『完訳 日本奥地紀行2』 イザベラ・バード
![]() | 完訳 日本奥地紀行2 (東洋文庫) (2012/07/12) イザベラ・バード 商品詳細を見る |
イザベラ・バードの『日本奥地紀行2』は、新潟から東北地方を山形、秋田、青森とたどり、函館を目ざす旅。新潟で宣教活動を行うファイソン夫妻と別れて出発したのが7月12日。函館の宣教師館に住むデニング夫妻の所にたどり着いたのが8月12日とあるから、ひと月の旅。
時期的に考えれば、梅雨の終わり間近な時期から始められた旅なのだから、時期に天候に恵まれていいはずであるにもかかわらず、この度ではだいぶ雨に降り込められたらしい。やむを得ないことだとは思うが、『1』以上にバード女史の呪いの言葉が並ぶ。しかし、実際すごい旅、いや探検です。現地の人間でさえ尻込みする行程を、しかも雨に降り込められながら、濡れたまま乾き切らない衣服に袖を通す毎日。私もかつて、秩父の山中を四日間濡れっぱなしでさまよい歩いたことがある。湿ったシュラフから起きだして、水を吸い込んだテントをたたみ、湿ったザックに押しこむ。この頃のバード女史の苦労を思えば、多少の呪いの言葉もしかたがないか。
当時の日本はバード女史にさまざまな驚きを与えているが、今、この本を読む私たちをこそ、より以上に驚かせている。私たち日本人とは違う日本人が、この本には描かれている。なにか同じようで、やっぱり違う日本人が・・・
暴かれた宗教的虚構の上に気づかれた帝国の王権[皇室]。その虚構をあざける人々から表面的には礼賛される国家宗教。知識階級の間にはびこる懐疑論。下層階級[平民]の上でいばっている無学の僧侶。頂点に傑出した専制君主を抱き底辺に裸の人夫のいる帝国。この帝国の最高の信条をなすあからさまなる物質主義。さらには、キリスト教文明の成果を修正・破壊・再構築・盗用する一方で、キリスト教文明を産み出す根幹についてはこれを拒否しつつ、目標を物質的利益に定めること―このような対照性と不調和はどこに言っても存在する!
僅かな期間の見聞で、ここまで日本を分析できていることに心底驚く。日本人にキリスト教を凌ぐ“信心”があったことに目を向けることができなかったからといって、女史の才が軽んじられることはまったくない。その片鱗は感じているようすであるし・・・。日本人の猿真似に健気さを感じられないのは、やはり“進んだ国”から来たからであったろう。
宿の主人には外国人に特別料金を請求する権利があると思われる。日本人なら六~八人がしごく満足できる部屋を外国人はたった一人で使い、部屋に水を持ってこさせ、妙なものを変な時間に料理するだけでなく、全般的に、日本人の場合よりももっと面倒をかけるからである。以上の点では、私は完全に宿の主人の肩を持ち、一部の英国人や多くのアメリカ人のことを恥ずかしく思う。彼らは良い部屋に泊り、〈布団〉を使いたいだけ使い、済のたっぷり入った〈火鉢〉を使い、入浴の湯を用意させ、〈行灯〉は一晩中つけっ放しにし、したい放題飲み食いして一五銭払うだけであり、チップも渡さない。つまり、火を用い、蝋燭を使い、二度食事をし、良い部屋に泊り、良いサービスを受けてなんと七ペンス[六銭三里]払うだけなのである!私の宿代も伊藤の分を含めても一日あたり三シリング[八三銭七里]以下ですむ。気持ちよく泊まれるように暖かくもてなしてもらえたところがほとんどである。また私の泊まった宿の多くが、日本人さえ泊まらないような、主な街道筋から外れた小さくてむさ苦しい村にあったことを考慮すると、その宿は蚤と悪臭を差し引くなら驚くばかりに素晴らしかったし、こんな辺鄙な地域にあって、このような宿に匹敵するものは世界広しといえども、どの国にもないと思う。
私が思うに、多くの点、とりわけ表面的なことの一部に関しては日本人は私たち[英国人]を大きくしのいでいるものの、他方多くの点で私たちとは比べものにならないほどに遅れている。この親切にして勤勉で文明化した人々の中にどっぷりと浸かって過ごしていると、この人々[日本人]の礼儀作法を、何世紀にもわたってキリスト教によって培われてきた[英国人の]ものと比べるのはひどく不公平だということをつい忘れてしまう。私たちが真にキリスト教化されており、このような比較が常に私たちに分のあるものであればよいのだが、実際にはそうではないのである!

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