「青春の遺書」佐々木八郎 『特攻隊員の手記を読む』 北影雄幸
『青春の遺書 命に変えてこの日記・愛』佐々木八郎
佐々木八郎
大正十一年七月七日生まれ。
昭和十四年、第一高等学校入学。
昭和十七年、東京帝国大学経済学部入学。
昭和十八年、学徒出陣。
昭和二十年四月十四日、神風特別攻撃隊第一昭和隊、鬼界ヶ島東方海上にて敵機動部隊に突入。散華。
彼が時代に生きる若者として、どう戦争という現実と向き合ったか。自分の生と死をいかなるものと捉えたか。彼が残した日記や手紙からは、崇高なまでの人間性が浮かび上がる。
アッツ島守備隊部隊長山崎保代大佐(五十四才)の遺書
栄子(妻)に残す言葉
一、部隊の長として遠く不毛の地に入り、骨を北海の戦野に埋む。真に本懐と存じ候。況や護国の神霊として悠久の大義に生く、快なる哉。
二、思い残すこと更になし。結婚以来ここに約三十年、良く孝貞の道を尽す、内助の功深く感謝す。子供には賢母、私には良妻、そして変わらざる愛人なりき。衷心満足す。
三、健康に留意した老後を養い、子供達は勿論将来孫の世話までせられたし。
保之、保久、正子に残す言葉
一、行く道は何にても宜し、立派な人になって下さい。
二、兄弟姉妹互いに協力し元気で愉快に活動しなさい。
三、母に孝養を尽くすことが父の霊に対する何よりの供養と存ぜられたし。
※アッツ島玉砕は昭和十八年五月二十九日
佐々木は新聞に掲載された山崎部隊長の遺書を読み、落涙とともに熱い思いを「潔く初陣の門出をしたい」と日記に書き留めている。
『戦の性格が反動であるか否かは知らぬ。ただ義務や責任はかせられるのであり、それを果たすことのみが我々の目標なのである。全力を尽くしたいと思う。反動であろうとなかろうと、人として最も美しく、崇高な努力の中に死にたいと思う。白虎隊は反動的なものであったかもしれない。しかし彼らの死は崇高である。美の極致である。形に捉われることを僕は欲しない。後世の史家に偉いと呼ばれることも望まない。名も無き民として、自己の義務と責任に生き、そして死するのみである。』
『もはや我々は、我々個々人の力がそれほど有力なものと自負する事も我々の努力が直ちに我が国の勝利と、東亜諸民族の解放とを約束すると信ずることもできない。ただ我々の期待出来るのは、一国民としての立場を越えた世界史的観点において、我々の努力は、我が国の努力は、世界史の発展を約束するであろうという事のみである。』
『つまらない理屈をつけて、自分に決まった道から逃げ隠れすることは卑怯である。お互いに、決まった道を進んで、天の命ずるままに勝敗を決しよう。お互いがお互い決まったように全力をつくす所に世界史の進歩もあるのだと信ずる。一個の人間として、どこまでも、人間らしく、卑怯でないように、生きたいものだと思う。』
『出来る事なら我らの祖国が新しい世界史における主体的役割を担ってくれるといいと思う。また我々はそれを可能ならしめるように全力を尽くさなければならない。』
父への手紙
お父さん、さようなら、何一つ親孝行できなかったけれど、僕は、明日、日本のために死にます。
お父さん、もう会えませんが、いつまでも僕は、お父さんの側にいます。僕は、お父さんが大好きでした。口答え一つしたことはなかったけれど、お父さんを好きだなんて言ったことはありませんでした。最後だから言わせて下さい。
僕はお父さんが大好きです。
お父さんも、僕が大きくなってから、一度もかわいがってくれなかったけど、お父さんの目はいつも暖かく僕を見守っていて下さいました。
佐々木八郎
大正十一年七月七日生まれ。
昭和十四年、第一高等学校入学。
昭和十七年、東京帝国大学経済学部入学。
昭和十八年、学徒出陣。
昭和二十年四月十四日、神風特別攻撃隊第一昭和隊、鬼界ヶ島東方海上にて敵機動部隊に突入。散華。
彼が時代に生きる若者として、どう戦争という現実と向き合ったか。自分の生と死をいかなるものと捉えたか。彼が残した日記や手紙からは、崇高なまでの人間性が浮かび上がる。
アッツ島守備隊部隊長山崎保代大佐(五十四才)の遺書
栄子(妻)に残す言葉
一、部隊の長として遠く不毛の地に入り、骨を北海の戦野に埋む。真に本懐と存じ候。況や護国の神霊として悠久の大義に生く、快なる哉。
二、思い残すこと更になし。結婚以来ここに約三十年、良く孝貞の道を尽す、内助の功深く感謝す。子供には賢母、私には良妻、そして変わらざる愛人なりき。衷心満足す。
三、健康に留意した老後を養い、子供達は勿論将来孫の世話までせられたし。
保之、保久、正子に残す言葉
一、行く道は何にても宜し、立派な人になって下さい。
二、兄弟姉妹互いに協力し元気で愉快に活動しなさい。
三、母に孝養を尽くすことが父の霊に対する何よりの供養と存ぜられたし。
※アッツ島玉砕は昭和十八年五月二十九日
佐々木は新聞に掲載された山崎部隊長の遺書を読み、落涙とともに熱い思いを「潔く初陣の門出をしたい」と日記に書き留めている。
『戦の性格が反動であるか否かは知らぬ。ただ義務や責任はかせられるのであり、それを果たすことのみが我々の目標なのである。全力を尽くしたいと思う。反動であろうとなかろうと、人として最も美しく、崇高な努力の中に死にたいと思う。白虎隊は反動的なものであったかもしれない。しかし彼らの死は崇高である。美の極致である。形に捉われることを僕は欲しない。後世の史家に偉いと呼ばれることも望まない。名も無き民として、自己の義務と責任に生き、そして死するのみである。』
『もはや我々は、我々個々人の力がそれほど有力なものと自負する事も我々の努力が直ちに我が国の勝利と、東亜諸民族の解放とを約束すると信ずることもできない。ただ我々の期待出来るのは、一国民としての立場を越えた世界史的観点において、我々の努力は、我が国の努力は、世界史の発展を約束するであろうという事のみである。』
『つまらない理屈をつけて、自分に決まった道から逃げ隠れすることは卑怯である。お互いに、決まった道を進んで、天の命ずるままに勝敗を決しよう。お互いがお互い決まったように全力をつくす所に世界史の進歩もあるのだと信ずる。一個の人間として、どこまでも、人間らしく、卑怯でないように、生きたいものだと思う。』
『出来る事なら我らの祖国が新しい世界史における主体的役割を担ってくれるといいと思う。また我々はそれを可能ならしめるように全力を尽くさなければならない。』
父への手紙
お父さん、さようなら、何一つ親孝行できなかったけれど、僕は、明日、日本のために死にます。
お父さん、もう会えませんが、いつまでも僕は、お父さんの側にいます。僕は、お父さんが大好きでした。口答え一つしたことはなかったけれど、お父さんを好きだなんて言ったことはありませんでした。最後だから言わせて下さい。
僕はお父さんが大好きです。
お父さんも、僕が大きくなってから、一度もかわいがってくれなかったけど、お父さんの目はいつも暖かく僕を見守っていて下さいました。
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