めんどくせぇことばかり 2020年03月
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『新聞という病』 門田隆将

朝日新聞が謝りましたね。・・・この間のやつね。

JCASTニュース 2020/03/14
朝日新聞社広報、編集委員の「不適切な投稿」を謝罪 新型コロナを「ある意味で痛快」と表現
https://www.j-cast.com/2020/03/14382242.html
(全文)
朝日新聞社広報の公式ツイッターが2020年3月14日、同社の小滝ちひろ編集委員を、専門的な情報発信を担う「ソーシャルメディア記者」から取り消したと発表した。

「報道姿勢と相容れない行為だった」

小滝氏は13日、新型コロナウイルスをめぐり、ドナルド・トランプ米大統領の発言などに触れた「朝日新聞デジタル」の記事を紹介しつつ、
「あっという間に世界中を席巻し、戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」
とツイート。

不適切なのではないかとの指摘が相次ぎ、のちにアカウントは削除された。これを受けて、広報ツイッターは14日、同氏の投稿を「不適切な投稿」とし、「報道姿勢と相容れない行為だった」と重く受け止めていると投稿。「本人が説明やおわびなしにアカウントを削除したことも不適切でした。深くおわびします」と続けた。加えて、「ウイルスの威力の大きさを表そうとしたようですが、『痛快』という表現は著しく不適切で、感染した方や亡くなった方々のご遺族をはじめ多くの皆様に不快な思いをさせるものでした」として、同氏の「心からおわびします。深く反省しています」とのコメントを併せて掲載した。


大変興味深い記事だった。なにしろ、これにはニュースになる要素が二つある。一つは朝日新聞の記者が、またやっちゃったこと。そしてもう一つは、朝日新聞が謝ったこと。当の記者の「心からおわびします。深く反省しています」というコメントとともに、社員の不適切な言動に関して「深くおわびします」と、社としても謝罪していることだ。

当の社員の発言については、「報道姿勢と相容れない行為だった」としているが、これに関しては疑いが残る。いつもの朝日の考えを、ついつい口に出して入ってしまっただけのように思えるんだ。

だって、これまでだってさ。



『新聞という病』    門田隆将


産経セレクト  ¥ 968

日本の新聞は、なぜ今、「国民の敵」となってしまったのだろうか。
第1章 朝鮮半島危機に何を報じたか
第2章 報道は歴史を直視しているか
第3章 「謝罪」の後の主義主張
第4章 命より憲法という観念論
第5章 なぜ「現実」を報道できないか
第6章 “ビラ”になった新聞
第7章 自ら放棄する言論の自由



朝日新聞は令和改元に関して、「首相がこだわる国書を選び、談話も自ら発表した。そんな姿勢に元政府関係者は眉をひそめる。“時の首相の思いが強調される形になるのは避けた方がいい。元号は時の政権のものじゃなくて国民のものなんだから”」と書いた。

2017年3月6日、在日米軍基地を標的にした訓練と明かした北朝鮮の弾道ミサイルは、移動式発射台から同時に四発発射され、約50キロの範囲内に着弾させた。4月5日には米中首脳会談を前に新たな弾道ミサイルが発射された。

新聞は3月4月の2ヶ月間、ひたすら「森友問題」を追いかけ続けた。もともと豊中市の共産党市議が、教育勅語を朗読させる学園は許せないと宣言して仕掛けた政治闘争だった。これにメディアが乗っかり、首相の直接関与での追及が無理ならば、「忖度」なる言葉までひねり出して、推測に推測を重ねて不毛な議論を繰り返した。

北朝鮮は、平昌オリンピックに金正恩の妹の金与正を送り込んだ。文在寅に兄の親書を渡し、南北首脳会談を持ちかけた。これを朝日新聞は、「北朝鮮の狙いがどうあれ、南北の指導者による直接の話し合いは本来、あるべき姿である。同じ民族同士が少しでも和解を進め、朝鮮半島の根本的な対立の構図を変えていく努力を重ねることは望ましい」と報じた。

2018年12月20日、韓国海軍艦艇が海上自衛隊哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した。これを追及された韓国は、「日本は人道的な救出活動中のわが艦艇に低空威嚇飛行を行なった」と日本に謝罪を要求した。

この時、朝日新聞の特別報道部の次長である鮫島浩さんは、以下のようにツイッターに投稿している。
《安倍政権は数々の嘘を重ねてきた。不都合な事実は隠蔽し改竄までしてきた。御用記者を使った印象操作も日常茶飯事だ。防衛省はイラク日報を隠していた。レーダー照射を鵜呑みにしろという方が無理だ。度重なる悪行でとっくに信用を失っていることをまずは自覚すべきだろう。 》

・・・ほらね。

朝日の本当の報道姿勢が、ついつい口をついて出ちゃったと考えた方がよさそうだ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『油揚げ、豆腐、こんにゃく』 有元葉子

お寿司と言えば、お稲荷さんのことだった。

そういう人、多いでしょ。・・・多いよね。・・・多いはず。・・・どうなんだろう。

何しろ海なし県の埼玉出身ですからね。しかも、私が生まれた秩父は、とにかく輸送事情が悪かった。陸の孤島が常態だった。・・・それは言い過ぎにしても、物流につながる道路は140号だけ、鉄道は秩父鉄道だけ。

西武鉄道が秩父まで通じたのは、今から50年前。私が小学校4年生の時。西部線沿いに、車で飯能にも抜けられるけど、峠越えの道だからね。ここにトンネルができて大型車が通るようになったのは、私が22歳の時だ。

おかしな話なんだけど、そうなると生活全般にわたって外(秩父盆地の外)の人たちと時差が生まれる。好きな本の記憶、映画の記憶、遊びの記憶、さまざまな風物の記憶が10歳以上年長の人と同じことが良くあった。竹の子の皮に梅干しをくるんでしゃぶるのがおやつだったなんて、連れ合いの両親もそんなことをしてたって。

子どもの頃、海の魚は鮭とめざし。どっちも、今は欲しくてもスーパーには売ってないくらい塩っぱいの。あとは、アジとサンマの開き。アジやサンマは、開きで海を泳いでるんかと思ってた。・・・それはないやろ!

たしかに、それはない。それはないけど、魚が出たときには、うれしかった。身を余さずに食べた。連れ合いと一緒になった頃、「山育ちなのになんでそんなに魚を食べるのが上手なの」と驚かれた。

だから当然、お寿司というのは、お稲荷さんのこと。江戸前寿司の握りというものがあるのは、大人から話としては聞いたが、塩辛い鮭や開きの握りくらいしか思いつかないんだからどうしようもない。

“お寿司”はもちろん母の作ったやつ。お寿司を作る日は、前の日に、いつも回ってくる豆腐屋から油揚げをたくさん買うから分かる。あしたは“お寿司”だってなると、ワクワクする。しかもそれは、親戚の叔父叔母がいとこたちを連れてくるときが多かったから、“お寿司”の記憶は、バラ色、いや黄金色に輝いている。

母の“お寿司”は、最近、何かの折に食べる市販のものと比べると、甘さ控えめで、かつ油揚げが柔らかい。下ごしらえをしないで、砂糖をたくさん使うと、油揚げが甘いばかりでゴアゴアしちゃう。これは田舎くさい。その点、連れ合いの“お寿司”は母のものに似ていて、とてもうれしい。

この本は、油揚げと豆腐とこんにゃく料理の本。《日本のソウルフード》と有本さんは言うが、まさにその通りだと思う。




家の光協会  ¥ 1,760

いつも使っている食材が、こんなにおいしく食べられるなんて!
油揚げ・厚揚げ・がんもどき
豆腐
こんにゃく・しらたき


この間、土井善晴さんも言ってた。「お揚げさんを、おいしくいただくには、この手間を惜しんではいけません」

“この手間”ってのが、鍋に湯を沸かし、熱湯に押さえつけて、ほんの少し湯がき、ざるにあげて水気を切ること。油抜きだな。熱湯を回しかける油抜きが一般的だけど、面倒でもこれをやると仕上がりが違う。関東で言う油揚げの甘辛煮、関西で言う油揚げの炊いたん。柔らかい油揚げが炊けるかどうかは、これで決まる。炒めたり、焼いたりするときは、油抜きの必要はないそうだ。

この“炊いたん”は、うまい。これは使い勝手が良い。先日は、うどんにのせて、きつねうどんにした。もちろん、“お寿司”になる。面白いのは、短冊の“炊いたん”は小鉢に入れて、ご飯のお供にしてもいい。丼にご飯を盛り、のりを敷いた上に短冊にした“炊いたん”を散らしてきつねご飯もいい。卵でとじて、“炊いたん”丼も、間違いなくうまいだろう。

大村益次郎は、村田蔵六を名乗った頃から、酒の時は、いつも豆腐をつまみにしたという。そのままでうまい。醤油をかけてうまい。刻みネギをのせてうまい。暖めてうまい。味をつけてうまい。・・・何をしたって、豆腐はうまい。

この本にもあるんだけど、この間、煮たほうれん草と一緒にミキサーにかけて、スープにした。このやり方でもうまい。これはたまたまだけど、今日の夕飯のおかずは麻婆豆腐だそうだ。

なんてことだ。

さて、こんにゃくだ。

あの怪しい根っ子を食えるように工夫したのは、やはり、“中国”の食うや食わずだろう。

おでんに使うこんにゃくなんて、味が入りにくいよね。今まで私が食べたこんにゃくに煮付けの中で一番うまかったのは、埼玉県東秩父村大内沢のみかん農家のおばあちゃんが作ったやつ。しっかり味が入っていて、「ええ、こんにゃくがこんなにうまくなるのか」ってビックリしちゃった。

秩父の山村は、こんにゃく農家も少なくないから、ここのものだけではないでしょうが、ちゃんと作ったこんにゃくは、ちゃんとうまい。


テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『陰陽五行で分かる日本のならわし』

埼玉県東秩父村大内沢に二日連続で行ってきた。

先日のブログで紹介したけど、この大内沢の花桃がすごかったって言ってたら、連れ合いも行きたいってことになった。重ねて、20日のお彼岸の中日に、孫を預かることになって、18日に行くことになって、「なら、そのあとに大内沢に寄ってみよう」ということ。

お墓は埼玉県の鳩山町にある霊園で、30年以上前に義父と連名で建てた。今は、生きて会うことのできなかった私たちの娘と、義父母が眠っている。中日の二日前と言うことでお参りの人は多くなかったが、お互いに声を掛け合って、鶯の声に耳を傾けた。

墓参りを終えて、東秩父村に向かった。前の日以上に温かい日和で、人出も多く、駐車場はギリギリだった。平日にこれじゃ、週末は大変だろうと思わされた。

花は、日を追って、ますます見事だった。

桃は邪気を払うという。“中国”から伝わった話だろうが、孫悟空は西王母の桃を食べてすごい力を手に入れた。花にも力があるという。桃の花を杯に浮かべて飲めば、邪気を祓い、寿命を延ばすらしい。杯に浮かべずとも、これだけの桃の花に囲まれれば、ずいぶん寿命も延びたろう。それとも私をおおう邪気が多すぎて、それを払うので手一杯だったかも知れない。なにせ、天邪鬼を自認する私だ。

験を担ぐなんてのは迷信だと切り捨てるのは、とても容易なことだ。だけど、そういうものを全部切り捨ててしまうと、分からなくなってしまうことがある。人がいかに世代をつなぐために、多くのものを犠牲にしてきたかということだ。迷信は人を苦しめていることが少なくないが、その多くは、かつては社会に恩恵をもたらす天与の法則だった。

迷信への憎悪をあからさまにする人を見ると、理解しつつも、私はちょっと悲しい。

日本人は言葉に敏感で、日頃から言葉に戯れ、言葉で遊ぶ。業界用語と言いながら、芸能界では言葉をひっくり返す。だけど、これは日本人の言葉遊びの特徴で、昔からやっていたらしい。

“験を担ぐ”の“験”は、考えてみればよく分からない。これ、もともと担いだのは“えんぎ(縁起)”だったようだ。それを言葉遊びの好きな業界人が、“ぎえん”とひっくり返して“げん”になったようだ。


『陰陽五行で分かる日本のならわし』    長田なお


淡交社  ¥ 1,320

なぜ、節分の鬼は牛のような角で、虎柄のパンツをはいているの?
陰陽のはなし
陰陽五行のはなし
付録 易のはなし


お祝いの席で使う箸に、柳を素材としたものが使われる。真白い柳の木肌が清浄を表す。祝い箸は丸い橋で両端が細くなっている両細箸。これは一方で神様が召し上がり、もう一方で私たちがいただくという神人共食のための神聖な箸。

柳は“家内喜”と書いて、言霊の意味からも喜ばれていた。反対に割り箸の“割る”は、祝い事では嫌われ、形状が四角いのも、四が死に通じ、かつ陰陽の陰を表す数字であることからも遠ざけられた。

“割る”は、特に結婚式では嫌がられたことから、結婚式のお祝いには割り切れないと同時に陰陽の陽にあたる奇数のお金を包む習慣がある。

おせち料理は、年神さまに捧げる供物。神様の前から下げて、家族で食べる直会の食べ物。

黒豆の黒は、魔除けの役割を果たし、邪気を払ってマメに暮らせるように。

かずのこは子宝に恵まれるように、子孫繁栄を願って。

ごまめ田作りは、五万米と書いて、ごまめと読む。片口鰯で五穀豊穣を願う。

金団は黄金色の塊で財運を祈る。

蒲鉾は、紅白の蒲鉾の形が日の出に似ているから、元旦の初日の出を祝う。

昆布巻は、「よろこんぶ」と喜ぶに通じる。

「迷信だ」と吐き捨てるのは簡単だけど、そう考えて、身近な者たちとともに、いつまでも健やかに暮らしていきたいと切に願った人々の思いまで捨ててしまうのは、やっぱり間違っていると思う。

ただ、その迷信が人を悲しませることもある。時には命さえ奪ってしまう場合もある。背景にある“思い”が、いかに身近な者のためを図るものであるとしても、それは排除しなければならない。

いろいろなことを“知る”ってことは、そういう意味で大事なんだと思う。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

桜『日本の心を旅する』 栗田勇

今年は花が早い。

関東でも各地から、桜の開花の声を聞く。一週間で五分咲きだという。十日で七分というところだろうか。あとは、その時期の陽気によりけり。

埼玉県のへそを自称する東松山市では、まだ開花の声を聞かない。この週末でちょうどかな。一週間で五分、十日で七分となると、それが3月30日。あとはこの時期の陽気によりけりとなると、孫の入学式に向けて、やきもきした日々を過ごすことになりそうだ。

春の心はのどけからまし

新型コロナウイルスに振り回される世界。致死率も、決して低くはない。しかし、歴史の中で人々を絶望に追い込んだいくつかの伝染病には、比べるべくもない。繰り返し繰り返し人類を苛んだそれらとは違い、比較的短い時間で対応し、終息に向かわせることができるだろう。

直に平穏を取り戻しても、私たちはこの伝染病の世界的蔓延と、それに伴う社会機能喪失の危機から、必ず学び取っておかなければならないことがある。

第一に、それらの新たな病気が発生する場所は限られているということ。サーズの発生は2002年、たったの18年前のことだ。新しい伝染病が発生する場所として、“中国”はその可能性の大きな場所だということだ。

第二に、一旦事があれば、白人は容易にアジア人に差別の目を向ける。

第三に、韓国に理屈が通じると思ってはいけない。





春秋社  ¥ 時価

私たち日本人の“こころ”と“いのち”。その本当の煌きとは。新たな“生”の息吹に向けて
Ⅰ 色はにおえどーこころの旅路
Ⅱ 美と無常を生きる
Ⅲ 書ー宇宙の声を聴く
Ⅳ 聖と旅する



おそらく、短期間で収束すると私は信じるが、それでも、それまでの間、絶えなければならないことはいろいろあるし、あきらめなければならないこともある。

そのうちの一つが、花見の宴だ。

都で桜の宴が始まるのは『伊勢物語』のころからだそうだ。

古代から万物生成の大神大山津見神の娘で春と豊穣の神木花佐久夜毘売が桜の木に依り降ったとされ、桜の木の下は聖域となり、祝宴が行われてきた。今日の「お花見」の源流であるという。

降臨したニニギノミコトは、木花咲耶姫を見初めて求婚し、大山津見神がともに差し出した石長姫を断って、寿命を持つことになる。

やがて散りゆく桜に木花咲耶姫が依り降ったことは、それ故に意味深い。限りある命故に、生きることは尊い。生ききった命ならば、散るのもまた美しい。

花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける 西行
昔たれかかる桜の花を植えて 吉野を春のやまとなしけむ 藤原良経
吉野山こずえに花を見し日より 心は身にもそわずなりけり 西行
春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり 西行
ねがわくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃 西行
散る花を惜しむ心やとどまりて また来ん春の誰になるべき 西行
散る桜 残る桜も 散る桜 良寛
世の中に絶えて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし 在原業平
散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき 在原業平




テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

花桃を見に 登谷山・皇鈴山

多くの方々の“花が早い”という活動報告を見て、とっておきの里山に行ってきた。

場所は東秩父村の大内沢。秋から初冬のみかん狩りで賑わうところ。子供が小さい頃は、毎年、みかん狩りに訪れた。今は春の花桃でも知られるようになった。

まずは、釜伏峠に通じる中間平の駐車場に車を置く。ここの展望テラスからは関東平野が一望できる。こういうところがあるのを知らなかった。当初は、東側からここに上ってくる予定だったが、台風によるものだろうか、道路の崩壊があって通れない。やむを得ず、北側に周り、鉢形城跡の方から上がってきた。すれ違いができないカーブが連続する登り道が2kmほど続く。嫌な道だった。
IMG_6295.jpg (中間平展望デッキ  関東平野一望)

ここから直接大内沢に向かう道があるが、今朝は冷え込んだ。昼には気温が上がるという。花桃もさらに開くかも知れない。まずは釜伏峠と釜伏山。そこから登谷山、皇鈴山と縦走し、二本木峠から下って、大内沢に向かう。

釜伏峠までは、すべて舗装道路。峠から釜山神社に向かう。参道に狛犬が多い。基本的にはオオカミのようだ。いろいろなタイプがあって面白い。祭神は大山津見神。山の神様だな。
IMG_6297.jpg IMG_6299.jpg  (狛犬1 オオカミ型)             (狛犬2 オオカミ型)

IMG_6300.jpg (釜山神社 狛犬3 オオカミ型 たくましい)

IMG_6304.jpg IMG_6305.jpg (狛犬4 普通の犬じゃん)          (狛犬5 オオカミ型? ブースカ型?)  

参拝して、奥の院のある釜伏山を目指す。10分ほどだが、最後の登りは大きな岩がゴロゴロしているところをよじ登る。
IMG_6306.jpg IMG_6307.jpg  (釜伏山 奥の院)              (狛犬6 オオカミ型)

奥の院まで上がると、浅間山が大きな姿を現す。左手には両神山。右手に谷川連峰が感じられるが、樹林が切れるところがない。この先のコースに期待して、峠まで戻って、先へ進む。
IMG_6310.jpg (浅間山 ドカーン!・・・噴火じゃありません)

IMG_6311.jpg  (両神山)

ここからはまた、舗装道路。登谷山までは、山頂までずっと舗装。しかも途中から、左手の斜面が全部ソーラーパネル。こうなるともう、山ですらない。「関係者以外立ち入り禁止」と書いてある。だれだ?関係者って。私は、好きで登ってきたが、関係者ではないのか?IMG_6315.jpg

・・・関係者は、鳥取市にある株式会社で、設備の所在地は〈茨城県秩父郡皆野町三沢字長林4280番2、10〉とある。ここが埼玉県であることさえ分かってない奴に、山を壊されて、私は悔しい。
IMG_6317.jpg ( 正面に三宝・甲武信・木賊 左手に和名倉)


登谷山の景色は素晴らしい。素晴らしいが、山頂にはたばこの吸い殻が散乱していて、とても嫌だった。気持ちが萎えて拾わなかったが、次に行ったときは拾う。
IMG_6321.jpg (北関東の平野と、日光から尾瀬、赤城の山々)

IMG_6323.jpg  (男体山を挟んで、女峰山と太郎山)

IMG_6324.jpg (日光白根)

IMG_6325.jpg (燧ヶ岳) 

IMG_6326.jpg  (谷川の山々)

IMG_6327.jpg ( 荒川をたどってみよう)

ここからはようやく山道。さすがに山道には、馬鹿は入ってきてないらしく、たばこは落ちてない。・・・ホッとする。
IMG_6328.jpg IMG_6335.jpg(山道を歩けるのがうれしい)

皇鈴山の登りからは、大内沢の花桃の里が見下ろせた。斜面がピンクに染まっている。かえりにあそこを通る。楽しみだな。
IMG_6330.jpg ( 皇鈴山から花桃の郷が見えた)

IMG_6334.jpg (皇鈴山 両神山を背景に) 

釜伏山に登るときは堅く凍っていて、靴をかんでくれた霜柱が融けてきた。道の黒いところを踏むと、ずるっと滑る。これは二本木峠から下る時もずっとそうだった。IMG_6336.jpg
二本木峠からは、山道と舗装道路が両方あって、山道の途中から舗装道路に移行する道が、25000図に書いてある。大内沢花桃の里への近道に見える。いったん林道まで下ってしまい、登り返してその道を探すが、どうしても見つからない。だいたいの見当をつけて進んでいくと、ようやくそれらしい道に合流する。

この道ならかなり短縮できる。舗装道路も見え隠れしてまもなく合流かと思ったら、道がなくなる。「このあたりのはず」というあたりに進むと、沢の音が大きくなる。危険を感じて、戻ることにした。だいぶ時間を使ってしまったが、元に戻って、確実な道を通って、花桃の里を目指す。

今日は7割方が舗装道路。いや、8割か。

いくつかの尾根と谷に遮られた大内沢の集落を、蜘蛛の巣のようにつなげる道を、蜘蛛になったつもりでたどって、花桃の里を目指す。

さっき、上から見た花桃の里の中に入った。・・・極楽だな。うちに帰って「極楽だよ」って連れ合いに言ったら、「桃源郷でしょ」と言い返された。
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舗装道路歩きが多いからなめていたら、距離が長くなってしまって、・・・疲れた。
IMG_6352.jpg (200えんでした)

この日歩いたのは、以下のようなコース。
花桃の里地図  


テーマ : 登山
ジャンル : スポーツ

『鐘よ鳴り響け』 古関裕而

昨年の春、仕事を辞めた。

山に行ったり、川に行ったりして過ごすつもりで、とりあえず仕事を辞めた。山に行き、川に行くと言っても、仕事を辞めると、家にいる時間が一番長くなる。テレビを眺めているのも能がないので、ラジオを聞いていられる環境を整えた。FMで音楽でも聴きながら本を読むのがいい。

ニュースにしても、テレビは余分な情報が多すぎる。ラジオの方が、それがない分だけ良い。お昼のニュースをラジオで聞くと、番組は、そのまま“ひるのいこい”に移行する。

ラジオから“ひるのいこい”のテーマ曲が聞こえてくる。・・・ホッとする。これを聴くことができるようになったことは、仕事を辞めて良かったと思えるようになった理由の一つでさえある。




これが古関裕而の作曲だとは、最近知った。


『鐘よ鳴り響け』    古関裕而


集英社文庫  ¥ 704

昭和史に燦然と輝く伝説の作曲家小関裕而の、唯一無二の自伝
出会い
一歩目の記
万感を胸に
鐘よ なお鳴り響け
舞台は回る
一筋の道


明治42年生まれか。1909年、日露戦争の勝利から、第一次世界大戦へ向かう頃か。

明治維新以来、欧米列強に対校できるだけの力をつけるため、努力してきた。数々の失敗を重ねながらもなんとか力をつけて、日清日露の戦争に勝ち、ようやく努力の成果が目に見えるようになった頃だ。

やがて第一次世界大戦が起こると、対岸の火事とも言えるこの戦争で、日本は空前の好景気に沸き立つことになる。戦場と化したヨーロッパで生産力が低下し、その分の需要が発生したことによる。戦後、日本経済は一転して不景気となる。戦後恐慌と呼ばれる。ヨーロッパ諸国の生産能力が回復すれば、当然のことだ。

第一次大戦後のベルサイユ体制においては、日本は国際関係において非常に重要な地位を占めることになった。この地位は、明治以来の努力の成果であった。同時に、1920年代は慢性的な不況続き、坂の上の雲を追い求めた明治と違い、社会は複雑な様相を呈するようになっていった。

それが、古関裕而が生まれ育ち、世に出るようになっていく時代だった。古関が20歳の時に、世界恐慌が起こることになる。22歳で満州事変、28歳で日中戦争、32歳で大東亜戦争、36歳で敗戦か。

すごい時代を生きてきたんだな。

いろんな意見があるだろうけど、この人は、つねにその時代に生きる人たちのために曲を書いてきた。聞いてうれしい曲を書いてきた。

“栄冠は君に輝く”、“紺碧の空”、“オリンピック・マーチ”あたりは有名だけどね。有名な軍歌も古関裕而の作曲が多いんだな。昭和35年生まれの私だけど、周りに歌う人が多かったせいか軍歌はよく知ってた。“若鷲の歌”、“ラバウル海軍航空隊”あたりなら、今でも歌える。

そういう曲も作りながら、戦後の人々を励ます歌も作ってるんだな。面白い。常にその時代時代の人々を励ます歌を作っていたと言うことか。

“モスラ”も古関裕而なんだってよ。


テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

『このレシピがすごい!』 土屋敦

いやー、こんなに良い本なのに、読んでなかった。

ブログで紹介している本は、新刊も、古本も、図書館の本もごちゃ混ぜ。読むにあたって計画性はない。本屋に行ってはたまたま目についた本を買い、古本屋でも同様、図書館の場合は代わり映えしないので、とりあえず一周してみる。その都度、持って帰れる分量を持ち帰る。

当然ながら、本はたまる一方。連れ合いの神経に障るのは分かってるから、いつ何時捨てられても文句はないという約束になっている。「これだけは捨てないで」という本は別にしてある。でも、捨てられたことはない。

自分で捨てたことはある。大処分は、今までに二度やった。二度目の大処分以来、義父母が亡くなり、娘と息子が独立して、かつて6人で暮らした家に、連れ合いと二人で暮らしている。もう、本の大処分はしなくても済みそうだ。

とりあえず最近手に入れた本は、身近に置いてある。読み始めて、気持ちが入っていかない本は、読むのをやめる。苦痛を感じながら読むと、読書が嫌いになる。そのため、四・五冊が一気になくなることがある。

そんなときは、過去の本にあたる。過去の本の中には、間が悪くて読んでない本もある。気持ちが入っていかなかったけど、今度は面白く読めそうな本もある。読んだけど、もう一度読みたくなる本もある。

この本は、間が悪くて読んでなかった本。おそらく、他の料理の本を優先しているうちに、読みそびれたんだろう。なにしろ、料理の本とはいっても、料理エッセイで、全部文章だから。

著者の土屋敦さんは、料理研究家で書評家なんだそうだ。その土屋さんがこれまで目を通してきた料理本の中から「これはすごい」と感じたレシピを拾い上げ、料理家の料理に対する哲学、料理家自身の料理に対する姿勢を含めて紹介したものである。

なんだ、なんだ。そうか、これはと思ったレシピがあったら、一々それに入れあげておけば、こういう本ができるのか。私は、その“本”の方に反応してしまうからな。




扶桑社新書  ¥ 時価

レシピというものは、それを作った人とその家族の幸せに直接に関わっている
たなかれいこ 蓮根のはさみ揚げ
土井善晴 サンマの塩焼き
米沢亜衣 豚のカリフラワー煮
栗原はるみ たこの香味サラダ
有本洋子 絹さやだけのみそ汁
奥園壽子 豚の角煮
奥園壽子 黒豆
佐藤雅子 小あじの牛乳漬け
阿部なを にしんの醤油漬け
辰巳芳子 煮サラダ
野崎洋光 牡蛎の青海蒸し
河田吉功 ほうれん草とにんにく
辻嘉一 なめこ汁
春田光治 魚のプロヴァンス風煮込みスープ
山本彩香 ヌンクー
オーディド・シュウォーツ ラブナ
難民支援協会 ニラたっぷりの卵焼き
浅野陽 常夜鍋
檀一雄 大正コロッケ
平松洋子 揚げ卵はさみバケットサンド
丸元淑生 タラのグラシオサ風
開高健 生ウニのオムレツ










料理本の中の料理にも、もちろん思い入れは湧くんだ。だけど、一人の料理家が、あるテーマを持ってその本を作ってる。料理は、そのテーマを完遂するための展開の一つと受け止めてしまうんだ。

例えば、一人の料理家の人生を描いた小説があるとする。その料理人が心血を注いだレシピを作り上げたとする。料理人はそれを、不治の病で余命幾ばくもない愛する人のために作ったとする。愛する人は、それを一匙、口に運び、涙を流す。後に料理人は、一生、人に喜んでもらえる料理を作っていくことを、今は亡きその人に誓うんだ。

そのレシピがどんなものであるかは、もちろん重要だ。作ってみようと考えるかも知れない。しかしそれは、物語の中の、重大ではあっても、要素の一つ。

私が料理の本を読むときは、もちろん一つ一つのレシピに向き合うことになるんだけど、それはあくまでも、その本のテーマを前提としてのこと。あくまでも反応するのは、本に対してなんだな。

だけど、著者の土屋さんは、私とはやはり違う。ここの料理を検証することで、その料理家の料理への向き合い方、料理哲学みたいなものを抽出していくんだな。本を越えて、人に興味が集約されていくようだ。この本には、その上で、その人を語るに最もふさわしい料理が紹介されているというわけだ。

私は本に、それ以上のものを求めない。書いた人が誰なのかも、問題としない。だから書いた人の名前をなかなか覚えない。著者の土屋さんはそうではないね。

そんなことを始める前は、ただの失業者だったようだ。それが、本の書評を書いて、小金を手にするような生活を始めた。その始まりは、ある料理の本の書評を、《料理本批評家》というハンドルネームで送ったことだったそうだ。それが認められ、600円を手にしたことが、彼を図に乗らせてしまったようだ。

なにしろ、自分の趣味である「料理を作ること」と「本を読むこと」を両立させる《料理本批評家》のような仕事で食っていけないかと、ほとんど犯罪に近いような考えから始まったことだというのだから。

無職の男の最初の妄想から15年を経て、ご本人は、ようやく《料理本批評家》になれたとのたまう。まあ、実力でそうなったのだから、大したもんだ。しかし、私は思う。このような良い本を読んで、著者に続こうなどと言う愚か者が出てこないことを祈りたいところだ。

私の記憶に残る料理も、いくつか取り上げられていた。中には、作ってみたことのある料理もあった。後日、紹介してみたい。



テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

『道鏡』 三田誠広

道鏡は、看病禅師として病に伏した孝謙上皇の看病に当たり、それをきっかけに上皇とただならぬ関係となり、朝廷において大きな影響力を持つほどに出世した。重祚して称徳天皇となった女帝は、道鏡に行為を譲ろうとするが、和気清麻呂が宇佐八幡の信託を受けて、それは阻まれた。

道鏡は 座ると膝が 三つでき

道鏡に 根まで入れろと 詔

道鏡に 崩御崩御と 称徳言い

江戸時代には、そんな川柳が楽しまれるほどに、野心旺盛な道鏡が称徳天皇と男と女の関係になって出世したってことが常識になっていた。道鏡の巨根に称徳がメロメロにされちゃったなんて、ずいぶん言われちゃってる。

こういった説は、『日本霊異記』や『古事談』といった説話集で、面白おかしく取り上げられるようになったもののようだ。いずれも平安時代に入ってからのもので、信頼できる一次資料にあるものではないという。

さらに、鎌倉時代に成立した『水鏡』の異本には、称徳天皇は、道鏡だけでは飽き足らず、もろもろの法師のものを受け入れてセックスに耽ったため、女性器の中が極楽浄土になったとか。

さらには、道鏡の巨根になれて、さらなる刺激を欲した称徳天皇が、山芋をペニス型に削って楽しんでいたところ、それが膣内で折れて、取り出せなくなって、そのまま亡くなったとか。

ここまでひどい話になると、多くの人が疑問を抱く。あまりにも茶化しすぎだ。しかも下ネタで茶化しているので、言い逃れできない過去の人物である道鏡と称徳にしてみれば、風評被害も甚だしい。二人が男女の関係にあったなど、一次資料には何も見られない。

面白おかしい話に茶化しているが、そのもとである、称徳天皇が道鏡に皇位を譲ろうとしたというのは、ある種の道理にかなっていたのではないか。道理にかなった話であっ誰がために、それが排除されたとき、その排除にこそ、後付けで理由をつけなければならなくなったのではないか。



『道鏡』    三田誠広


河出書房新社  ¥ 時価 2,500より

有数の知識と学識を持ち、同時に呪禁力も兼ね備えた道鏡とは?
第一章 婆羅門僧正が宙に昇る
第二章 悪行は仏道の精華なり
第三章 女帝に憑いた魔を祓う
第四章 法王となり国政を担う
第五章 弓削宮に響く歌垣の声


二人が男と女の関係でなかったとしたら、この時代のなり行きは説明できないのか。

たしかに、二人がそういう関係にあったからこそ、道鏡の出世があり、皇位を譲るという“突拍子もない話”が出てくるとするのは、分かりやすい説明ではある。しかし、安易だ。道鏡を政策に関与させ、さらには皇位も譲るという状況は、称徳天皇から道鏡に対する尊敬と信頼があれば、不可能ではない。二人は精神的に結びついていたが、男女の関係ではなかったとしても、この成り行きは十分説明できる。

説明はできるが、十分ではない。それは、道鏡でない者に皇位を譲ると言うことが、一体どういう意味を持つのかを考える必要がある。

ことの起こりは、藤原不比等と言っていいだろう。天武朝には藤原氏の出る幕はなかった。しかし、持統、元明、元正という三人の女帝の時代は男系は天武朝であっても、女系は天智朝になっている。天智系と藤原氏というタッグで天武朝の田の皇子たちに皇位を渡すことを阻止するのが、持統、元明、元正の成すべきことだったのだろう。

藤原不比等にすれば、天武朝の皇親政治を崩し、自らが天皇家の外戚となることで、政治の実権を握っていく。それは短期間に、着実に進められる。女系天智系の文武に不比等の娘宮子を妻合わせ、生まれたのが女系藤原系の聖武天皇だ。さらに、聖武天皇に、かさねて不比等の娘光明子を妻合わせ、生まれたのが孝謙、重祚して称徳天皇となる。

聖武と孝謙は、藤原氏を外戚とする天皇である。天皇家よりも藤原氏の一族であることに甘んじることができれば、楽に生きることができただろう。

鍵を握ると思われる女性がいる。県犬飼橘三千代である。早くから命婦として宮中に仕え、最初、美努王に嫁して葛城王をはじめ、佐為王、牟漏女王を産む。その後、美千代は美努王と分かれて藤原不比等の後妻となり、聖武の皇后となる光明子を産んでいる。

当時は、多くの古代豪族が、藤原氏によって没落させられていく中で、長屋王、橘諸兄と、皇族及び皇族出身の者らが藤原氏による権力掌握に抵抗を繰り返していた。

そのどちらにも関係している女性である。しかし、父のもとから離れ藤原不比等に身を寄せた母を、橘諸兄は容易に受け入れるであろうか。彼は、もとは葛城王と名乗った。臣籍降下するに及び、母方の橘姓を継いでいる。母が父のもとを去り、藤原不比等の後妻に入ったことを、やむを得ぬことと捉えていたからこそ、彼は橘姓を受け継いだのではなかったか。

“やむを得ぬ”なにがしかの思いが、三千代から光明皇后に、光明皇后から孝謙・称徳に受け継がれていたとしたらどうだろうか。藤原氏の支配下にある者に皇位を譲ることに、もはや称徳は絶望していたのだとしたら。

彼女に称徳の名を贈り名した者は、彼女の怨霊かを恐れていた。称徳は、殺されたのではないか。その後、天智系の光仁天皇が立てられ、井上内親王の子他戸親王が立太子されるが、二人が光仁天皇を呪詛したと訴えられ、幽閉されて殺される。いずれも、式家の藤原百川の影が浮かぶ。

ここまで書いて、困った。本のことを何も書いてない。・・・仕方がない。そんな時代を、著者の三田誠広さんがどう書いたか、お楽しみ下さい。



テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

朝日新聞編集委員が・・・

朝日新聞の編集委員が新型コロナウイルスについて不適切な投稿をしたと明らかにし、謝罪した。

「(略)戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」

朝日新聞でも謝ることがあるんだ。

テーマ : テレビ・マスコミ・報道の問題
ジャンル : ニュース

『天皇の日本史Ⅱ』 井沢元彦

今年から天皇誕生日は2月23日。

陛下は還暦になられた。実は、ちょうどひと月遅れで、私も還暦になる。同じ昭和35年の生まれで、ちょうどひと月早く生まれた陛下を、他の皇族方とは違って、なんだか身近な存在のように感じてきた。

毎年、年が明けて3学期となり、寒の入りの時期が過ぎて立春を過ぎ、春が近づいて来たと感じる頃が陛下の誕生日で、いよいよ春本番を迎える頃が私の誕生日となる

今年は、安定的な皇位継承に向けて、政府が検討を始めることになる。それについて、陛下も誕生日の記者会見で、《現在,男性皇族の数が減り,高齢化が進んでいること,女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること,といった事情により,公的活動を担うことができる皇族は以前に比べ,減少してきております。そしてそのことは皇室の将来とも関係する問題です。ただ,制度に関わる事項については,私から言及することは控えたいと思います》と述べられた。

ぜひ、井沢元彦さんの『天皇の日本史Ⅰ』「天皇の日本史Ⅱ』あたりを国民が読んでおいて、良識を持っておかしな“有識者”を監視できるようにしたいもんだ。

そう、井沢さんの言うとおり、私たちは勇気を持って乗り越えなければならない過去がある。敗戦だ。なにしろ大日本帝国という国が崩壊し、310万人がこの戦争で死んだ。これによって精神的に強い衝撃を受けた世代が生まれた。

井沢さんはそれを「昭和ヒトケタ」生まれの人に多いと言うが、これはしっくりこない。おそらくもっと後だ。昭和3年生まれの父は、16歳で敗戦を迎え、その年の12月に17歳となる。このくらいの歳なら、ショックながらも戦争に至る道筋も理解していたわけで、GHQのWGIPにそうそう簡単にかかるようでもない。

わずかな差ではあるが、昭和11年生まれの白川英樹さんは9歳で敗戦となる。この間、白川先生の本を読んでみたが、周辺諸国のことよりも日本に対して手厳しい。今でもほどよくWGIPが効いているようなんだ。おそらく、“強い精神的な衝撃”によって、「日本が大嫌い、天皇の価値など一切認めない」となってしまったのは、「昭和ひとけた」ではなく、昭和8年以降に生まれた世代だろう。

天皇不信、国家不信になる気持ちも分からないでもないけど、いつまでもそれを引きずられても、周囲は困る。そんな嶺として井沢さんがあげている話がすごい。「・・・大丈夫なんかな」って心配になるレベル。・・・こんな話。

《たとえばここに集団レイプの被害者である女性がいるとしよう。その女性が「オトコなんてケダモノだと思っています」と主張しても、その女性にとってそれは事実なのだから仕方のないことだ。もちろん人間には思想の自由もある。しかしその女性が生物学者となって、生物学の教科書に「人間の男性はすべてケダモノである」と書くといったら、「それはマズイですよ」と言わざるをえない。個人的思い込みと客観的事実とは違う》


たしかに、天皇の存在を軍部が悪用して、国全体を引っ張ろうとした時期がある。しかしそれは、日本がかなり追い詰められた状況になってからの短い期間である。それは、天皇という存在を有する日本という国の歴史的特徴からは、ほど遠いものである。

その短い期間を除いて、日本という国の本質はケダモノではない。むしろケダモノは、違うところから日本を狙っていないか。



『天皇の日本史Ⅱ』    井沢元彦


KADOKAWA  ¥ 1,980

「令和」に必読の歴史講義。本当の日本史は、「天皇」なくして語れない!
天皇とは何か  欠史八代(第二代~第九代)
垂仁天皇(第一一代)  景行天皇(第一二代)
仁徳天皇(第一六代)  雄略天皇(第二一代)
継体天皇(第二六代)  欽明天皇(第二九代)
敏達天皇(第三〇代)と用明天皇(第三一代)  推古天皇(第三三代)
元明天皇(第四三代)と元正天皇(第四四代)  平城天皇(第五一代)
嵯峨天皇(第五二代)  文徳天皇(第五五代)と清和天皇(第五六代)
陽成天皇(第五七代)と光孝天皇(第五八代)  後三条天皇(第七一代)
長慶天皇(第九八代)  後奈良天皇(第一〇五代)
後水尾天皇(第一〇八代)  東山天皇(第一一三代)
大正天皇(第一二三代)  平成の天皇(第一二五代)


信長は、恣意的に地名を変えることが好きだったそうだ。

美濃を我が物とした信長は、その首府の井之口を岐阜と解明した。周王朝を起こした武王の父文王が都を置いたのが、この岐山。周は岐山に本拠を構えて力をつけて殷王朝を滅ぼす。その岐山にちなんで“岐”を用い、金華山を“阜”、すなわち大きな岡に見立てて“岐阜”としたという。

これにならって秀吉は、近江国今浜を長浜に改め、家康は遠江国曳馬を浜松と改めた。ところがこの家康、江戸を改めていない。江戸は穢土に通じる。汚れた地である。それは家康も分かっていて、旗印に「厭離穢土、欣求浄土」を使っている。汚れたこの世を離れて浄土に行きたいという旗印。

なぜ、そんな穢土を解明しなかったか、それを井沢さんが解説している。

江戸から今日に向かう東海道は五十三次。峠や難所があって宿場は等間隔ではないが、それでも異様に間隔の小さいところがあり、むりに五十三にあわせた節がある。

五十三に意味がある。

華厳経に登場する善財童子という悟りを求める旅人は、途中、五十三人の賢人に出会って、ようやく悟りを開く。成仏するわけだ。江戸という現世から出発して、幾多のポイントを通過して、五十三番目にたどり着く京は、悟りを開いた仏の住む浄土の世界。京はあの世、つまり死者の住む世界、その栄光は過ぎ去ったかこのものでしかない。

《天皇家を過去に封じ込める》というメッセージ。同じ世代だった後水尾天皇は教養があり学問に通じた方で、その意味が分からなかったはずはないと、井沢さんは言う。

絶世の権力者となった家康でさえ、そこまでのことをして封じ込めようとした。条件さえ整えば、天皇が大きな脅威となりかねないことを、家康は良く承知をしていたんだな。

ところが、家康は自分でその種をまくことになる。そのことも、この本には詳しく書かれている。

テーマ : 読んだ本
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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