『日御子』 帚木蓬生
![]() | 日御子 (2012/05/30) 帚木 蓬生 商品詳細を見る |
「人を裏切らず」「人を恨まず、戦いを挑まず」「良い習慣は才能を超える」
〈あずみ〉に伝わる掟である。安住、安曇、阿曇、安潜、物語で紹介された他にも、安積、安角、明澄、安津見と、〈あずみ〉を表す漢字にはきりがない。
那国の使者の一人、安住の家業である使譯として漢に朝貢した安住灰は、すでになん十代も前に、一族は漢の国の南の方から大きな船に何隻も分乗して東(あずま)に向かい、倭についたという。彼らは一族の掟を胸に散らばり、その方々で〈あずみ〉を名のった。だからどんな漢字で表されようが関係ない。掟を奉じている以上、〈あずみ〉の一族ということである。
灰は那国王に仕え、漢に朝貢し、有名な金印を持ち帰る。その様子は後漢書東夷伝に現されるところである。灰の孫、針は伊都国王に仕えて漢に朝貢した。さらにその数代後、在は弥摩大国の日御子に仕えて魏に朝貢した。魏志倭人伝に現されているところである。
〈あずみ〉の掟は弥摩大国の王、日御子にも受け入れられ、弥摩大国と諸国連合の国是ともなる。そして〈あずみ〉の末裔たちは、対立する軍事強国、求奈国をもその掟により動かそうとする。「ともに東を目ざそうと・・・」
あくまでも創作の世界の物語ですが、ところどころ知的好奇心を刺激され、心地よく読み進むことができます。〈あずみ〉の掟こそ、まさしく「和」。各国に横断的に存在する〈あずみ〉の一族が、その掟を広めることで、倭国は徐々にその国の形を整えていく。
灰の言う「なん十代も前に不老不死の薬を求めて」というのは始皇帝に派遣された除福伝説を思わせる。しかし、灰はそれを「漢の国王の命令で・・・」というが・・・、まあいいだろう。少し前の戦国・春秋の時代、長江河口域周辺から多くの難民が海に出たことは間違い無いだろう。日本には「呉」も「越」もあることだし・・・。長く縄文の生活を送った日本列島に、弥生が形成されている時期に当たる。
〈あずみ〉の掟から連想される「和」の精神、近い思想は多々あっても、自然災害の多い日本列島には独特な、そして典型的な自然との共生の思想である。決して他の地域から持ち込まれたものとは思えないが・・・。全体として楽しく読めました。

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