地にいた人々は、溶けた。屋内にいた者たちは、圧死した。火に焼かれた者は、やけどに苦しんだあげくに死んだ。それを逃れた者も、放射能からは逃げ切れなかった。日本中の都市が、空襲された。アメリカは銃後の人々をあえて狙った。インディアンを殲滅したときと同じだった。

アメリカとは前向きな関係を築くんだと言う人がいる。腹には一物を持ってのことと思っていたが、もしかしたら本当に忘れたのかもしれない。




弦書房  ¥ 2,200

ことば、生と死、仕事、身分、秩序、教育、環境など現代がかかえる歪みを鋭く分析
無情こそわが友
大国でなければ行けませんか
社会という幻想
老いとは自分になれることだ
文章語という故里
直き心の日本
三島の「意地」
つつましさの喪失
現代人気質について
未踏の野を過ぎて
前口上を一席 不況について一言 不況について再言
「あげる」の氾濫 街路樹エレジー 樹とともに生きる
樹々の嘆き 消え去った含羞 当世流のしゃべりかた
今のしゃべりかた再考 現代の反秩序主義 
覚醒必要な戦後左翼
前近代は不幸だったか
懐古の意味はどこにあるか 江戸時代人にとっての死
身分制は汚点か 主従関係を見直す 家業と家並み
私塾の存立
母校愛はなぜ育ちにくいか
ある大学教師の奮闘
佐藤先生という人


三陸は明治にも大津波が来て、何万という人が死んだという。関東大震災だって10万人死んでいる。その時は首都中枢が壊滅している。

そんな経験をした日本が、慌てふためいた。「日本は立ち直れるのか」と。東北の人々が、・・・ではない。東北三県の人々はよく苦難に耐えて、パニックを起こしていない。慌てふためいているのはメディアであり、災害を受けなかった人々だ。「放射能がうつる」とほざいた馬鹿もいた。

地震でも、津波でも、火山の噴火でも、台風でも、たやすく人が死ぬ。日本人は、それに耐えられなくなったようだ。そればかりではない。スイッチを押せば、快適な生活が向こうからやってくる。そんな日常でないと、“人間らしい”とは言えないかのようだ。

渡辺さんが、そんな世界に安住してきたからこの世の終わりのように騒ぎ立てることになると言った“人工的世界”がそれに当たる。

欧米ではペストが人の生き方を変えたという。子孫のために何かを残すのは無意味となった。将来のために今を我慢しても、その前に死んでしまっては元も子のない。今が大事。今楽しまなければ意味がない。

私たちの祖先は、生き残るために、慌てふためかず、今起きていることを受け入れて、助け合うことを選んだ。選んだと言うよりも、それ以外の選択肢はなかった。あまりにも自然災害の多い島だったからだ。

渡辺さんの言葉は重い。

《今回の災害ごときで動転して、ご先祖様に顔も受けできると思うか》

人工的な世界に安住してきたことが日本人の意識を貧弱にした。たしかにそうだろう。そりゃ結局、電気に担保された世界。石油に担保された世界。原子力に担保された世界。

寒い朝に人より早く起きて、かじかむ手に息を吹きかけながら火をおこし、家族のために部屋を暖めた人のことを思わずに、スイッチ一つで部屋が暖まることに意味を持たせることは出来ないだろう。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

米中貿易戦争『大局を読む』 長谷川慶太郎

年の瀬も押し迫ってきた。

今年は、大学卒業以来の教員という仕事を辞めた年。ある意味では、教員になった年に並んで、意義深い一年だった。それなりに、自分に向いた仕事だったと思う。そうは思うんだけど、仕事の方が勝手に変わってしまった。

「やってられるか!」

って思ってから、ずいぶん長い時間我慢した。あと一年我慢すれば定年退職だったけど、その最後の一年が我慢できず、早期退職となった。60歳を過ぎても、フルタイムでそのまま働いている人も多い。65まではそれが出来る。そのあとも、フルタイムではないが、働いている人もいる。・・・学校勤めでもね。

兄からは、「お前、時代に逆行してるぞ」って言われた。・・・たしかにそうだな。「うらやましいけどな」って言われると、ちょっと悪いような気もする。

仕事を辞めて、一線から退いた。おかしなもので、社会人であることに何ら変わりないのに、世の中のことは一線で頑張ってる連中に任せようってところがある。物事を端から見てしまうのだ。植木等じゃないけど、無責任な立場から世間を見る。端から見ると、以前とは違うことを考えてしまったりする。

米中貿易戦争ってのを端から見ると、“中国”もなかなかなもんだ”なんて思ったりする。以前なら、そういうことは思いもしなかったろうと思う。

いや、あの時に日本も、“中国”のようにのらりくらりと対応したらどうだったろう。ほら、アメリカが日本に、「大陸から一切手を引け」って、無理難題をふっかけてきた時。のらりくらりと、あーでもないこーでもないとふらふらしているうちに、なんだかあちらこちらから展開が変わってくることがあったかもしれない。どうしてそれが出来なかったかなってね。

“中国”には強みもある。ファーウェイの技術は高い。アメリカによる締め付けを受けているが、人がほしがる高い技術を持つ以上、やがて締め付けている方が苦しくなる。ナポレオンの大陸封鎖令と同じだね。

それから原子力発電だ。世界一の勢いで原発建設が推し進められているらしい。さすが共産党一党独裁国家だな。いずれは発電コストが下がって、電気料金も安くなる。IT化、AI化が進む中では人件費よりも電気料金の安さが決め手になるんだそうだ。

これらの強みは、展開次第では“中国”の運命を変えるかもしれない。




『大局を読む』    長谷川慶太郎


徳間書店  ¥ 1,760

ソ連邦の崩壊や日本はデフレからは脱却できないとすでに20年前に喝破
第1章 問題の本質を見誤るな!米中貿易戦争の深層
第2章 千載一遇のチャンス!日本が世界を導け
第3章 身の丈を超えた自己主張をする国々の末路
第4章 世界経済の波乱要因!不振のドイツと沈みゆくイギリス


ただし、“中国”がアメリカに明確な譲歩をしないまま抵抗を続けるのは難しいようだ。

経済の規模が違う以上、アメリカが返り血を浴びる覚悟を持てば、“中国”には打つ手がない。明確に敗北を認めれば、それは中国人にとって、アヘン戦争以来の屈辱と写るだろう。そうなると、習近平政権の権力基盤が一気に動揺することも考えられrという。恨みを買っているだけに、習近平の足下をすくおうとする奴らはいくらでもいるだろうからね。

のらりくらりと少しずつ譲っていても、この対立状態が続けば国内経済はどんどん落ちていって、失業が蔓延する。失業者が一億を越えたら、いったんでもいい時代を味わった中国国民は耐えられないだろう。そこで、習近平が尊敬する毛沢東のような手に打って出たら、つまり、大躍進や文革のような手に打って出たらどうだろう。

どうも、習近平には厳しい一年になりそうだな。

トランプってのは、その狙いとは裏腹に、思ってもみないところにおかしな効果を生み出すことがある。米中貿易戦争にしたって、最初に言ってたのは、対中貿易赤字の話だった。今は、アメリカの覇権に対する“中国”挑戦を打ちくじくってことに発展してるけどね。

たとえば、香港の反中デモだって、米中貿易戦争に勇気づけられている。まあ、それがいいかどうかは別にしてね。林鄭月娥が最初の条例案を撤回しても、デモグループは、今度は民主選挙を要求し始めた。

香港に隣接して、“中国”が武装警察を配備して圧力をかけたが、事態は変わらない。天安門事件を思い出しちゃうけど、習近平がもしもそれを選べばどうなるだろう。一国二制度は終わり、徹底した摘発が行われるだろう。それをやったら国際社会はどう反応するだろう。

国際経済における“中国”の存在感は、1989年とは比べものにならないくらい大きくなっている。それでも、第二の天安門事件を引き起こしてはばからないと言うことになれば、世界は“中国”から手を引くだろう。もちろん、米中貿易戦争を継続することすら出来なくなる。

さらに、支持率を落としていた台湾の蔡英文総統が人気を取り戻した。ちょっと前までは、ほとんど再選はないだろうと思ってたら、いつもまにか・・・。香港さまさまってことでしょう。

これらは、トランプが思い描いたことじゃなかったはず。いいんだか、わるいんだか。おかしな大統領だ。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

関八州から日和田山縦走

27日と28日が天気良さそうだったので、どちらか山に行きたい。27日は寅さんの封切りを優先して28日が今年の歩き納め。場所は、地元の奥武蔵の山にした。それも身近な越生、毛呂山、日高の山。完全にホームグラウンド。交通の便の関係で、高麗駅近くに車を止めて西吾野駅から山に入る。

歩き納めなんて、意識したことはなかった。だけど今年は、3月いっぱいで仕事を辞めた。人生に何度もない大きな転機。自治会長になっちゃったんで、なんだか半分仕事しているようなところもあるんだけど、大きな転機には違いない。

私が四六時中家にいると、連れ合いには迷惑な話だろう。おそらく、山をほっつき歩くのは、そういう点から言っても悪くないはず。なんて勝手に決めつけて、今年、山をほっつき歩いたのは60日を超えた。

多いのか少ないのか。でも、あんまり頑張ると体が疲れる。適当にテントで泊まって、ゆとりで歩く方がいいと思うんだけど、自治会長を終えたらそうしようかな。テントで泊まり歩くようになったら、連れ合いはどう思うだろう。・・・まあ、様子を見よう。

6時半過ぎ、まだ暗い西吾野駅から歩き出す。寒い。準備したが、ヘッ電の必要はない。まずは高山不動を目指す。北川を遡るように歩き、川を渡ったあたりが登山口。パノラマコースと名がつくが、それほど景色が広がるわけでもない。ただ二度ほど、高麗川の向こう側の山に日が当たるのを眺められるところがあった。上の山には冠雪が見える。雪があるとなると長沢背稜か。
IMG_5855.jpg (山間の小さな駅 この季節、この時間帯は寒い)

IMG_5856.jpg  (パノラマコースを登り初めてしばらくすると、高麗川の向こう側の山が赤く染まる)

IMG_5857.jpg (だいぶ体も温まる。ヤッケの下のフリースを脱ぐ) 

お地蔵さまの分岐あたりで日が当たり始める。日差しが温かいが、風がある。風当たりがいいたか場所に出ると、凍える。ここまで上れば高山不動までは平行移動。
IMG_5859.jpg (古くからの信仰の道なんだな) 

西吾野から1時間半ほどで高山不動に到着。ようやく凍えた手も温まった。階段上の不動堂がでかい。覆い被さってくるようだ。ここからも景色が広がっている。今日初めての富士山を見る。
IMG_5862.jpg (由緒は秩父平氏にさかのぼる) 

IMG_5861.jpg (今日初めての富士山) 

ここから関八州見晴まではひたすらの登り。見晴台には高山不動奥の院があり、登りがきついくらいの方がありがたみが増す。関八州見晴って言う名前も伊達ではない。東京方面を見ると地平が光っている。おそらく東京湾。その向こうは房総半島。安房、上総、下総、右に目を転じれば大山から丹沢の山々で相模、富士山ドカーンで甲斐、場所を変えれば筑波山で常陸、向こうに見える日光、赤城で下野、上野、ここは武蔵で関八州。
IMG_5863.jpg (関東平野 来年、いい年だといいな)

IMG_5865.jpg  (奥の院の祠と、向こうは武甲山)

IMG_5866.jpg (御前山越しの富士山)

IMG_5867.jpg  (武甲山と両神山)

IMG_5868.jpg (なんか年賀状みたい)
 
おむすびを一つ食べて先へ。

傘杉峠から黒山への道は入山お断り。大平山方面も入山お断り。もちろん台風19号の影響。そうそう、台風19号も忘れちゃいけない。台風の二日後に伊豆が岳周辺を、三日目に越生周辺を歩いたんだ。傘杉峠から黒山に下山して、ひどい崩落を越生町に連絡をした。今はどうなってるんだろう。そのうち歩いてみたい。

顔振峠からの富士山もきれいだった。結局この日、最後の日和田山まで、ずっと富士山と一緒だった。この間歩いた奥多摩の石尾根の富士山はでかかったけど、ここからの富士山も、またいい。最初は大岳よりも、御前山の背景にあった富士山が、次第に大岳よりになり、はては大岳を通り越して、大岳の左手に出る。移動する富士山。
IMG_5872.jpg (ここでは、富士山が御前山の左手に)

IMG_5873.jpg  (大岳山に近づく)

顔振峠上の雨乞い塚でおむすびを一つ食べる。
IMG_5874.jpg (関東平野の向こうに筑波山) 

阿寺諏訪神社を経て越上山に登る。景色がないので、いつもは通過していたんだけど、今日は登ってみた。越上山は久しぶりだ。これは「おがみやま」と読む。
IMG_5877.jpg (阿寺諏訪神社) 

IMG_5880.jpg (「ここから東京スカイツリーが見えます」ご親切にどうも)

IMG_5879.jpg  (お昼前後でこのクリアーさ)

IMG_5882.jpg (岩山なんだけど、景色がないのは残念) 

越上山を過ぎると毛呂山町の山に移る。向こうに下れば鎌北湖だ。この先は、つい最近歩いたばかり。少し行けば、大好きな見晴台がある。鉄塔の台だけが残る場所だ。今日の天気もいい。風は相変わらず強い。ラーメンを食べる。
IMG_5884.jpg (さっき登ってきた越上山)

IMG_5891.jpg  (富士山が大岳山に近づく)

IMG_5888.jpg (荷物を広げてお昼の準備)

IMG_5887.jpg  (見晴らしラーメン)

山並みに沿って奥武蔵グリーンラインという舗装された林道が走っている。道は時々グリーンラインに下りながら南下する。スカリ山、観音ヶ岳は狭い山頂ながら、それなりに展望が楽しめる。
IMG_5895.jpg (愛宕山からの富士山 ついに大岳山の左側に) 

山並みは物見山、最後に日和田山で尽きる。しかし、最後の日和田山は、305mの低山ながら、今日の行程の中でも一番山頂らしい山頂と言うべきか、それなりの品格がある。さらに10分ほど下には金刀比羅神社があって、ここが絶好の見晴台。
IMG_5897.jpg (そこが日和田山山頂)

IMG_5898.jpg  (午後2時近くでこのクリアーさは初めて)

IMG_5900.jpg (この日最後の富士山 一日どうもありがとう)

IMG_5901.jpg  (金刀比羅神社まえの見晴らし 日高の町がいい)

IMG_5903.jpg (鳥居の向こうに巾着田) 

この日は人が少なかったが、ここだけは別。2時過ぎ、私が下山する時間になっても、これから山頂を目指す人と何度もすれ違った。

さて、明日は家中の窓を拭く。

この日歩いたのは、以下のようなコース
関八州から日和田山の地図 
 




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『3分クッキング 野菜たっぷりおかず』

子どもの頃、うちの畑は祖父母と母がやっていた。

休みの日は、父も鍬を振るった。畑の手伝いは好きだった。鍬の振り方は、祖父から習った。幾畝も掘り返すにはコツがある。最初、力任せに鍬を振るう私を、祖父母はおかしそうに笑いながら見ていた。草をむしるのは嫌いだった。嫌というほど、蚊がよってくる。なぜか祖母は蚊に喰われても平気だった。第一、寄りつく蚊も少ない。

祖母は気がつくと草をむしっていた。だから、腰は90度を超えて曲がっていた。死ぬまでずっと草をむしっていたような印象がある。

野菜嫌いの子どもがいるそうだけど、野菜嫌いだとその分腹がへるんじゃないだろうか。出されたものを全部食っても腹がへってる子どもの頃、人の好き嫌いは私の幸せくらいに思ってた。

ある日、学校から帰って、腹がへっていた。戸棚から何からあさっても、すぐに食えるものがない。裏の畑に行ったら祖母が草をむしっていて、すぐ食えるものがないか聞いた。祖母は、樽に大根が漬かってると教えてくれた。それを取ってきて縁側に座り、武甲山を眺めながら、ガリガリかじった。

1960年生まれだから、世の中がどんどん豊かになっていった。食い物も良くなった。私は秩父なので、子どもの頃は物流が悪かった。入ってくる鉄道は熊谷方面から秩父鉄道だけだったのが、小学校4年の時に飯能方面から西武鉄道が乗り入れた。トラックによる輸送にしたって、峠を越えずにトンネルをくぐって往来できるようになった。だから豊かさを享受できるようになったのは、おそらくよそよりも少し遅かっただろう。

戦争の時代を知ってる人には及びもつかないが、ちゃんとご飯が食べられるように、いい仕事に就きたいと思ってた。

兄が二人いて、油断をするとすぐおかずがなくなった。泣くと、結婚前の叔母がおかずを回してくれた。そして言われた。「おまえが早く食わないからだで」って。肉なんか出た日には、殺気だった。小さい私にも行き渡るように、母がさらにわけてくれても、油断は禁物だった。

思いっきり肉が食いたい。そう思い続けた上の兄は、大人になって肉食い妖怪に変化してしまった。




角川SSCムック  ¥ 1,320

この1冊を活用すれば、無理なく野菜たっぷりの食生活が実現します
野菜たっぷり人気おかず
主菜になるサラダ&スープ
人気野菜のおかず
春・夏・秋~冬の野菜たっぷりおかず
野菜が主役の副菜


妖怪化することは免れた私も、かなり肉に傾いた食生活を続けてきた。人生の終盤を意識するようないい歳になって、最近、とみに野菜が食いたい。肉も食いたいが、野菜がうまいと思う。肉もうまいけど、野菜があってこそ肉もうまい。

野菜をいつも余分に買っておく。気取ったものを作るつもりもないんだけど、野菜がたっぷりあると安心する。

昨日もそうだ。夕食の献立を考えていた連れ合いが、行き詰まった。・・・今ある野菜を確認し、ポトフにした。その残りは、今日の昼、カレーにして食べた。

さてこの本、キューピー3分クッキングの永久保存版シリーズから、『野菜たっぷりおかず』。

料理の本って言うのは、それを見て、同じ料理を作るって使い方ももちろんあっていい。だけど、もっといいと思うのは、その料理のを知っておくことで、冷蔵庫や納戸の食材を見て、以前本から仕入れた料理の知識から、なんかピンとひらめくものがあるんだよね。

「こうにすれば、うまいものが出来るんじゃないか」ってね。

ちょっとくらい足りないものがあったってかまやしない。そのうち面白い発見もあってね。豆乳と重曹を使って、豆腐がグズグズになる湯豆腐をやったのよ。湯豆腐は、それはそれで十分うまかった。それがね。私と連れ合いで、油揚を重なって買ってきちゃって、とりあえず入れたんだ。湯豆腐に。そしたら、油揚が豆腐以上にグズグズになって、ポン酢で食うとうまいことうまいこと。そこにももちろん、白菜をたくさん入れてたけどね。

今日は連れ合いが牛丼を作っている。どちらかといえばタマネギ丼といった方がいいくらいな奴だけどね。

そうそう、妖怪に変化した兄は、今は年を取った憎くい妖怪になっている。「早く人間になりたい」とは。思っていないらしい。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『歴史への遺言』 渡部昇一

渡部昇一さんが亡くなって2年半か。

実は、渡部さんには大恩がある。私は意識して人を近寄らせないようなところがあって、同時に自分から人に近寄っていくのが嫌いだ。もちろん、必要があればする。しかも、自分で言うのもなんだけど、人の間合いに入るのがかなりうまい。でも、平素はそれはしない。

だから必然的に、私の師は本であった。

高校の頃から左翼系の思考に引っ張られた。だんだんいい歳になってきて、行き詰まった。暗中模索から抜け出せたのは、渡部昇一さんの本のおかげだった。だけど人間関係もあって、そちらの組織と縁を切るまでには、また時間がかかったけどね。渡部さんの本を、渡部さんを師と仰いでもう四半世紀になる。

編集後記の最初にある。
『渡部昇一先生は日本を愛し、日本人であることに強い誇りを持っていた。それだけに、戦後GHQ(連合国軍総司令部)の手で植え付けられ、左翼マスコミによって広められた「日本罪悪史観」を見過ごすことができず、そうした歪んだ見方を正すべく、長い間、「日本の主張」(いいかえれば、日本人として知っておくべき歴史の真実)を繰り返し説いて止むことがなかった。』

そう、まさに私は、GHQの手で植え付けられ左翼マスコミによって広められた「日本罪悪史観」に踊らされた。分別のつくいい歳になって行き詰まった頃は、とても大変だった。歴史教員だからね。いくらイデオロギーで飾り立てようと、嘘は嘘。渡部さんが、そんな「日本罪悪史観」を見過ごすことが出来ず、日本人として知っておくべき真実を繰り返しといて止むことがなかったおかげで、私は本当のことを知る勇気が持てた。


『歴史への遺言』    渡部昇一


ビジネス社  ¥ 1,650

歴史というものは虹のごときものである。近くによれば、その正体は水玉にすぎない
第一章 「重要史書」解読
「リットン報告書」は日本を批判していない
満州国は日本の傀儡国家ではなかった
東條英機「宣誓供述書」はマッカーサーの証言と一致する
第二章  日本のこころ
「古事記」は神話と歴史が地続きであることを証明している
「令和」命名者・中西進氏の誤謬
日本文化は自然に感謝する文化である
第三章  歴史の見方
歴史は「虹」に似ている
朝日人・杉村楚人冠は「朝日」の体質を見抜いていた
団体が変わっても不動だった「天皇」の本質
真の戦闘者・徳森蘇峰


それなりに人間関係を作ったから、それからも苦しかった。言い合いにもなり、飲みに行っては皿が飛んだこともある。人間関係はどんどんちぎれた。組織を抜けるまでにはさらに時間がかかった。それなりの責任を果たして、抜けた。残ったのは、イデオロギー抜きで付き合える関係だけだった。

イデオロギーを捨ててからは、歴史の授業は、とてもやりやすくなった。本当のことを言っていればいいんだから。だけど、学校ってところは、ここのところ日教組の力は弱まっているものの、色合いとしては、いまだにリベラルが強い。日本史の教科書なってひどいもの。はっきり言って、嘘が書いてある。

なぜそれが嘘と言えるのか。・・・例えば、一番わかりやすい例の一つが、《日本は無条件降伏した》ってやつ。生徒にポツダム宣言の本文を提示して、それを否定した。

“あちら”の方から、「授業を見せてくれ」というのもあった。もちろん見せてやった。何にも言わずに帰って行った。その後も何度か、「授業を見せてくれ」と言ってくる“あちら”の方がいたが、それ以降は、「ただで?」とお聞きすることにした。こちらから見にに行ってやろうかと思ったが、めんどくさいからやめた。

こっちからは一切動かなかった。正味で、授業を参考にさせて欲しいという若い人もいた。請われれば応じ、どういう風に授業を展開すればいいか語り合った。質問されるのは、だいたい専門の世界史についてだったが、それは大変楽しい時間だった。年齢差は25歳くらいあったと思うが、ほぼ同じ地平でやり合えた。

教員として歴史の授業をしていた時は、とにかく歴史を面白いものと捉えられるように教えることを心がけた。“歴史は虹のようなものである。それは近くによって、くわしく見れば見えるというものではない。近くによれば、その正体は水玉に過ぎない。”・・・だから、ほらほら、こっちに来て、ここから見てみ。ほらあそこ、虹が出てる。

私の声は大きくない。それほど多くの人の耳には届かない。でも、きれいな虹が見られるようになった奴も、何人かはいるかもしれない。

渡部昇一先生のおかげです。


 


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『学校に入り込むニセ科学』 左巻健夫

まったくマスコミってのが質が悪い。

とにかく彼らは声がでかい。ものすごく遠くまで声が届く。多くの人の耳に届く。何度も何度も届く。これが特にNHKあたりになると、頭の良さそうな、かつ品の・・・表面的には良さそうな人たちが、繰り返し繰り返し言う。

この本の著者、左巻さんも言う。《日本の教育の歴史を見たとき、近年特に目立つのは、社会科学・歴史認識の分野での事実の軽視ないしは歪曲である》

嘘を信じ込ませることにも、嘘を信じ込まされることにも、日本人は慣れている。みんなと同じように考えていればとても楽だ。だから私は口をつぐまされ、学校をやめることになる。やめさせられたわけじゃない。窮屈になった。窮屈なのが、とてもいやなだけだ。

それはともかく、あからさまな事実の軽視や歪曲を見抜けない方もどうかしている。教育現場にもそういうのがいた。一般的傾向としては、若い人ほどそうだった。

『学校に入り込むニセ科学』という題名に、私はてっきり二酸化炭素排出による地球温暖化の話を書いている本かと思って読んでしまった。それは取り上げられてなかった。ちょっと残念だった。

理科教育の世界にも、そんなイカサマ科学が入り込んでいるという。理科の先生も見抜けない人が少なくないんだそうだ。著者の左巻さんは、「教員も一般の大人に過ぎない。一般の大人にもある割合でニセ科学を信じてしまう人たちがいるのと一緒だ」と言っている。だけど、教える立場だろう。それなりの責任はある。

嘘を教え、それによって大きな損害を被らせ、または世間に迷惑をかけるようは羽目に陥らせておいて、「私もだまされました」じゃ無責任というもんだ。「鬼畜米英」と教えていた教員が、そのまま教員で居続けたのと同じか。




平凡社  ¥ 924

科学的な根拠はなく教員や生徒の「善意」を利用して勢力を広げるニセ科学
第1章 ニセ科学はなぜ危険か
第2章 ニセ科学に危機感を持った「水からの伝言」
第3章 学校や環境活動に忍び込むEM
第4章 学校にニセ科学を持ち込んだ右翼教育団体
第5章 脳をめぐるニセ科学
第6章 食育をめぐるニセ科学
第7章 子どもたちを原発の旗振り役に
第8章 他にもいろいろニセ科学
第9章 ニセ科学にだまされないようにするために


学校の先生だって生徒だったときがあるわけで、その頃は大半が優等生で、教科書の内容をよく覚え、テストで言い点数を取って親を喜ばせてきた人たちだ。育ちがいいと言うことだ。

彼らは善意というものを疑わないで育ってきた。ニセ科学は、そういう先生の素直さにつけ込んでいくんだそうだ。ニセ科学は、教育こそが自分たちの主張拡大の最良の手段になることをよく知っている。そして、そういう素直な先生を通して、多くの子どもたちへの浸透を図るんだそうだ。

私のことを「育ちがいいと思ったら・・・」と言った校長がいた。「思ったらなんだ」とは言い返していない。教員になってしばらくして、地元秩父のお祭りに帰ったとき、いろいろと迷惑をかけた女の先生に挨拶に行った。先生は依然として母校に勤務しておられた。「あなたのような元気な子がいなくなった」と、目を細めて頂いた。

高校時代、今の高校生にはあまりいないくらい“元気”だった私も、基本的には素直な方に分類されて間違いない。だけど、扱いを間違えると抑えが効かなくなるから、人は私に近づくのを躊躇する。とっつきづらいのだ。かつ、人から教わることが嫌いなので、こそこそ隠れて、とにかくよく本を読んだ。人から言われたくらいじゃ動かない。

学校の先生でも、若い人は読書量が少なすぎる。教科書に書かれていれば、教えちゃう。私は教科書に書かれていても、自分のものになっていなければ教えない。

それにしてもニセ科学。なんだこれ?どうしてこんなことを教室で取り上げちゃうの?

《水からの伝言》なんて、学教の先生が本当に信じちゃうの?水に感情があって、それによって結晶が変化する?・・・馬鹿じゃないの。《EM》ってのも、もう最初っから詐欺まがいって分かりきってる。相手にする方がおかしい。

日本人は本質から遠いところで物事を判断することがあるからね。そういうことにならされちゃうと、馬鹿げた結末に続く道に足を踏み入れちゃうことがあるんだよね。






テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

自己実現『未踏の野を過ぎて』 渡辺京二

“自分らしく” “自分らしさ”

どれだけの若者が、この言葉に苦しめられているだろう。ありもしないものを言葉にすることを求められても、そりゃなんとも言えるわけがない。本来は、そんなこと言葉にするまでになく、顔も違えば声も違う。背の高さも違うし、好きな食いもんも違う。ものの考え方や行動様式の違いは他人から見て分かるもので、そりゃ、「私はこういうもんでございます」と皿の上にのっけてお出しするようなものではない。

それを、「自分らしさは何?あなたらしさはどこにあるの?」と問うのは、腹に何らかの企みを隠しているからだ。今の世の中がまさにそう。

「子どもたちには無限の可能性がある」

この言葉も罪深い。その可能性を奪ってはいけないと言う。親の仕事を継げなんて、こりゃとんでもないことだ。それを子どもに期待する親は最低と言うことになるな。親の仕事を継いでしまった子どもは、自らの無限の可能性をドブに捨てた愚か者と言うことだ。

だけど、可能性って言うのは、「できるかもしれない」ってことで、出来るという意味ではない。無限の可能性と言った場合、潜在的発展性と言うことで、つまりは「出来ないとは言い切れない」という程度のこととで、そんな蜘蛛の糸をつかんで極楽を目指すようなことに子どもたちを駆り立てるのに、悪巧みがないはずがない。

自分をひけらかすことは恥でした。そういうことを避けて、私たちの世代は生きてきました。そんな私たちが今の若い人たちを見て、あまりの明け透けさに、・・・。

実は最近、実際にそんな場面に出会いました。若い人の結婚式でのことです。近しい人でしたので、二次会まで付き合うことになりました。新郎新婦、両方の友人たちの明け透けなこと。数人いた私たち同様、その親世代は目を白黒させてしまう始末。

「若い人はいいわねぇ」というご婦人の言葉の背景には、そう振る舞うことの出来なかった自分の世代、それを恥として避けてきた世代への悔恨が感じられた。だけどそうか。この若い人たちは、私にはどこか可哀想に、哀れに思われた。




弦書房  ¥ 2,200

ことば、生と死、仕事、身分、秩序、教育、環境など現代がかかえる歪みを鋭く分析
無情こそわが友
大国でなければ行けませんか
社会という幻想
老いとは自分になれることだ
文章語という故里
直き心の日本
三島の「意地」
つつましさの喪失
現代人気質について
未踏の野を過ぎて
前口上を一席 不況について一言 不況について再言
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今のしゃべりかた再考 現代の反秩序主義 
覚醒必要な戦後左翼
前近代は不幸だったか
懐古の意味はどこにあるか 江戸時代人にとっての死
身分制は汚点か 主従関係を見直す 家業と家並み
私塾の存立
母校愛はなぜ育ちにくいか
ある大学教師の奮闘
佐藤先生という人


著者の渡辺京二さんが、この本の『現代人気質について』と名付けられたエッセイ、これは精神科医の方々に招かれての講演を、そのままこのエッセイ集に載せたもののようだが、その中で今の社会でその重要性が取り上げられている《自己実現》について発言している。

「欧米人が自己主張、言いかえれば自分を宣伝できない人間を阿呆とみなすことはよく知られて事実ですが」とおっしゃってるけど、まさしく私たちの世代まではそうでした。でも今では、日本でもそれが、つまり自分を宣伝することが、自分を顕示することが美徳になったんだな。

“自分らしさ”を探しに出かけたまま道に迷った若い人は、ただ、人生を棒に振るために生まれた来た愚か者として年老いていきます。無限の可能性を信じて都会を目指した若者が底辺にくすぶってしまったとしても、それは本人が低脳だったと言うだけで、無限の可能性をあおった者にはなんの責任もないわけです。

おお、今まさにラジオのお姉ちゃんが言っている。「LGBT含めすべての人が夢に向かって自分らしさを実現できるように」って、小児性愛嗜好者が自分らしさを実現したらどうするんだ。

渡辺京二さんの言葉を借りれば、《平凡に対する嫌悪》。これは質が悪い。

私のお母さんは恋愛もせずお見合いでお父さんと結婚して、子どもを産んで、それを育てるだけで一生を終えてしまった。このお母さんの一生を娘が”不幸な一生”と考え、そんな一生はいやだと考える。自分らしく生きようと、無限の可能性を追求しようという若い人は、それが自分の傲慢だとは気がつかない。

平凡ながら人としての務めを果たし、二人仲良く子どもを育てた。

これがすべてだ。もしそのあとに、自由になる時間とちょっとした経済力が残されていれば、完璧な人生におまけがついたと言うことだ。

そういう人生を可と出来ず、自分らしく、無限の可能性を追い求める人は哀れだ。イチローはそういう人生を可とした上で、彼方の夢を追い求めるのではなく、今の自分を少しずつ改善して、結果として果てしなく遠くにたどり着いたのだ。




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『大人の運動』 中野ジェームズ修一

この間、奥多摩の鷹ノ巣山に登ったときのこと。

奥多摩駅を6時15分に発車する峰谷行きのバスに乗った。このバスに乗るために、私は4時に起きた。暗い中、車で山越えをして奥多摩に向かった。バスの乗客はもう一人いた。引き締まった、筋肉質の若者だった。バスの終点で二三言葉を交わしたにすぎないんだけど、ザックもウェアも新しい。私みたいに普段着じゃない。もともと、何かしらのスポーツをやっていて、最近、山の魅力にとりつかれた感じかな。

歩き出しは私が先。ただ、ものの15分で追い越された。トレランの人たちとは違うが、歩きのスピードが速い。そのくらいの早さで歩けないことはないが、すぐ潰れてしまう。林道のはるか先を歩き、やがて角を曲がって見えなくなった。

その角の手前あたりまで来ると、そこは分岐だった。左に折れると山道を越えて浅間尾根のとりつきを目指すことになる。彼は直進した。ずっと林道を歩いて浅間尾根を目指すコースだ。遠回りだし、もちろん時間的にもロスがある。あのもの凄いスピードなら、それでも私より先に尾根にとりつくかもしれないが。私は左に折れて山道に入った。

道は何度か林道と交差して上に進む。最後の林道からの登山口で身なりを整えて山道に入る。その際、ここに向かう林道を振り返っても彼の姿はない。先に進んだのか。

山道に入り、浅間尾根のとりつきを目指す。取り付きには鳥居があり、その先に浅間神社が見えた。写真を撮って、いざ進もうかと思ったとき、後ろから追いついた来た人がいた。先に行ったかと思った彼だった。林道の先の様子を見てきたと行ったが、やはり分岐の標識を見落としたか、地図で確認することを怠ったんだろう。

彼は浅間尾根の結構な登り坂を、まるで私を置き去りにするかのようにして登って行った。この日彼を見たのは、このときが最後だった。

さて、『大人の運動』って本だけど、“大人の運動”って言葉におかしなことを想像するのはやめなさい。そんな本じゃない。著者、中野ジェームズ修一さんのミドルネームにおかしな妄想をたくましくするのはやめなさい。不謹慎だ。

でもなぁ。運動は嫌いじゃないけど、若い人の圧倒的な体力を見せられちゃうとなぁ。いくらなんでも、あそこまではなぁ。・・・なんて泣き言を言っても始まらない。継続こそ力。行けるところまで、行ってみよう。


『大人の運動』    中野ジェームズ修一


徳間書店  ¥ 1,518

話題のフィジカルトレーナー中野ジェームズ修一氏の本 医者いらずの定年後を
運動の基本
ロコモとは ストレッチとは 筋肉と負荷 運動習慣
生活の中に取り入れやすい下半身強化の基本エクササイズ
有酸素運動
有酸素運動とは 
ウォーキング
ランニング
ステップエクササイズ
悩み別 筋トレ&ストレッチ
腰痛 肩こり 膝痛 転倒 ポッコリお腹
趣味別 ストレッチ
テニス ゴルフ 水泳 登山 ウォーキング ジョギング
生活習慣
食事 入浴 睡眠


《もし、運動を錠剤の中に詰め込んでしまえるならば、その錠剤は、この世の中で、最も広範囲に処方され、恩恵をもたらす薬となるだろう》ってのは、アメリカの著名な研究者の言葉だそうだ。つまりは運動なみに効果のある薬は、現在のところ存在していないと言うことだな。

薬を飲むのって、まあいろいろあるんだろうけど、血圧が高いから飲んでるって人、結構いるな。糖尿の薬を飲んでるとかね。それからいろいろな目的を持ってサプリメントを飲んでいる人なんかもいるよね。

不調を改善するために薬を飲む。疾病の進行を遅らせるために薬を飲む。疾病の予防のために薬を飲む。この“薬を飲む”のところを、全部”運動をする”に帰られるわけです。不調を改善するために運動する。疾病の進行を遅らせるために運動する。疾病の予防のために運動する。

それでいて、運動に勝る薬はないって言うんだからね。しかも、運動なんて金がかからないもんね。

この本の正式な題名は、『定年後が180度変わる 大人の運動』。定年後、もしくはそれを意識している人たち向けに書かれた本。私なんかまさに真っ只中。

このくらいの年齢の人、すでに薬を飲んでる人も少なくない。体に不調を抱えている人も多いし、それを恐れている人はもっと多い。思っているのは、健康的に、楽しく毎日を過ごしたいってこと。たまにはいるけど、フルマラソンを走りきりたいとか、一線級で勝負したいと考えているわけじゃない。

この言い方を嫌がる人もいるけど、あえて言おう。「愉快な老後を過ごしたい」

ああ、すっきりした。

書かれているのは、運動の処方箋。こういう目的には、こういう運動。このレベルなら、この強度の、この頻度の運動。それが分かれば、《運動が長続きしない》という最大の問題が克服される。

薬だって、症状に合わせて飲まなきゃ意味がないし、逆に体に悪い。運動もそれと同じ。それを知るための本。そして効果が見えれば、もう運動することが楽しくなる。そこまでは私も知っている。

その先、中野さんの言うことの中に未知の領域がある。《80歳になっても、筋肉量を増やすことは可能》

私を置き去りにした若者と比べて私の方が有利なことが一つある。これから先、数十年間仕事人生を続けるであろう彼に比べ、私にはいくらでも自由になる時間がある。20年後、80歳になったとき、+20歳の彼を置き去りにしてぶっちぎってやろう。




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菩薩道『菩薩』 速見侑

“ボーディ・サットバ”

これが日本で菩薩と呼ばれるものの、もともとの言葉。サンスクリット語だね。これを漢文に訳したときに菩提薩埵と書き表し、これを略して菩薩になった。もともとのサンスクリット語で意味を捉えると、ボーディ=悟り、サットバ=有情で、悟りを持った有情、悟りを求める人と言うことになるんだそうだ。

ただ、「悟りを求める人」と言ってしまうと、仏教とみんなになってしまう。そうじゃないんだな。自分が悟りを開けばいいという自利の求道者ではなく、悟りを求めると同時に仏の慈悲行を実践して一切衆生を救おうとする利他の求道者を菩薩という。

そういうことならないと、やはりしっくりきません。大乗仏教の理想的修行者像と言うことだ。

仏教が起こった頃、つまり釈迦が生きている頃にはボーディ・サットバ”という言葉はないし、亡くなってからずいぶんしてから生まれた言葉だそうだ。どうやら、釈迦入滅後の仏教の歴史をたどる必要があるらしい。

釈迦が亡くなってしばらくすると、当然のように教説の解釈を巡る対立が生まれ、教団は分裂したんだそうだ。亡くなって100年もすると、戒律に厳しい保守的な上座部と、比較的寛容で自由な大衆部に分かれた。これを根本分裂と言って、このあとは分裂に分裂を重ねて対立した。これらの教団を部派仏教と言い、彼らの関心事は苦行と学問によって自らが悟りを開き、輪廻から解脱することにあった。

出家したそれらの僧侶とは違う動きが一般民衆の中にあって、それは釈迦入滅後、その遺骨を納めた仏塔(ストゥーパ)を供養することだった。釈迦を追慕する民衆にとって仏塔は釈迦そのものであり、それを礼拝し、清掃供養し、財を寄進する者は、現世では福徳を得、来世は天上に生じ、ついには成仏するという考えが生まれた。

仏塔の管理運営を巡って、出家者だけでなく在家信者を含む信仰集団が形成され、自利行のみを行う部派仏教を批判するようになる。

釈迦への追慕は、釈迦前身への関心をも高めることになる。悟りに至る前の、悟りを求めつつ慈悲行を実践して一切衆生を救おうとする釈迦の実践を明らかにしようという取り組みが、信仰集団によって行われていく。それが、真の悟りを求めて仏になろうとする請願、すべての人を救おうとする大慈悲心、これらに裏付けられた六波羅蜜に代表される行にまとめ上げられていく。


『菩薩』    速見侑

講談社学術文庫  ¥ 1,012

菩薩とは、ボーディ=サットバに由来し、「悟りを求める人」という意味を持つ
菩薩とはなにか
観音総論
観音各論
聖観音 十一面観音 不空羂索観音 千手観音 馬頭観音
如意輪観音 准胝観音 六観音 三十三身と三十三観音
弥勒
文殊
普賢
虚空蔵
地蔵
その他の菩薩


幼い頃は、家族の死なんて受け入れられるはずがないと思ってた。誰でもそうなんじゃないかな。けっこういい歳になるまでそうで、祖父が亡くなったという連絡を受け取った大学の4年の時までだな。

その時になって、ようやっと分かった。「ああ、死ぬんだな」ってね。

そのあとは、祖母、母、父を見送った。その死によって学んだことは、とても大きかった。死んでみせるって、大切なことだな。私もしっかり死んで見せなきゃな。孫たちのためにもね。

たくさんいた両親の兄弟たちも、残ってる方が少なくなった。そのたびごとにお経を上げてもらった。般若心経は必須だったな。「心のともしび」ってのが配られて、一緒にお経を上げた。たくさん葬式があったんで、覚えてしまった。なんかすごい者を覚えたような気がしてたけど。お経ってのは、本来、その意味にこそ意味がある。意味を知ったら、怖くなった。

般若心経は、ちゃんと言うと、摩訶般若波羅蜜多心経。

六波羅蜜の波羅蜜、正式には波羅蜜多は、サンスクリット語のパーラミータの音写だそうです。迷いの此岸から悟りの彼岸に至る意味で、菩薩が悟りに至るために行う布施(慈善行為)、自戒、忍辱、精進、禅定(瞑想)、そしてこの五波羅蜜の根本となる般若波羅蜜(完全な悟りの知恵)の六つを六波羅蜜と言うそうです。

出家による悟りを求めることが出来ない在家の仏教徒は、そのような成仏にいたる道程として、一切衆生救済の慈悲心に裏付けられた菩薩道が具現化すると、釈迦の前身である釈迦菩薩だけでなく、未来仏である弥勒菩薩とかね。現在菩薩道を実践している様々な菩薩が考え出されて、観音菩薩とか、文殊菩薩とか、普賢菩薩とかね。

菩薩道の確立は大きな変化だった。「悟りを求めて一切衆生を救おうと努める菩薩道の実践こそ仏の願いにかなうもの」って理屈は、なかなか強い。なかなか強いけど、本来の釈迦の教えからは離れてるよね。大きな変化と言うよりも、違う宗教の成立と言うべきか。

菩薩道の実践に努める人々は、自らの道を“大乗”と呼んだわけだ。




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『東京ウェストサイド 極楽!丘歩き30』 清野明

三十代でいったん山をやめたときまでは、「山に行く」というのは、テントを持って山に行くって言う意味だった。家族もそう思ってたはずだ。

だけど、今の私の登山は、ほぼ日帰り登山。三年前に山を再開できるようになって、おっかなびっくりやってる頃は仕方がないとして、だいぶ歩けるようになった今は、そろそろ本来の登山に戻っていい。本来の登山は、やっぱりテント泊登山だ。

だけど、山に泊まれば、その日は連れ合いを家に一人にすることになるからね。以前は家族がいたから。連れ合いの父親に母親、子どももいたからね。

・・・おかしいな。子どもが生まれる前、二人でアパート暮らしをしている頃は、飲みに行って平気で家を空けてた。怒った連れ合いが、私が大事にしていたライフの写真集をボロボロに引き裂いたこともあった。今更何をいい夫ぶってるんだろう、私は・・・。

まあ、そんなわけで、今年は自治会長をやってて、なかなか自由にならないところもあるんだけど、そればかりじゃない。テント泊登山となれば、それだけ準備も必要だし、体力もいる。歩けるようになったとはいえ、荷物は背負えるのか。・・・それはまだまだ未知数。

自治会長を降りる、来年春からの私の山は、どうなっていくんだろう。なんだかわくわくするな。還暦にして。

さて、この本は“丘歩き”のコースを紹介する本。《東京ウェストサイド》とある“東京”は、23区の東京と考えればいいかな。三浦半島の丘陵地帯を除けば、この本の丘陵地帯っていうのは、関東平野の終わりの、山の始まりの丘陵地帯だな。

場所によって様々だけど、ほぼ山歩きといってもいいような丘陵もあれば、ニュータウンや工場団地として開発されて、歩くのは大半が舗装道路みたいなところもある。日本人と自然の関わりの縮図のようで、そういう面でも興味深い。



山と渓谷社  ¥ 1,540

平地でも山でもない、丘散歩の30コースを紹介した最新情報満載ガイド
神奈川の丘
大磯丘陵 三浦丘陵 
東京の丘
多摩丘陵 加住丘陵 狭山丘陵 青梅丘陵 霞丘陵
埼玉の丘
狭山丘陵 加治丘陵 高麗丘陵 岩殿丘陵 比企丘陵 
羊山丘陵 長尾根丘陵


丘歩きの領域の多くに里山がある。日本人は山の始まる間際まで田んぼを作って食糧を確保してきた。この里山というのが面白い。里と山の両方がそこにあるんだから。






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Author:イーグルス16

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現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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