めんどくせぇことばかり 2020年01月
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『休日が楽しみになる昼ごはん』 小田真規子

さてと、お昼になりました。

今日も一人のお昼。連れ合いは、この時間はいつもスイミング。1時頃帰ってくるので、先に食べていることが多い。連れ合いの分は準備だけしておいて、チャチャッと帰ってから作る。

夕べ、すき焼きだったので、今日のお昼はすき焼きうどん。

関東の、中でも北の方では、すき焼きは豚肉を使う。埼玉県秩父生まれの私もそう。群馬・栃木はおそらく全域じゃないかな。神奈川生まれの連れ合いは牛肉。なんの勘違いをしたのか、冷蔵庫に牛肉があるつもりでいたらしい。

「あれー、牛肉がない。ねぇ、豚でもいい?」って、いいに決まってるべ。

で、すき焼きを食べるときは、翌日のすき焼きうどんが前提で、それなりに具も残しておく。それから、お昼に食べるので、すき焼きは金曜か土曜日の夜に食べた。でも、もう子どもも自立しちゃったし、私も仕事を辞めたので、曜日は関係なし。

・・・・・・・・
今ね、本当にすき焼きうどんを作ってきて、これから食べるとこ。ほら、これができあがり。
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「いただきます」

この本はお昼ご飯の本。珍しいね。年間120日の休日のお昼に食べようということなんだけど、こっちは365日だからね。この本もずいぶん冒険をしているんだけど、私はこの本を元にして、さらに過酷な冒険の旅に出よう。




文響社  ¥ 1,408

年間120日の休日に家で食べる昼ごはんの料理アイデア本ができました
麺の休日昼ごはん
うどん ラーメン そうめん パスタ 焼きそば
お米の休日昼ごはん
チャーハン オムライス 天津飯 蒸し鶏ご飯 炊き込みご飯
麻婆豆腐丼 納豆ともう一つ丼 いいとこドリア おにぎり
卵と肉の恥ずかし丼 ちらし寿司
パンの休日昼ごはん
卵だけサンドイッチ もちもちガレット 缶詰で4種のピザほか 
休日ワンプレート
ねぎ焼き鳥丼 ドライカレー 漬け丼 ネギ塩カルビ定食ほか 
目的いろいろ休日昼ごはん
買ってきたフライ挟むだけピクニックサンド 
食べ過ぎた胃をリフレッシュする食感サラダ

予定がない日の昼飲みサラダ など


《朝ごはんより「料理」としての満足感があるのに、夜ご飯より簡単に作れるものばかり》

お昼によく食べられる麺類、チャーハンなどの中華系、丼物、いずれも一つの完結した世界を持ってる。でも、チャーハンなんか考えれば、何を具にするかによって、できあがりは千差万別。私は漬物のチャーハンが好きだな。

そういう意味合いではこの本、うどんとスパゲッティで、その実例を挙げている。

例えばうどん。ぶっかけうどん味バリエ。ピリ辛納豆だれ、ツナごま味噌、トマトオリーブ油、梅とろろなんてところが出てくる。

じつは、ご飯もののところで、《納豆ともう一つ丼》というのがあって、納豆アボガド丼、納豆トマト丼、納豆長いも丼なんてのがあるんだけど、これ、そのままうどんにぶっかけてしまえばいい。逆も真なり。ピリ辛納豆だれをご飯にかけてもいい。

たとえばパスタ。パスタ36連発です。《のり+わさび+ごま油+醤油》、《ガーリックオイル+ゆでだこ》なんてのが36連発。それ、そのままうどんでもいい。ガーリックオイルを使ったパスタが、その中にいくつかあるんだけど、ガーリックオイルはニンニク4かけ使ってる。これは冒険だな。

《ガーリックオイル+じゃこ》、《ガーリックオイル+ミニトマト》、《ガーリックオイル+ゆでだこ》なんて感じだけど、ニンニク4かけ使ってたら、やっぱり休日のお昼だな。これで焼きうどんでもいいな。

この本を読んでつくづく思った。卵、納豆、ツナっていうのは、とっても偉いな。豆腐の出番を持って増やしてもいいな。何しろこっちは、120にちじゃなくて、365日だかんな。

冒険は、ここからなんだな。





テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

リハビリ 岩殿丘陵散歩

それは21日のことだった。

たしかにクルマで家を出る段階で、いや、朝起きたときから違和感はあったんだ。でも、頭がそれをなかったことにしてしまって、・・・違和感はちょっとこっちに置いといて、登山口に向かったんだ。

およそ1時間で、登山口に到着。登山口前の駐車スペースに車を置いて、私はまず、気になっていた登山口を確認。クルマを帰りに出しやすい位置に置き直して、ハッチバックを明けて、ザックの肩掛けに片腕を通して、腰を入れようとしたら、・・・。まったく腰に力が入らない。

「あっ、やっぱり」

どこかで分かってたんだ。当たり前だ。腰に違和感のある状態で、それをなかったことにして1時間も運転してしまった。その間に、腰の違和感ははっきりと痛みに変わっていた。痛みもなかったことにして、ここまで来てしまった。登れるわけがない。痛い腰で、1時間クルマを運転して帰らなきゃ。時間は朝の7時半。

家に帰ったのは8時半過ぎ。車庫にクルマを入れ、荷物は積んだままにして、家に上がり、居間に転がり込んで、そのまま動けなくなった。二階に洗濯物を干しに行ってた連れ合いが下りてきて、・・・。「何やってんだか」って笑われた。・・・こっちは腰が痛いのに。

昨日から動けるようになって、昨夜来の激しい雨が明け方あたりに上がって、いい天気になったので、岩殿丘陵あたりを少し走ったり、歩いたりしてみようかと・・・。

ゆっくり走って、九十九川沿いの土手に向かう。大きな低気圧が暖かい南風を引き寄せて、気温が上がっている。今朝までの大雨がウソのような青空、自衛隊の練習機の姿が青い空にくっきりと浮かび上がる。リハビリ 129_200129_0001 (大きな低気圧が周辺の雲を引き連れて北に遠ざかり、一転、晴れ上がる) 

九十九川は水量がだいぶ増えている。土手も草付きの部分に脚を下ろすとじわっと水がにじむ。ずいぶん降ったようだ。あちこちにオオイヌノフグリの青い花が散らばっている。完全に早春の雰囲気。風の暖かさも、それが名のみとは思わせない。
リハビリ 129_200129_0002 (「もうオオイヌノフグリが・・・」 と思ったら、ここだけじゃない。あっちもそっちも!)

九十九川沿いの土手から岩殿観音の参道に出て、そのまま岩殿観音に向かった。この暖かい空気に誘い出されたのか、平日にもかかわらず参詣する人が数人見かけられる。
リハビリ 129_200129_0003 (岩殿観音に向かってまっすぐ伸びる参道)

リハビリ 129_200129_0005 (山門には金剛力士像が 
こちらが阿行) 

リハビリ 129_200129_0004  (こちらが吽形)

リハビリ 129_200129_0006 (さらに石段を登る)

リハビリ 129_200129_0008 (今はすっかり葉を落とした大銀杏と観音堂) 

そのまま物見山に登る。すると、そこにも人がいる。おそらく私と同じ、この春を思わせる陽気にこころが浮き立って、じっとしてられなくなったんだろう。
リハビリ 129_200129_0009 (山頂からは赤城山が見える。まったく雪がない。昨夜来も雨だったか)

この物見山の標高は135m。近くには足利基氏の館の土塁跡もあったんだけど、高坂カントリーのおかげでよく分からない。岩殿観音は北条政子の守り本尊だったとか。なかなかに重要な場所だったようだ。近くには県の施設で、平和資料館もある。こちらは石坂カントリーが山を削るときに、なんかの申し訳のように出来た。
リハビリ 129_200129_0010  (平和資料館 入館無料 入館者さほど多いわけでもなし 維持費が心配)

リハビリ 129_200129_0011 (道の両側に大東文化大学の施設がある。左手校舎の向こうに筑波山) 


こども動物自然公園を過ぎてから、もう一度、九十九川沿いの土手を行く。昨年10月の台風19号で、この九十九川は氾濫した。もう少し下流の方だけど、下流に向かうに従って、支流の水を合わせて・・・。そんな様子を見ながら家に帰った。
リハビリ 129_200129_0012 (九十九川の水量が だいぶ増えている)

リハビリ 129_200129_0013 (九十九川はこの先で越辺川に合わさり、さらに都幾川に合流する )

腰は大丈夫なようだ。次は山でリハビリしよう。正し明日はダメ。自治会の仕事が入ってる。・・・あさってかな。

この日歩いたのは、以下のようなコース


岩殿丘陵地図




テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

アメリカ『変見自在 中国は2020年で終わる』 髙山正之

今年の冬は例年と違って冬晴れが続かない。先日の19・20・21日の日月火曜日、珍しく気持ちのいい晴れが続いた。日曜日は最初から二日酔い予定だったものの、月火曜日は山に行けるはずだった。事実、月曜日は車で山に出かけた。登山口近くの駐車スペースに車を止め、ザックを肩にかけようとしたら、腰が砕けた。

家を出る前から嫌な予感はあった。にもかかわらず、それを認められず、無意識に否定していた。登山口まで1時間の運転で、腰はすっかり悪化していた。そこからまた1時間かけて家に帰る間に、さらに悪くなった。

もしも“嫌な予感”の段階で自重していれば、おそらく翌日の火曜日には出かけられただろう。それもだめになった。週間予報では、しばらくはっきりしない天気が続くようだ。

晴耕雨読とばかり、天気が悪いときは本でも読んでいればいいわけだけど、腰が痛いとそれも難しい。

年に一度発行される、髙山正之さんの『変見自在』も、ちょうど読み終わってしまった。しばらくぐずついた天気は続くようなので、もう一度頭から読み返してみようかな。京はその中から、アメリカに関することを取り上げてみた。


日露戦争のさなか、地元紙サンフランシスコ・クロニクルはすさまじい反日キャンペーンを張った。日系人は故郷に送金するだけで地元に金を落とさない。写真だけで伴侶を決め、結婚に愛はない。日本人は白人の知恵を盗む。

当時、高峰譲吉が副腎からアドレナリンを抽出し、結晶化に成功した。ところが米国人ジョン・エベールが「高峰は研究を盗んだ」と、勝手にエピネフリンと名付けた。後にエベールのウソはばれるが、米医学界は今もエピネフリンを正式名にする。

日露戦争が終わった頃、サンフランシスコ大地震が起きた。日本人は同情し、今の金で50億円もの見舞金を寄せた。それは他国からの義援金の総額よりも多かったが、このあとサンフランシスコは日系人児童を公立学校から閉め出した。

アメリカ人によるものではないが北里柴三郎も嫌な思いをした。古くからヨーロッパ人たちを苦しめてきたペスト。そのペストが1894年にイギリス支配下の香港ではやった。北里が香港に入ると、到着の二日後にペスト菌を発見し、その二日後にはネズミが媒介するのを確認したという。ネズミを駆除して、ペストはまもなく沈静化した。

白人がたどり着けなかった答えを、日本人が数日で出してしまった。すると、フランス人医学者のアレクサンドル・イェルサンが「私もペスト菌を発見した」と発表した。北里の発見の一週間後である。

欧米医学界はイェルサンの証言を即座に認め、ペスト菌の学名を《キタザト・イェルシニア・ペスティス》とされた。その4年後、北里の名が第1回ノーベル賞候補として上がった。血清療法の功績が評価されたものだが、ノーベル賞は助手のフォン・ベーリングが受賞した。さらにペスト菌の発見から70年後、ペスト菌の長い学名が短く変更された。《イェルシニア・ペスティス》と、北里の名前が削られていた。





新潮社  ¥ 1,595

世界の正しい歴史を知り、真実を読み解いて、世に蔓延るまやかしを一刀両断!
第一章 今日も朝日にウソが載る
第二章 世界に蔓延るデタラメの数々
第三章 非道国家はますます健在
第四章 歴史を知れば全てが分かる
第五章 困った隣人とどう向き合っていくか


日清戦争後のしばらくの間、日本と“中国”の関係はまれに見る良好なものだった。満州民族王朝の清は日本に敗れたことの意味を真剣に考え、漢人の学問である四書五経をやめて、日本人がやったように洋学を志してみた。それで京師大学堂、後の北京大学を建て、海外留学を奨励した。

海外留学先で最も多かったのは日本だった。日本側もすぐに各大学が積極的に中国人留学生を受け入れた。魯迅・周恩来・陳独秀も、年に1万もの若者が日本にやってきて学んだ。彼らはそこで世界を知り、秋瑾は女性解放運動に、陳独秀や宋教仁は議会制を叫んだ。中国人が純粋に国を憂え、燃え上がった時期だった。

「日中が提携すれば白人国家がアジアに持つ権益を危うくする」と駐北京ドイツ公使フォン・グレイルが黄禍論をぶち上げた。“中国”進出を至上命令と考えるアメリカも同様だった。彼らは日中提携を阻むため、日本に向かう中国人留学生に目をつけた。アメリカは北京に精華大学を建てて顎足つきで漢人の若者をアメリカ留学に誘った。反日の急先鋒となる顧維鈞、胡適、董顕光などがおり、宋美齢もその一人だった。

親密だった日中の関係は袁世凱の時に暗転した。米国に促された袁世凱は日本食の強い議会を解散し、満州権益の延長申請に過ぎなかった21箇条の要求を政治問題化し、日本を“中国”の的に仕立てた。

アメリカはパリ会議で発言権のない“中国”代表に演説を許し、ジャーナリストの董顕光が反日をあおり、顧維鈞と米公使のポール・ラインシュが学生をたきつけ、それが五・四運動になった。日中の関係はアメリカの思惑通り180度転換した。

あれから100年、習近平は「五・四運動の核心は漢人の愛国主義」と、アメリカ外交の勝利を称えた。

だけど、その習近平が米トランプ大統領に苦しめられている。朝日新聞やリベラルは、どのシーンでも“中国”・北朝鮮・韓国の側に立ってトランプをこき下ろすけど、その分、トランプ大統領の当たり前の目に対する信頼が増す。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ』 野路秩嘉

埼玉県東松山市では、雪、積もらなかった。

全然だよ。全然積もらなかった。よかったー!実は、夕べ、酒、全部飲んじゃったんだ。翌日の分がない。雪が積もっている中、どうやって酒屋まで行こうか、夢にまで見てしまった。たった1kmであろうが、タイヤチェーンをつけてクルマで行くか。それとも雪が積もっている中、傘さして、歩いて行くか。


そう言えば、息子の車はインプレッサっていうスバルのクルマだった。

滋賀県の会社に就職してから買った車で、家にいる頃は、必要なら私の車に乗っていた。よくぶつけてくれて、私の車は傷だらけだ。左側、右側、前、後ろと、まんべんなく平等に傷がつけてある。いずれも相手のある話ではないので、それだけは良かった。

その息子の結婚式の話で、先日大阪に行った。式場との打ち合わせを済ませて、息子とその嫁の暮らす滋賀県近江八幡まで、そのインプレッサで帰った。息子が運転するインプレッサに乗るのははじめてだった。すでに夜も遅くなっていて、雨も降っている中だったが、安定感のある運転だった。息子の運転に安心して乗っていられるというのは、うれしいもんだと思った。

この本だけど、『スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ』という題名が、すでに語っている。中島飛行機に始まる話だ。

中島飛行機の本拠は、創業者中島知久平の地元群馬県太田市にあったが、埼玉県内にも大宮に中島飛行機の工場があった。飛行機のエンジンを作っていたようだ。吉見町には“吉見の百穴”という古代の遺跡がある。山の岩盤をくりぬいた横穴墓群である。戦争中、この横穴墓群の底部に直径3mほどの新たな穴が3本掘られた。大宮工場飛行機エンジン製造部門をここに移すためである。本格的な稼働が始まる前に戦争は終わったが、新たな穴が掘られたことで、もとからの横穴がいくつかなくなったそうだ。

大宮工場への徹底した空襲が計画されたが、当日の天候とレーダーの不具合で見送られたそうだ。埼玉では熊谷が空襲で大きな被害を出した。熊谷は中島飛行機のネットワークにまたがる重要拠点、つまりは下請けだな。そうアメリカから位置づけされていたわけだ。で、結構徹底してにやられた。

そして日本は追い詰められて、各都市は焼き払われて、原爆を二発も落とされて、戦争に負けた。ポツダム宣言なんて体裁ばかりで、それを書いた方には守る気なんか最初からなかった。

アメリカは日本の政治体制にまで手を突っ込んで、根底からそれを変えさせるという暴挙まで犯した。破壊された日本の経済を再建しようなんて頭は全くなくて、必要なのはかつての力を取り戻すことが出来ないようにすることだった。

アメリカは開戦当初、日本の航空技術の高さに恐怖した。アメリカを戦慄させたのは三菱の零戦であり、中島飛行機の隼だった。中島飛行機は零戦の製造にも携わっていた。

アメリカは航空禁止を日本に通達し、中島飛行機も財閥解体で細分化された。各工場は高い技術力を持ちながら、戦後はそれぞれが出来る範囲の、日常生活に必要なものを作るところから始まったそうだ。

農機具、鉄道車両、自転車、リヤカー、ミシン、タイプライター、計算機、乳母車、バスの車体、木造船。





プレジデント社  ¥ 1,870

原点は中島飛行機にあった。「空飛ぶクルマ」にいちばん近い自動車メーカー
第一章 富嶽
第二章 ラビットスクーター
第三章 スバル360
第四章 水平対向エンジン
第五章 四輪駆動
第六章 田島と川合
第七章 業界の嵐
第八章 アメリカ
第九章 マリー技師の教え
第十章 LOVE
第十一章 アメリカも変わった
第十二章 百瀬晋六の言葉


荻窪工場は、中島飛行機の中でも俊英がそろってたんだそうだ。後に各工場は合同して富士重工になるんだけど、プライドの高い荻窪工場は加わらなかったんだそうだ。彼らは独立し、ブリジストンが中心になって設立したプリンス自動車に合流した。そして荻窪工場の技術者たちが中心になって、名車スカイラインを生み出したんだそうだ。プリンス自動車は、その後日産と合併して、日産の技術力を支えたんだそうだ。

もちろん、富士重工も負けてない。私は1960年生まれだけど、1958年に販売の始まったスバル360が走る姿は強く印象に残ってる。子どもの頃に走っていたクルマを思い出そうとすると、スバルしか出てこないくらいだ。戦後日本の自動車産業ってのは、戦前の航空産業が合流することで、より層の厚いものになっていったんだな。

さて、著者はゲルニカ爆撃と重慶空爆を同一視する。《航空機は空中戦、工業施設への空爆だけでなく、都市への空襲にも使われるようになった。戦争において銃後という場所がなくなったわけだ。そして、日本が重慶を爆撃したことだけがきっかけとはいわないが、その後、アメリカはその事実を利用して、東京、名古屋などに空襲を繰り返し、広島、長崎に原爆を投下する。原爆の使用も航空機がなければ出来ないことだった。つまり、第二次大戦とは都市への空襲が戦争の勝敗を決めた戦いだったのである》と書いている。

無邪気だな。ルーズベルトやスターリン、チャーチルに蒋介石、おまけに毛沢東も、あの世で大喜びしていることだろう。・・・ルメイもね。

南京もそうだけど、“中国”は便衣兵が多くて、日本は悩まされた。それが“中国”における戦争の文化なんだな。重慶においては蒋介石軍そのものが、便衣兵化していた。民間人を巻き込むのは日本軍の本意ではない。

アメリカの空襲は、ルメイがなんと言おうが、女子どもを殺すのが本意だ。どうしてそれを平然と一緒に出来るんだろう。

「勝てない戦争だった」と後からほざく人はたくさんいたようだが、それは今はおくとして、なぜ戦争に踏み切ったかだ。戦争って言うのは双方がその気にならないと起きないものではない。どちらかがなんとしても戦争に持ち込もうと思えば、それは始まる。そしてなんとしても日本を戦争に巻き込もうと思ってる奴が、アメリカの大統領をやっていた。

自分の国にきびしい見方をするのは結構だけど、時代の全体像を見失っては人を傷つける。

戦後の富士重工の歴史が面白かっただけに、著者の時代の捉え方が残念だった。





テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『万葉集を旅する』

ずいぶん雪が降るという。

今夜から明日にかけて降るという。明日の朝は雪景色か。明日の朝は、まだ降っている予報になっている。雪かきするのはやんでからかな。あれ、明日の朝10時頃、雪からそのまま雨の予報になっている。そのまま夜中まで雨の予報。そのまま雪が固まってしまうと雪かきが大変。明朝、雪が降っている状態で雪かきをするしかないか。

スーパーマーケットに買い物に出かけたら、隣のホームセンターの店先に雪かき用のしゃべるが並べられていて、それを手にクルマに戻る人を何人も見た。

この冬、冬用タイヤに履き替えたことを後悔していた人もいただろう。せっかくだからね。よかったね。

この雪が溶ける頃には節分、そして立春だな。・・・なんか、わくわくする。


この本は万葉集の本。

子どもたちがまだ小中学生の頃、家族で奈良に行った。興福寺、東大寺あたりを拝観して奈良公園で鹿に餌をやった。翌日は飛鳥をサイクリングして、そのあと法隆寺に回った。

埼玉の高校の教員だったから、修学旅行で関西に行くことも何度かあった。北海道とか沖縄の修学旅行が多くなる時期だったんだけど、一生懸命それに抵抗してた。30代後半で、抵抗むなしく京都・奈良の修学旅行は、私の周囲からは消えてしまった。北海道や沖縄の修学旅行って、いまだに意味が分からない。

関西に行く場合、それを積極的に推す立場だから、下見にも行った。下見と実際の修学旅行をあわせれば、関西を回ったのはずいぶんな数になる。時には、なかなか行きにくいところにも行かせてもらった。下見以上に、勉強になった。

だけど、どの旅行と比べても、家族で行ったときの二泊三日は、圧倒的に楽しかった。




JTBのMOOK  ¥ 1,320

万葉集に詠われた地を、秀歌の描写と重ねながら訪ね、古代に思いを馳せる1冊
飛鳥
山の辺の道
柏瀬・宇田
葛城・巨勢
吉野
生駒・斑鳩
春日
佐紀・佐保路
山背
近江
難波
紀伊
伊勢


専門教科は国語じゃなくて社会だし、まあ、歴史が専門と行っても、本当の専門は世界史。でも、学校の都合で、社会の教員っていうのは、ある程度は何でも屋になっていく。日本史もやるということ。嫌がる人もいるけど、私は日本史をやるのはまったく抵抗がない。世界史だって日本史だって、最終的には今の世界、そして世界の中での日本を理解するために勉強するものだからね。

だけど、歴史の教科書っていうのは圧倒的につまらないんだ。だから、自分で工夫しないと授業にならない。ならないまま授業をしちゃう猛者教師もいるけどね。

万葉集に関心を持って触れるようになったのは、教員になってすぐくらいから。残念ながらそれまでは、国語の授業で触れた程度の知識しかなかった。

その頃、おそらく渡部昇一さんの本だと思うんだけど、面白いものを読んだんだ。どんな成り行きで出てきた話かは忘れたけど、それは以下のようなもの。

《ヘブライ人は神の前の平等を訴えた。ローマ人は法の下の平等を訴えた。実はそれが日本にもある。日本人は歌の前に平等な民族なんだ。それは万葉集を知れば分かる》

面白いなと思ってね。日本人の民族性の一端がそこにあると思って、授業でも万葉集を厚めに取り扱うようになったんだ。

『万葉を旅する』という本なので、その歌が詠まれた場所が、写真とともに紹介されていく作りになっている。それにしても写真がいいな。そこで詠まれた歌が紹介されていて、この本に出てくるような写真が添えられていては、そりゃ行きたくなっちゃうよ。

それにコラムがいい。目次紹介にはかけなかったんだけど、見開き2ページで、とてもいいコラムが書かれている。せっかくだから題名だけ紹介しておく。
大和三山 天智・天武・持統天皇 額田王 但馬皇女と穂積皇子そして大伴坂上郎女
大津皇子と大伯皇女 万葉植物 柿本人麻呂 山部赤人と高橋虫麻呂 有間皇子
東歌と防人の歌 旅人・憶良と筑紫歌壇 家持と越中 

全部回るなんてわけにはいかないけど、もう一度、奈良に行ってみたいな。・・・家族で回ったところを、連れ合いと二人で回ってみようかな。

さて、明日の朝、雪は積もってるのかな。




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『もっとおいしく、もっと楽しく』 浜内千波

いやー、德勝龍の優勝で終わった大相撲。本当は正代に優勝させたかったけどね。久しぶりに面白かった。悪いけど、白鳳と鶴竜はいらないわ。

暖冬といいながら、冬はやはり寒い。

当たり前のことだけど、寒い時期には体の温まるものが食べたい。お昼は、家にいるときは私が作るようになったんだけど、昨日はすいとん、今日はラーメンにした。汁物は体が温まっていい。

今日のラーメンだけど、具はラー油でナムルにしたもやしとスティック・セニョールという新しい野菜。くまモンのデザインされた袋に入っていたから熊本で作られているんだろう。

色味と頭のつぶつぶした様子はブロッコリーで長っ細い様子はアスパラなんだな。長っ細い一本のままラーメンに浮かべたら、結構見た目もいい。味はブロッコリーのもの、長っ細い茎はアスパラほど筋っぽくないので火を通せば柔らかく食べられる。使いやすい野菜だった。

昨日のすいとんは、連れ合いに褒められた。冬場になると時々作る。すいとんを食べると、定時制に勤務していたときのことを思い出す。定時制は給食がある。給食を作るマスターも定時制の職員の一人。これらの人も、夏休みや冬休みも勤務する。本来給食は生徒のためのものだから、生徒が登校しないそれらの時期は給食はない。

マスターには仕事がなくなる。次の学期の献立を作るくらい。そこで職員でお金出し合って、マスターに夕食を頼む。さすがにプロの料理人、安く、すごくうまいものを作ってくれる。冬休みのよく作ってくれたのがすいとん。すいとんの日の集金は50円だった。

さてこの本、浜内千波さんの料理の本。浜内さんの本は何冊持ってるだろう。よくある料理の本、おいしそうな写真があって、作り方やポイントが乗っているやつ。そういうのは目を通して、これはと思うものは作ってみるし、なんかの時に頭の引き出しから出てくるものもある。だけど、

この本は買ったまま目も通してなかった。他の料理の本とはちょっと違う。エッセイ集なんだ。それでいつか読もうと思って、そのままになっちゃった。

そのエッセイの合間に、“おすすめ簡単レシピ67”が紹介されている。そういう体裁の本。こういうのも面白いね。





集英社  ¥ 1,430

著者集大成ともいえる料理上手になるためのテクニックと、おすすめ簡単レシピ67点
PART1 食卓が愛を育む
笑顔で料理ができる幸せ
料理はもっと素敵に生きるためのスキル
それぞれの家庭にそれぞれのルールを
みそ汁とスープはこころと体を満たしてくれます
サラダをぐーんとおいしくする法則
子どもはその年代だからこそ欲しがる味覚がある
大人と子どもの食べるものは違って言い
はじめてカレーを作る喜び
今日食べたものがあなたの元気を作る
本当の「おもてなし」とは
元気なこころを育む料理の力
おいしく食べて、しかもダイエット
料理は魔法の力を持っている
PART2 きっと料理上手になれる
味見こそ上達の秘訣
バランスのよい献立の立て方とは?
素材が持つうまみを引き出す
塩加減がとっても大事です
最適の温度をつかむ
中火が全ての基本です
水を知れば、これであなたは料理通


エッセイ集+67レシピだから、よくある料理の本よりもお得だな。私はそう思うよ。

そのエッセイには、浜内さんの人となりが出ていて、「ああ、こういう人だから、こういう料理が出てくるんだな」って事が分かって面白い。エッセイの内容は、もちろん料理に関すること。なかでも料理上手になるためのコツやものの考え方、さらには生き方まで、ご自身の生き様も含めて書かれている。

だけど、読んでいくと、その一つ一つが当たり前のことなんだと気づく。笑顔で作れば、ご飯はおいしくなる。それがどんなテクニックよりも、料理をおいしくする最大のコツだというんです。

おそらく当たり前だと思うんだけど、食べることを考えながら作るからね。あるいは食べてもらうことを考えながら。食べるのはうれしいことだから、作ることもうれしい。

そう、だから料理をストレスにするのはもったいない。そういう時のためにも、手早く簡単に作れて、しかもおいしいレパートリーを増やしておくといいと浜内さんは言っている。浜内さんの料理の、“簡単手早く”っていうのはそういうところから生まれたんだ。

講演のあとで、主催者側のスタッフの女性からきびしい口調で注意を受けたことがあるんだそうだ。この話、浜内さんという人がよく分かる話だったので取り上げておく。次のような注意を受けたんだそうだ。

「あなたは講演中に《主人》という言葉を23回も使いました。言葉を知らなすぎるわね。もっと勉強した方がいいですよ」

主人という言葉に反応しちゃったんですね。たまにいますね、こういう人。言葉にはいろいろな歴史があり、使われ方もさまざまに移り変わってきています。主人と奴隷であるとか、主人と家臣であるとかいった使い方がありますが、今の世の中に同じ気持ちで使っているとすれば、それは差別です。

だけど、その人は今でもそれらの言い方と同じ意味で浜内さんが使っているとでも思っているのでしょうか。それは夫を大事にしているところから自然に出ている言葉であって、主従関係とはなんの関わりもない言葉であることを受け入れられないということなのでしょうか。

その女の人にすれば、浜内さんが夫に従属する馬鹿女に見えたんでしょうね。でも浜内さんは、これからも主人という言葉を使うつもりであるとおっしゃっている。それは夫を大事に思っているという背景で使われているわけで、そこにはゆとりを感じる。

進んだ女たちが、その主人という言葉に反応して、いまだに夫の依存する馬鹿女と厄介に思っているようだ。言葉だけにとらわれると、本質を見失うんじゃないかと、そっちの方が心配になる。




テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『縄文の奇跡 東名遺跡』 佐賀市教育委員会

この本、実は三年前に一度紹介している。

東名遺跡二関しては、とにかく出土品がすごいんだ。前にも紹介したけど、象徴的なのが編みかご。最古のものは滋賀県粟津湖底遺跡から出た破片で1万200年前のものなんだそうだ。この東名遺跡は8000年前の遺跡なんだけど、それがかけらではなく原形をとどめ、模様まで確認できる。それがいくつも出てきた。もちろん同じものじゃない。用途に合わせて何種類も、さまざまな模様のものが出土している。

東名遺跡は佐賀県の有明海に面した丘の上にあったものらしいんだけど、そこで発見された貝塚は8000年前くらいから形成されたそうだ。そして、7400年前頃、急な海面の上昇で、貝塚は丘の上にあった居住区もろとも有明海に沈んだんだそうだ。彼らの生活の痕跡は有明海の粘土層の下に埋没し、貝塚の上部には5mの粘土層が堆積したそうだ。これが良かった。分厚い粘土で覆われたことで、構成の改変を受けず、極めて良好な状態で保存されていた。

貝塚はじめ、彼らの生活圏から出土する遺物、土器、石器、貝器、骨角器、木器、いずれも質量ともにすごい。前にこの本を紹介したとき、私はその遺物のすごさに圧倒されてしまった。特に編みかごだな。

結局、そこにスポットを当てて紹介してしまって、東名遺跡の価値に言及していませんでしたので、改めて取り上げてみました。

縄文時代っていうのは、非常に長く続いている。1万6000年前頃に始まり紀元前1000年頃までと、大雑把に数えて1万5000年間だからね。当初は前期・中期・後期に分けられていたようだけど、発掘や研究が進むにつれて、区分は細分化されていく。ちょっとウィキペディアを頼ると、《草創期(約1万6,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 - 4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300 - 2,800年前)》という区分になってるようだ。

新たしい遺跡の方が多く見つかるし、保存状態もいいのは当たり前。そこでこの東名遺跡はどこに入るかということなんだけど、8000年前から7400年前まで継続した生活のあとということなので、早期(1万2000年前から7000年前)に該当するわけだ。

この間の、600年に及ぶ生活のあとが、人骨を含め、上記のような遺物とともに発見されたわけだ。文字通り、質量ともにすごいんだ。

東名遺跡の価値は、そこにある。


『縄文の奇跡 東名遺跡』    佐賀市教育委員会


雄山閣  ¥ 2,860

8000年前の日本には、すでに豊かな物質文化と精神文化が存在していた
第1章  日本最古! 最多! 縄文バスケット
第2章  激変する環境を生き抜いた縄文人
第3章  縄文人の食生活
第4章  縄文人のものづくり
第5章  縄文人の外見と内面
第6章  歴史の中の東名遺跡
第7章  東名遺跡を理解する
附録  ぶっちゃけ東名トーク



この貝塚は7400年前で途絶える。だけど、ここだけじゃないんだそうだ。九州から東北北部にいたる各地で縄文早期から前期初等に貝塚の断絶がある。全日本列島的にそれが起こったことを考えると、有明海で起こった海面上昇はそこだけの特殊なものではなく、地球的規模の温暖化による海面上昇が原因と考えられるという。

これがいわゆる縄文海進というものらしい。

何しろ遺物はかなり良好な状態で出てきますので、それを作るのにどんな材料が使われたか、どんな方法で作ったかが再現できるんだそうだ。そういう意味でも東名遺跡はすごいんだな。

さらには骨角・牙・貝で作った装身具が大量に発見されていて、・・・縄文時代だよ。8000年前の人が装身具で身を飾ることに、そこまで工夫を凝らしていたかと思うとうれしくなるじゃないか。

それらと一緒に、お面が出土している。右の写真のようにお面には穴が開いていて、何かにくくりつけられてたしい。裏には縦にくぼみが走っているので棒にくく りつけられたのではないかということだ。お面
お面を棒にくくりつけてかざす。三年前にも書いたことなんだけど、実は、そういうお祭りが佐賀県にあるんだそうだ。そう、東名遺跡が発見された佐賀県に。この本にはシェーとり祭りなんて書いてあるから、三年前は「イヤミのお祭りか」なんて書いちゃったけど、ちゃんと調べた。《汐取り祭り》だった。C022_018_09_1F001.jpg
嘉納地区を流れる城原川の、海水と真水の混ざり合う地点で、榊に汐を取ってお面に振りかけるんだそうだ。そうすることで豊作祈願・災害除けなどの祈願を行うんだという。

鹿児島から出土した東名よりもさらに古い遺跡は、集落が環状に配置され、その中心に墓が築かれてるんだそうだ。祖先を中心に毎日の生活が送られていたらしい。祖先崇拝だな。

汐取り祭りの汐をかけるという行為が何を意味するか分からないが、人々が平安を祈念する対象は、ご先祖様だったんだろうな。

縄文時代、すでに人々は犬とともに暮らしていた。犬骨の発掘状況から、さまざまな関わり方があったらしい。解体痕を持つ出土例からして犬を肉、骨髄、腱、毛皮の供給源ともしていたらしい。同時にいわゆるペットとして、また猟犬としても使われていたようだ。骨の見つかり方から、どのような関わり方が成されたかが分かるんだそうだ。

昨年6月に、14年飼って死んだ猫のミィミィの遺体を、家の敷地の隅に埋めた。もう、骨になっちゃったかな。いつかあれが出土したら、どう思われるんだろう。そういや、その時、同じ場所からウサギの骨も見つかるはずだ。なんて仲のいい猫とウサギだろうということになるだろうか。




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輪廻転生『逆説の世界史3』 井沢元彦

炎鵬は阿炎の悪くしている膝を取った。そしたら、阿炎が飛んだ。

インドには歴史がない。

そんな話が出てくる。インド古代史においては、編年体で書かれた記録がないんだそうだ。編年体の記録というのは、歴史を過去から現在、そして未来へと続く線のように捉えるからこそ成立するもの。私も歴史という学問に携わって生きてきたが、確かにその感覚を持って歴史に関わった。そういう点からすると、四大文明に数えられるインダス文明はあまりにも捉えどころがない。

どうやら時間を過去から未来に流れる直線的な流れではなく、円を描くように何度も何度も繰り返されるものとして捉えていたのではないかという。輪廻転生のサイクルこそが、まさにそれだと言う。

アーリア人が侵入してドラヴィダ人を征服してから、歴史は徐々に前に進むようになったと言うんだけど、だと知れば輪廻転生はこそがインダス文明以来の、変わらない現地のものの考え方と言うことになる。

ドラヴィダ人を征服したアーリア人は、当地の輪廻転生の思想を取り入れて、それに基づくヴァルナを再構成してバラモン教と呼ばれる宗教を生み出したのか。

アーリア人の神々は、彼らの移動先でさまざまに根付いてその関連性を感じさせる。同じように雷を操るインドのインドラとギリシャのゼウス。イランにおける善い神はアフラ、インドの悪い神はアシュラ。・・・ひっくり返っている。

ペルシャでは善神アフラの長がアフラ・マズダ。片や、アシュラを管理するヴァイローチャナは日本ではビルシャナと呼ばれる華厳宗の一番の仏様。奈良の大仏は毘盧遮那仏だな。毘盧遮那仏は真言宗では大日如来。ということになると、大日如来はゾロアスター教のアフラ・マズダに相当する。

そういや、ゾロアスター教は拝火教として日本に入ってるからね。二月堂のお水取りは、まさにその行事。

神々の系譜を見ても、もとはアーリア人として同じような習俗を持っていたと思われるのに、輪廻転生の思想はインドにしか現れない。ということは、それこそインドに移動したアーリア人が受け入れた、インダス文明圏特有の文化だったのではないか。

だとすれば、その後、ペルシャに根付くゾロアスター教は、アーリア人の習俗をもとに砂漠の文明の影響の元に成立したということだろうか。ゾロアスター教は、善悪二元論をもとにして、終末思想、最後の審判、天使、悪魔など、後の一神教に受け継がれるものの考え方をさまざまに生み出している。面白いもんだな。


『逆説の世界史3』    井沢元彦


小学館  ¥ 1,870

日本とインドには一神教に負けない「強い多神教」がある。その強さの秘密とは? 
序章 多神教社会に生きる日本人
第一章 インダス文明の滅亡とヒンドゥー教の誕生
第二章 ブッダの生涯と仏教の変容
第一話 ブッダが追求した「完全なる死」の境地
第二話 禅宗がもたらした日本型資本主義
第三話 仏教はなぜ発祥の地印度では衰退したのか
第三章 オリュンポスの神々とギリシア文明の遺産
第一話 キリスト教に敗北したギリシア神話の世界
第二話 民主主義のルーツとしてのポリス
第三話 アレクサンドロス大王の偉業とマケドニア帝国の興亡
第四話 ギリシア・ヘレニズム文明の賢者たち)



創造主ヤハウェに対する信仰を説くユダヤ教に始まる一神教、キリスト教もイスラム教も、ペルシャのゾロアスター教の影響を受けている。インドと同じようにアーリア人の移動の影響を受けて成立していったものだろうが、ものの考え方がまったく正反対の宗教観を持つようになる。

この違い方がはなはだしい。

“永遠の生”は多くの宗教の最終目標である。キリスト教でも、イスラム教でも・・・。最後の審判でイエスが降臨し、あらゆる魂が裁きを受ける。審判に合格したものだけが神の国に入り、“永遠の生”を与えられることになる。

ところがインドにおいては、“永遠の生”はものごとの大前提。それは輪廻転生と呼ばれ、輪廻転生が絶対の事実である以上、人間は永遠の“本当の死”を迎えることは出来ない。一神教の信徒が最終目標であるものが、インドにおいては逃れることが出来ない大前提なのだ。

多くの宗教が目標とする“永遠の生”は、インド思想においてはすでに達成されたものであるばかりではない。それは、克服しなければならないもの、そう考えられている。

ゴータマ・シッダールダ、仏陀は、“本当の死”を迎えることの出来ない“永遠の生”は、《苦しみ》であると考えていた。生老病死の四苦に加えて、もう四つの苦しみが加わって四苦八苦。愛するものと分かれる苦しみが愛別離苦。怨み憎んでいる者に会う苦しみが怨憎会苦。求める物が得られない苦しみが求不得苦。身体と気持ちが思うままにならない苦しみが五蘊盛苦。

生きることは苦しみばっかりで、“永遠の生”は永遠の苦しみでしかない。

バラモン教においては、自分つまり“我”を宇宙の原理である“梵”と一致させる境地に至ることによって、その苦しみを克服できると考えた。

バラモン教の世界に生まれた仏陀は、その教義に疑問を抱き、“我”に対して“無我”、すべて空と悟ることこそ本当の解脱だと考えた。“梵”と一体化するよりも、そういったものは実在せず、永遠の不滅も存在しないなら、それに執着することは愚かと悟ること。その境地こそが本当の解脱であり、輪廻転生で巡る“永遠の苦”からの解脱としたわけだ。

そう考えると、やはりインドは深い。






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退職『60歳からの新・幸福論』

あんまり深酒すると、次の日一日どころじゃなくて、何日もダメージが続くみたいだ。

この間、区長会の飲み会があって、顔を出してきた。顔を出すなんてもんじゃなくて、二次会まで行って、ぐいぐい飲んできた。案の定、翌日は二日酔い。ゆっくり8時過ぎまで寝てたから、頭が痛いとか、吐き気がするとかはないんだけど、何かしようという気力が湧かない。

最初からの計画通り、その翌日は山に登るつもりだった。だから飲み会の翌日は計画立てて、準備するだけ。だけど、計画と準備も、やる気が湧かない。計画も準備もやってないんじゃ、結局、楽しみにしてた山行を取りやめざるを得なくなってしまった。だけど、まあ、区長会の飲み会も、おそらくこれが最後。深酒の機会も減るだろう。

さて、新年最初のお山は、名栗の周助山から静かな尾根道をたどって竹寺、子の権現を訪れた。子の権現は足腰守護の神仏として古くから信仰を集めたという。幼い頃、足の悪かった私のために、祖母が願掛けに参詣したという話を聞いたことがある。

その話を聞いたのは高校生の頃で、その時私は山岳部に入っていた。当時、祖母が参道の茶屋で休憩していると高校生くらいの山登りの格好をした子が、茶屋に水をもらいに来たんだそうだ。茶屋の主人は、忙しいのを理由にそれを断ったんだそうだ。その子が可哀想だったと話していた。

大した話ではないが、なぜか記憶に残る。世の中で善意に巡り会えるのは、実はまれに見る幸運だ。そういう意識を私が持つのは、年長者のこうした話を聞いたことによるのかもしれない。

子の権現の創建は10世紀のことで、子ノ聖という方が、ここに十一面観音を祀ったのが始まりだという。子ノ聖は、生来才知するどく仏教に通じ、生誕が子年子月子日子刻であったため人々に子ノ日丸と呼ばれたそうだ。ちょうど今年、2020年は子年に当たる。干支で言えば、庚子年。前の庚子年である1960年が私の生まれ年。つまり私、今年還暦となる。

その還暦を前にして、昨年3月をもって36年勤めた教員という仕事を辞めた。60歳定年制なんだけど、それを待たず、1年ではあるけれども早期退職をしたことになる。

年金をもらえるようになるのが65歳になっちゃうのに合わせて、しばらく前から65歳までは雇用を保障するってかたちになってる。再雇用ってやつだな。それを今度は、“70歳までは”なんて声もあるそうだ。私の周りにもそういう人が多かったんだけど、私はまっぴら。世の趨勢に逆行しようというわけではないんだけど、1年早くやめたのは、どっか天邪鬼な気質が働いたかもしれない。


宝島社  ¥ 1,518

曽野綾子+田原総一朗+弘兼憲史+志茂田景樹+菊池和子+荻原博子ほか
曽野綾子 無理な努力はやめて、いい加減に生きる
田原総一朗 僕にとっての「死」とは
弘兼憲史 「自分ファースト」で生きてみる
志茂田景樹 自分自身と向き合い、自分自身と戦うのが仕事
荻原博子 老後資金を投資でつくる人はバカです!
近藤 誠 「がん」は見つけない、手術しない
池田清彦 最終的に残るのは「人に褒められる」こと
勢古浩爾 「~しなさい」という圧力にうろたえてはいけない
鈴木秀子 「老いる」とは“生きる知恵"を深める大切な時期
中村仁一 「老い」と「死」に医療は無力
中島義道 「死を納得すること」が最後の課題
菊池和子 最期まできちんと生きたいから
内海桂子 年齢はもう100歳に近いけど


今のところまだ、曽野綾子さん、田原総一朗さん、弘兼憲史さん、志茂田景樹さんまでしか読んでないんだけど、この人たちはいずれも、いわゆる勤め人じゃない。自由業の人たちだな。しかも、そのまま仕事を続けておられる。

私がこの本を買い求めたのは、この“60歳”を定年退職の区切りの歳と思えばこそ。長く勤めた仕事を辞めて、そのあとをどう生きるかという指標を求めてのこと。上記四人のお話も非常に興味深く読んだが、“長く勤めた仕事を退いてその後”という点においては、どうかな。

ただ、《定年:政府が打ち出す「65歳定年」「70歳雇用」に戸惑う企業》というコラムがある。

そうそう、安倍首相の言い出した《一億総活躍社会》ってやつね。これは年金支給開始年齢の引き上げとのからみで、無年金状態を解消する措置として出てきた話だね。年金支給が70歳近くに引き上げられれば、法定定年年齢が65歳となり、再雇用期間が70歳となる。

だから「いざ、《一億総活躍社会》だ!」なんて言われると、天邪鬼の気質が腹の中で首をもたげてくる。


同じ職業だった兄は再雇用で働いている。もう65歳なので、3月で再雇用期間も終わるはず。それでも4月からも、時間講師を続けると言っていた。再雇用期間を70歳まで延ばすという話もあるが、企業側にすると厳しい問題なんだそうだ。それがリストラや賃金の削減といった形で現役世代にしわ寄せされるのは可哀想。

教員ならやりようもあるかもしれないが、やっぱりなんか得意分野を持たないといけないみたいね。50歳くらいになったら、その後のことを考えていろいろな資格でも取っておくとかね。

背に腹はかえられないと言うことになれば、私だって仕事をしなけりゃいけないことになるんだけど、今のところなんとかなりそうではある。“どうしても”ってことになれば、高校の地歴公民なら教えられる。時間講師なら勤め口もあるだろう。そのほかの得意分野っていったら、もう、山に登るくらいしか能がない。人手の足りない山小屋に住み込むくらいのことしか出来ないな。

弘兼憲史さんが、「女房とは別々に、それぞれの人生を家庭に縛られることなく、好きなように生きるのがいい」って言ってるけど、そりゃ確かにそうだね。死ぬまで支え合って行きたい人はそうすりゃいいし、どちらかが病気になっても知らんぷりとはいかない。お互い元気でいられる間は、それぞれ好きなようにやるのが良さそうだな。

私が仕事に行ってる間、家は連れ合いの場所だった。その場所に、昼間も私がのさばるのは、連れ合いにしてみれば、思うところもあるだろう。連れ合いにとって、都合のいい相手でありたいんだな。いて欲しいときには邪魔でない状態でいて、いて欲しくないときにはいない老人。

ちょくちょく山をほっつき歩っていて、必要なときに帰ってくる。家にいるときは、掃除、洗濯、食事の準備、繕い物、何でも自分のことは自分で出来て、連れ合いの分も一緒にやっちゃうみたいなね。

今のところ掃除、食事の準備、繕い物くらいは出来るようになった。あと衣類も自分で管理するようになりつつある。それでも連れ合いの目は、・・・なんか厳しいんだ。この間へべれけで帰ってきたからかな。





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“中国”『変見自在 中国は2020年で終わる』 髙山正之

これも、いい歳をして深酒に溺れた報いなのか。満を持して出かけた山歩きだというのに、腰の具合がおかしくて、あきらめて帰る羽目になってしまった。

全部、前の晩の家に準備をして、あとは着替えてご飯を食べて出かけるだけにしておいた。しかも、ちゃんと5時には目を覚ました。その時点で、すでに違和感はあった。でも、大したことはなかったし、違和感もすぐに消える質のものと思っていた。ザックを車に積み込むとき、まだ違和感はあるものの、これ以上悪くなるとは思っていなかった。

まだ明け切らない6時半に車で出発。登山口の駐車場まではおよそ1時間。初めての場所なので緊張感はある。道は大丈夫だろうか。凍結はないだろうか。そんなことを考えていたら、腰のことなんか忘れていた。

最後に峠を越えた。峠の登りで道が黒い。凍結しているようだ。ローに落として慎重に走る。早く最高点を超えたい。最高点でトンネルに入る。出口は下りになるはず。ようやくホッとする。峠を越えて、登山口への最後の登りとなる。今度は白く霜が凍り付いている。それもすぐ終わり、登山口の駐車場に到着。

身なりを整える前に、登山口を確認した。標識もしっかりしていて安心する。身なりを整えようと車に戻り、ハッチバックを明けて片肩にザックを担いで車から下ろそうと思ったら、腰に力が入らない。

ザックを型から外して、身体を動かしてみる。・・・1時間車を運転している間に、腰はすっかり悪化していた。・・・天を仰ぐもどうにもならない。また1時間車を運転して帰るしかない。

1時間後、家に帰った。荷物は車に入れたまま、居間に入って横になった。それきり動けなくなった。

今、横になってから10時間が経過して、ようやく動けるようになって、これを書いている。今日は、動けない間に、読書が進んだ。





新潮社  ¥ 1,595

世界の正しい歴史を知り、真実を読み解いて、世に蔓延るまやかしを一刀両断!
第一章 今日も朝日にウソが載る
第二章 世界に蔓延るデタラメの数々
第三章 非道国家はますます健在
第四章 歴史を知れば全てが分かる
第五章 困った隣人とどう向き合っていくか


徳川綱吉に四十七士の切腹を進言した荻生徂徠は牛込から品川に引っ越したとき、「徳の国に近づけた」と喜んだという。孫文にだまされ続けた宮崎滔天は、黄浦江をさかのぼってはじめて上海を見たとき、「涙が止まらなかった」と『三十三年之夢』にあるという。

孫文の趣味は女。これは本人が犬養毅に聞かれていったこと。広東蜂起に失敗して日本に逃げてきたときも、15歳の浅田春と14歳の大月薫に同時に手を出すロリコンぶり。世界を股にかけて革命を語り、金を出させて女と遊ぶロリコン詐欺師。

徳の国の刑罰は凄惨で、生きたまま生皮を剥ぐとか、三日かけて体中の肉を削ぐ凌遅の刑などというのがある。日清戦争においては、生け捕った日本兵の耳と鼻を削ぎ、目をえぐり、さらに性器を切り取って、それを口に押し込んで窒息死させた。海戦においては、停戦して幸福信号旗をあげ、日本艦が近づくと魚雷を発射して遁走した。

最近のことだが、尖閣で“中国”の漁船が巡視艦に体当たりして船長が拘束された。その直後に“中国”に進出していたフジタの社員4人が、スパイ容疑で拘束された。船長は19日間拘束されたが、フジタの社員も19日後に解き放たれた。

習近平は、「われわれの血に侵略のDNAはない」と公言しながら満州人、チベット人、ウイグル人を根絶やしにしようとしている。国際的批判に対しては「内政干渉だ」と開き直る。

本来、歴史的な“中国”とは万里の長城の内側を言う。時にその外に出るのは外から来た民族が建てた王朝だった。最後の王朝の清は万里の長城の内側を支配した満州人とモンゴル、チベット、ウイグル人の同盟国家であった。

アメリカ合衆国国務長官のスティムソンは清王朝の故地である満州を“中国”の領土であるとして、日本を“中国”に対する新薬社として悪役に仕立て上げ、“中国”を日本に対抗させた。蒋介石に武器と金をつぎ込んで日本にけしかけた。済南事件では16人の日本人が惨殺され、福州事件では教師夫婦が殺され、250人の日本人が無残な下をさらすことになる通州事件を経て、7万の蒋介石軍が日本租界に侵攻してくる第二次上海事変へと続いていく。

誠実を貫き通すことは悪いことではない。しかし、時にはそれにつけ込むことを狙っている輩がいる。それを承知で相手を利することはない。相手に隙を与えず、うまく立ち回ることだ。国際政治の真実を知れば、それがよく分かる。





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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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