『国民の修身』 渡部昇一 日本人らしい日本人
![]() | 『国民の修身』 渡部昇一 (2012/07/18) 渡部昇一 商品詳細を見る |
私は昭和35年の生まれ。修身ではなく道徳の時代。でも、父母はどちらも昭和3年生まれ、祖父母は明治の生まれ。学校の先生方も、大半が大正から昭和初期生まれの方々だった。小学校は、それこそ‘修身’の世界だった。中学校の時の校長先生は、朝礼での講話で、シベリアに抑留された部隊の小隊長で、部隊の兵を一人も損なうことなく帰国できたことをが自慢であると、話しておられた。
中学校時代には、そういった先生方とはちょっと雰囲気の違う先生方もおられた。しかし、‘修身’の世界は、小学校の段階で自分の中に根づいてしまったと思う。著者が「序文に代えて」の中で言っているが、子供のころに味わった感動は、記憶によらず、その人間の根をなすもののようだ。さまざまなニュースに触れても、意識とは無関係に好悪の感情が湧きあがる。動かしがたい感情である。きっと幼いころに植え付けられた‘根っこ’なのだろう。
戦前・戦中の歴史の見直しが、ようやく端緒が開かれた感がある。著者らのたゆまない活動のおかげだと思う。ただ、真摯な活動も、私にもよく意味はわからないのだが、‘ねとうよ’呼ばわりで片づけられてしまうことも多い。これからがいよいよ大変なところだろう。
戦前の日本は、まだまだ未発達な部分を多く抱えていた。でも今、それを言い始めればきりがない。少なくとも、祖父母や父母の時代の日本人は、私たちよりも立派だった。この‘修身’で鍛えられたのだから、それも当り前か。

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