めんどくせぇことばかり 『ブッダのことば―スッタニパータ』 中村元訳
FC2ブログ

『ブッダのことば―スッタニパータ』 中村元訳

『ブッダのことば―スッタニパータ』 中村元訳『ブッダのことば―スッタニパータ』 中村元訳
(1991/01/24)
中村 元

商品詳細を見る
仏陀の生き生きした姿に最も近く迫りうる書

スッタニパータとは、仏陀があきらかにした永遠の真理を伝える言葉。仏教の諸聖典のうちでももっとも古いものであり、ゴータマ・ブッダという歴史的人物のもっとも近い詩句を集成した聖典であるという。少なくとも、ゴータマ・ブッダの思想、仏教本来の思想を知ろうとする時、これ以上に相応しいものはないということだ。

ブッダの教えは厳しい。「犀の角のように、ただ独り歩め」という。最近流行っているように、「君は一人じゃないよ」なんて、ブッダは言ってくれないのだ。。「独り」なのだ。しかも、「犀の角のように」風を切って、前に進めとブッダは言うのだ。“交わりから生まれる愛情が禍を生ずることを知って”“子や妻に対する愛着に心を捕らわれることなく”“朋友との親しみにはおのが利を失う恐れがあることを知って”、『犀の角のように、ただ独り歩め』と。

「死」については、やはり冷徹である。「かれらは死に捉えられてあの世に去って行くが、父もその子を救わず、親族もその親族を救わない」「見よ。見守っている親族がとめどなく悲嘆に暮れているのに、人は屠所に引かれる牛のように、一人ずつ連れ去られる」「“かれはもう私の力の及ばぬものなのだ”と悟って悲しみを去れ」と、隙がない。「あの世で会えるよ」なんて、ブッダは言ってくれないのだ。

ブッダは紀元前383年に亡くなったとされている。おそらくそれから間もなく、ブッダの教えは変化を始めたはずだ。出家は出家の事情で、在家には在家の事情で、ブッダの教えを歴史の流れにあわせて行ったのだろう。良いとか悪いとかの問題ではないが、歴史の検証は排除されるべきではない。

スッタニパータの中で“地獄”が語られていることは、こういうのを“方便”というのだろうが、後世には途方もなく大きな禍根を残したと言わざるをえない。時にわけの分からない教祖様は解釈権を振り回し、人に壺や印鑑を送りつけてくる。そんなことまでブッダのせいにしたら怒られるのかな。

ブッダの教えは冷徹であると、私は考える。しかし、だからこそ、その本質は“慈しみ”にあるのだと思う。世界が交易という波に飲み込まれた時、古代世界の秩序は崩壊に瀕した。かつての秩序を支えた祭司長たちはことさらにより厳格な規律を求めたはずだ。ブッダはそんなものではなにも解決できないといったはずだ。生老病死という万人に平等に訪れる苦しみに、だからこそ“慈しみ”を持って望めと。それが仏陀の教の本質だと、私は本気で思っている。
 
「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみ)のこころを起こすべし」

  
関連記事

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事