昭和天皇、沖縄の軍用継続を要望
1947(昭和22)年9月、昭和天皇は顧問の寺崎英成をGHQ顧問のW・J・シーボルトに遣わされ、沖縄施策に関するご自身のお考えを伝えられたという。
主題 琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン
拝啓
天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする一九四七年九月二十日付のマッカーサー元帥あての自明の覚え書のコピーを同封する光栄を有します。
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。まだ天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしていまず。その見解によれば、日本国民はそれにって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
敬具
合衆国対日政治顧問 代表部顧問
W・J・シーボルト
東京 一九四七年九月二十二日
「琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問からの一九四七年九月二十二日付通信第一二九三号への同封文書
コピー
連合国最高司令官総司令部外交部
一九四七年九月二十日
マッカーサー元帥のための覚え書
天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来にかんする天皇の考えを私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼および左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような″事件″をひきおこすことをもおそれている日本国民のあいだで広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)にたいする米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―二十五年ないし五十年あるいはそれ以上―の擬制にもとづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島にたいして永続的野心をもたないことを日本国民に納得させ、また、これにより他の諸国、とくにソ連と中国が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押し付けられた講和という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解をあやうくする可能性がある。
w・J・シーボルト
この文書を曲解して「昭和天皇は国土と国民をアメリカに売り渡し、沖縄を犠牲にして戦後の繁栄を築く一助とした」などという人がいる。
『新・沖縄ノート 誰も語れなかった沖縄の真実』の著者、惠隆之介氏は、この後半部分を次のようにまとめている。
上記後半部分を三分割しただけだから、このまとめにケチをつける人はいないだろう。どうすれば、これを「昭和天皇は国土と国民をアメリカに売り渡した」と読めるのか、私にはまったくわからない。
敗戦後の日本は、きわめて危険な状況にあった。“戦勝国民きどり”で日本人への非道を繰り返す在日朝鮮人。ニューディーラーに謀略で勢力を拡大し、目的を達成しようとする共産主義者。無法なシベリア抑留の後に帰国するものの中にはソ連に洗脳され、天皇制廃絶を叫ぶものまでいた。東京在住の沖縄県民の中には「沖縄人連盟」を作ってそれらに合流しようとするものが7万人いた。
日本は軍を解体され、警察にも彼らを取り締まる十分な力はなかった。日本人には餓死者も出ていた。最低の状態から抜け出す糸口さえ見つかっていなかった。まだ絶望の中だった。日本の、沖縄の二十五年後、五十年後を、昭和天皇は考えていた。私には、そういう読み方しかできない。
1948年、ソ連の保護下に北朝鮮が社会主義国家として独立。
1949年、国民党が大陸を追われ、大陸に社会主義国家中華人民共和国が成立。
1950年、朝鮮戦争勃発。
以後も、東アジアには共産主義の暴風が吹き荒れる。


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主題 琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン
拝啓
天皇のアドバイザーの寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする一九四七年九月二十日付のマッカーサー元帥あての自明の覚え書のコピーを同封する光栄を有します。
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。まだ天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしていまず。その見解によれば、日本国民はそれにって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
敬具
合衆国対日政治顧問 代表部顧問
W・J・シーボルト
東京 一九四七年九月二十二日
「琉球諸島の将来にかんする日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問からの一九四七年九月二十二日付通信第一二九三号への同封文書
コピー
連合国最高司令官総司令部外交部
一九四七年九月二十日
マッカーサー元帥のための覚え書
天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来にかんする天皇の考えを私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼および左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような″事件″をひきおこすことをもおそれている日本国民のあいだで広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)にたいする米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借―二十五年ないし五十年あるいはそれ以上―の擬制にもとづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島にたいして永続的野心をもたないことを日本国民に納得させ、また、これにより他の諸国、とくにソ連と中国が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押し付けられた講和という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解をあやうくする可能性がある。
w・J・シーボルト
この文書を曲解して「昭和天皇は国土と国民をアメリカに売り渡し、沖縄を犠牲にして戦後の繁栄を築く一助とした」などという人がいる。
『新・沖縄ノート 誰も語れなかった沖縄の真実』の著者、惠隆之介氏は、この後半部分を次のようにまとめている。
- 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう希望する。これは米国に役立ち、また日本に保護を与えることになる。このような処置はロシアの脅威ばかりでなく、占領終了後に右翼および左翼勢力が増大してロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような「事件」を引き起こすことを恐れている日本国民の間でも、賛同を得るだろうと思っている。
- 沖縄(および必要とされる他の島々)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままで長期の租借、二十五年ないし五十年、あるいはそれ以上の擬制にもとづくものであると考えている。
- このような占領方法(日本の潜在主権を残した統治)は、米国が琉球諸島に対して永続的野心を持たないことを日本国民に納得させ、またこれにより他の諸国、とりわけロシアと中国が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。
上記後半部分を三分割しただけだから、このまとめにケチをつける人はいないだろう。どうすれば、これを「昭和天皇は国土と国民をアメリカに売り渡した」と読めるのか、私にはまったくわからない。
敗戦後の日本は、きわめて危険な状況にあった。“戦勝国民きどり”で日本人への非道を繰り返す在日朝鮮人。ニューディーラーに謀略で勢力を拡大し、目的を達成しようとする共産主義者。無法なシベリア抑留の後に帰国するものの中にはソ連に洗脳され、天皇制廃絶を叫ぶものまでいた。東京在住の沖縄県民の中には「沖縄人連盟」を作ってそれらに合流しようとするものが7万人いた。
日本は軍を解体され、警察にも彼らを取り締まる十分な力はなかった。日本人には餓死者も出ていた。最低の状態から抜け出す糸口さえ見つかっていなかった。まだ絶望の中だった。日本の、沖縄の二十五年後、五十年後を、昭和天皇は考えていた。私には、そういう読み方しかできない。
1948年、ソ連の保護下に北朝鮮が社会主義国家として独立。
1949年、国民党が大陸を追われ、大陸に社会主義国家中華人民共和国が成立。
1950年、朝鮮戦争勃発。
以後も、東アジアには共産主義の暴風が吹き荒れる。

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