『シャボン玉』 『花いちもんめ』 貧しかった日本
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
屋根まで飛んで こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ
野口雨情がこの詩を発表したのは大正11(1922)年、大日本仏教コドモ会発行の雑誌「金の塔」紙上のことでした。野口は明治41(1908)年に長女のみどりを英語わずか8日で喪った。さらに大正10(1921)年には2才の娘恒子を喪っている。野口が喪った二人の娘への思いをこの詩に託したことは疑いのないところだろう。しかし野口は、子息である存彌(のぶや)氏は、「父の口から直接聞いた話」と前置きしてこう語っている。野口は「自分の子供をテーマに詩を書くなど外聞が悪い。」とすれば、野口は、娘の死への思いも込められているにしても、それだけを思ってこの詩を書いたわけでも無さそうである。
大正7(1918)年から翌年にかけて、第一次大戦中の西部戦線で発生し、スペインで猛威を振るった流行性感冒、スペイン風邪が世界中で流行。その波は日本にもおよび、15万人が死亡する。日本はまだ、貧困の中にあった。多くの子供達が貧困の犠牲になった。病で死ぬだけでなく、子沢山に養いきれず、親が自ら赤子に手を掛ける、いわゆる間引きで死んでいった子の数も、決して少なくはない時代だった。戦後生まれの私でさえ母から聞いたことがある。二番目にできた子は、生むことができなかったと。
親の手にかかった子は哀れだが、親もまた哀れである。東北の民芸「こけし」の語源が「子消し」であるという説を聞いたことがある。あまりにも哀しい話なので、「こけし」からは、子を消した“うで”が失われているのだと。真偽の程に責任は持てないが。そんな“時代”の悲しみを、野口はこの詩に託したのだろう。
ふるさともとめて 花いちもんめ
あの子が欲しい あの子じゃわからん
この子がほしい この子じゃわからん
相談しよう そうしよう
◯◯ちゃんがほしい △△ちゃんがほしい
・・・・・・・・
勝って嬉しい花いちもんめ 負けて悔しい花いちもんめ
隣のおばさんちょっと来ておくれ
鬼が怖くていかれない
オカマかぶってちょっと来ておくれ
オカマないから行かれない
お布団かぶってちょっと来ておくれ
お布団破れていかれない
これは、娘を買って、遊郭に売り飛ばすことを職業とする女衒と親との掛け合いを唄ったものだ。女衒は“買って嬉しい”と唄い、泣く泣く娘を失った親は“負けて悔しい”つまり“安く買い叩かれて悔しい”と嘆くのである。
つくづく日本は、貧しかったのだ。

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