めんどくせぇことばかり 『蔣介石が愛した日本』 関榮次
FC2ブログ

『蔣介石が愛した日本』 関榮次

蔣介石が愛した日本 (PHP新書)蔣介石が愛した日本 (PHP新書)
(2011/03/16)
関 榮次

商品詳細を見る

誕生 1887年10月31日

1906年
4月 初来日
「日本全体が活気に溢れ、近代建築が次々と建ち、工業力を象徴する煙突から黒煙が立ちのぼっていた。同じ東陽の国でありながら、西欧列強の圧力にめげずに自立しようとする民族の力が感じられた」

1908年
再来日 振武学校第11期生として入学

1910年
12月 振武学校卒業 高田野砲兵一九連隊入隊
「一生を革命に捧げるという意志を、今日までこのように堅固に、また何ものをも恐れず持ち続けてこられたのは、完全にこの一年の兵卒生活の影響を受けたからである。仮に、あのような兵卒生活を送らなかったならば、今日のような革命事業は、あるいは成しえなかったかもしれないとすら私は信じている」
「新潟は第二の故郷である」1964年7月 大平外相との会談
「私は、日本の伝統精神を慕い、日本の民族性を愛している。日本は私の第二の故郷である」

1910年代前半からの10年 上海生活
「孫文先生はよく自分を理解し、慰藉も鞭撻もしてくれた。自分の誠実と敬愛の真情もますます深められ、先生の信頼は、自分のつまらぬ進言、忠言も大事に採択されることによって確かめられた」
「この間の悶々の情をよく汲んで下さったのも孫文先生であった。一年足らずの仲買人生活から親友たちのはからいで救い出され、自分は取るものも取りあえず広東に馳せつけて、総理の温顔に接したとき数行の涙なきをえなかった」

1927年 宋美齢との結婚を前に陳潔如と
「彼女(孔祥熙)の提案は、中国統一の私の計画を実現する唯一の方法だ。貴女に助けてもらいたい。結局のところ、真実の愛は、犠牲をいとわない程度によって測られる」
「私が装備礼と結婚して、漢口の支援なしに北伐を遂行するのに必要な援助を得るために、五年ほど僕を自由にしてもらえないだろうか。これは政略結婚にすぎないのだ」
「昔いっしょに乗りこえた日々の中で、いろいろと面倒を見てくれた。このことは一刻も忘れたことがない」(1963年 香港の孔祥熙へ)

1927年10月 最後の来日で渋沢栄一と会談
「もし国民革命が成就すれば、お話のとおり経済改革に力を尽くさねばなりません。革命が成功しなければ、日支一致しての東亜の経済発展は望めません。そこで革命国家の実現に賢明に努力しています」
「経済発展は国をすすめる基であり、もっとも心を致さねばなりません。日支両国が連携して東亜のために尽くすことは、日本のためであり、また支那のためで、共通の利益であると確信します」

1927年11月 宋美齢との結婚の日の朝
「われわれは中国革命について話しあった結果、ふたりの信念はまったく一致している。私ども二人は本日、単に個人的に円満な結婚を悦ぶだけでなく、中国社会の改造を推進することをも願うものである。私はこの志に基づき、中国の革命を完成するまで、怠ることなく努力する。私ども二人の本日の結婚は、まさに二人の革命事業の基礎を築くことなのである」

1928年3月 済南事件を前に日本人記者団に
「日中関係は列強の中でももっとも深く、国民党との交誼ももっとも長い。日本がもっともよく国民革命の意義を了解し、革命を妨害するどころか、一日も早い革命の完成を願ってくれるものと信じている。このたびの北伐再開には、中華民族の生死存亡がかかっている。日本と中国とは、相寄り、相補う関系にある。日本政府は今後、絶対にわれわれに不利になることをしないと確信する。そうすることによってのみ、アジアの幸福と世界の平和が生まれるのである。このことを日本国民と政府に、よく伝えてほしい」

1931年7月7日 満州事変直前 張学良に当てた手紙
「共産軍の討伐作戦は進捗しており、三ヶ月以内には広東の反乱も含めてこれを平定し、一切の紛糾は問題なく解決されるであろう。従って貴方には軍政と外交を適宜に処理し、北方で極力安定と秩序を維持してもらいたい。そうなれば南部方面の平定とともに、全国統一は大いに有望となるわけである」

1936年11月 国内統一を目指し西安・洛陽方面で部下に
「掃討戦はいまや最後の五分間ともいうべき大詰めに差しかかっている。この時期を逃さず迅速果敢に行動せよ」

1936年12月12日 西安事件
1936年12月14日 
スターリンから中国共産党へ「連蒋抗日政策をとり、10日以内に蒋介石を釈放せよ」との司令があり、蒋介石の殺害を決意していた毛沢東は足を踏み鳴らして憤慨したという。

1936年12月23日 西安からの解放を確実にして
「西安の首謀者たちが動揺していて、当初のように強硬でないのは確からしい。しかし、だからといって行幸を待つつもりはない。普遍の態度を貫くことによってあらゆる変化に対応する。これでこそ、天地に恥じることなく、順境にも逆境にも主体性を保ちうるのである。これが危険と困難に打ち勝つ唯一の道である」

蒋介石は、この西安事件をきっかけにして急速に変化する。やはりコミンテルンの情報が蒋介石の対日政策を大きく変化させたんだろう。蒋介石からの米・英への働きかけの背景には当然コミンテルンの情報があったはずだし、その米・英自体がコミンテルンに侵食されつつあった。本書の中では『このように蒋介石の情報判断は鋭く、正確であった。人のその場の意見に流されやすかった近衛など、日本の指導者が到底及ぶところではなかった』と蒋介石を持ち上げているが、彼の動きもまたコミンテルンの望む方角に向かっていく。

1937年7月17日 7日に発生した蘆溝橋事件後
「もし、日本が遠く東方民族の将来を思い、両国関係が最後の関頭に達することを願わず、中日両国間に永遠の仇恨を造成することを願わないならば、我々のこの最低限度の立場を軽視するべきではない。我々は和平を希望するが、一時の安逸を求めるものではない」

蘆溝橋事件後、蒋介石はそれまでになく好戦的になる。ドイツ軍事顧問団による指導により強化された軍と軍事力に相当の自信を持っていたからであろう。その蒋介石の自信と、共産ゲリラの和平つぶしにより、盧溝橋で始まった突発的な軍事衝突が、日支戦争へと拡大することになる。蒋介石の自身のとおり、日本軍はそれまでになく強化された支那軍との戦いに苦しめられる。特に上海戦においては停滞打撃を受けることになった。しかし、その打撃にもかかわらず日本が勝利を得た段階で、蒋介石は打つべき手を失い、彼自身が首都南京と部下を捨てて逃げた。 このあとの蒋介石の戦いは、重慶にこもってどれだけ米・英の援助を引き出せるかということだけになる。“日本を支那に釘付けにするとともに、米・英都の決戦に向かわせる” まさしくコミンテルンの描いた通りの展開となる。

1941年12月13日 蒋介石日記
「敵が南洋各地に進駐することになれば、その兵力は分散して弱まる。そうなれば戦区は拡大し、戦線は延長され、時間が長引くにつれて、人力、物力はいずれも持ちこたえられなくなる。その週末の悲惨さは、想像を絶するものとなろう」

これもたしかにその通りなのだが、蒋介石には日本の将来は見えても、自分の将来は見えなかったわけだ。みずからスターリンの“走狗”となり、役割を終えたあとは“烹られる”はめになったということか。台湾に足場を移して以後の二・二八事件(台湾人三万人が犠牲に)の責任を、この本では部下の陳儀台湾行政長官に帰しているが、いかがなものか。この時出された戒厳令は解除されることなく1987年まで続き、台湾知識人は投獄、暗殺の恐怖にさらされてきた。
 
人の一生を見れば“功罪相半ば”が関の山。本書のように蒋介石を崇めてしまうのもどんなものだろう。日支ともに、歩み寄る機会を逸したことは確かである。米・英や共産主義の悪意の前に、彼には彼の、われにはわれの、いかんともしがたい未熟があった。著者は本書の中でこう言っている。『こうして蒋介石は大陸をあとにして台湾に退かざるを得なくなったが、それをもたらした最大の責任は、八年にも及んだ日中戦争で蒋介石とその政府、そして中国国民に多大の犠牲を強いて疲労困憊させ、内政に実を上げる時間的余裕を奪った日本が負うべきである。』どうにも、無邪気に思えてならない。


人気ブログランキングへ


関連記事

テーマ : 最近読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事