『特攻隊員の手記を読む』 北影雄幸
![]() | 『特攻隊員の手記を読む』 北影雄幸 (2012/07/13) 北影雄幸 商品詳細を見る 特攻隊員たちは人間的にも他を絶して優れていた その彼らが、死を賭して守らんとしたものは・・・ |
一種の集団的発狂 マインド・コントロール 自爆テロ
そのような観点から特攻隊を捉えることが可能なら、こんなに胸をかきむしられるような思いをすることもないだろう。しかし、彼らが残した声に一度触れれば、そんな見方は跡形もなく吹き飛んでしまう。彼らは愛するものを守るために、愛する日本を後世に残すために、自分の“生”を犠牲にしたのだ。
イデオロギー、思想、結局そんなものとはまったく無関係に、自分を愛し、育んでくれた父を、母を、この日本という国を良しとして、それを守るために、二十歳そこそこの生命を投げ出した。彼ら自身が、父を、母を、そしてこの国を深く愛していた証明である。
彼らの多くは日本がおそらく負けるであろうことを、確信を持って感じ取っていた。それを分かっていてなおかつ、自分の生命を投げ出すことに同意した。そこに、大きな意義を見出していた。
たとえ負けても、特攻隊員として散った自分たちの“生命”を、のちの日本人がかならず“生かしてくれる”。そしていつか日本が再建される日が来るならば、自分たちの“若き死”は、決して“無駄死”ではない。
彼らの死後に訪れる日本再建の苦難の日々を、残された者たちが必ず乗り越えてくれる。自分たちの死に様が、必ずそれを支える力となる。その思いなくして、なぜあそこまで潔く、なぜあそこまで清々しく死ねるのか。
“きれいごとでは済まされない”などという意見に耳を貸すつもりはない。多くの者が、そう望んで死んだのだから。特攻をめぐる問題点は、別の機会に論じればいい。
そのような境地に到達するまで、彼らは一体どれだけ考えたのだろうか。自分が生きてきたことの意味を。自分が死ななければならないことの意味を。どれだけ思いなたんだろうか。どれだけかきむしるような思いに苛まれただろうか。その道程は様々であっても、彼らの多くは、その境地に達したのだ。
彼らの多くが、最後の手紙で父や母に語りかけている。「お父さん、お母さん、今日まで育てていただいて、ありがとうございました」と。
彼らの真情を思うと胸が締め付けられます。同時に、未だ年若い皆さん。分かりますか。このように呼びかけられた父や母の気持ちが・・・
日本は、とてつもなく切ない時代を経験しました。特攻で死んだ若者たちのは、後に続く者たちに愛する日本を託しました。しかし日本は、残念ながら、変わってしまいました。彼らが望んだような日本は、今はもう無い。それを取り戻すために残された時間も、そう多くは残されていない。
回天特攻隊員が日本を離れる時の様子を、こう書き残しています。
三十日の一七〇〇、豊後水道通過、迫り来る暮色に消えゆく祖国の山々へ最後の決別をした時、真に感慨無量でした。日本の国というものが、これほど神々しく見えたことはありません。神国断じて護らざるべからずの感を一入深うしました。
そのような観点から特攻隊を捉えることが可能なら、こんなに胸をかきむしられるような思いをすることもないだろう。しかし、彼らが残した声に一度触れれば、そんな見方は跡形もなく吹き飛んでしまう。彼らは愛するものを守るために、愛する日本を後世に残すために、自分の“生”を犠牲にしたのだ。
イデオロギー、思想、結局そんなものとはまったく無関係に、自分を愛し、育んでくれた父を、母を、この日本という国を良しとして、それを守るために、二十歳そこそこの生命を投げ出した。彼ら自身が、父を、母を、そしてこの国を深く愛していた証明である。
彼らの多くは日本がおそらく負けるであろうことを、確信を持って感じ取っていた。それを分かっていてなおかつ、自分の生命を投げ出すことに同意した。そこに、大きな意義を見出していた。
たとえ負けても、特攻隊員として散った自分たちの“生命”を、のちの日本人がかならず“生かしてくれる”。そしていつか日本が再建される日が来るならば、自分たちの“若き死”は、決して“無駄死”ではない。
彼らの死後に訪れる日本再建の苦難の日々を、残された者たちが必ず乗り越えてくれる。自分たちの死に様が、必ずそれを支える力となる。その思いなくして、なぜあそこまで潔く、なぜあそこまで清々しく死ねるのか。
“きれいごとでは済まされない”などという意見に耳を貸すつもりはない。多くの者が、そう望んで死んだのだから。特攻をめぐる問題点は、別の機会に論じればいい。
そのような境地に到達するまで、彼らは一体どれだけ考えたのだろうか。自分が生きてきたことの意味を。自分が死ななければならないことの意味を。どれだけ思いなたんだろうか。どれだけかきむしるような思いに苛まれただろうか。その道程は様々であっても、彼らの多くは、その境地に達したのだ。



彼らの多くが、最後の手紙で父や母に語りかけている。「お父さん、お母さん、今日まで育てていただいて、ありがとうございました」と。
彼らの真情を思うと胸が締め付けられます。同時に、未だ年若い皆さん。分かりますか。このように呼びかけられた父や母の気持ちが・・・
日本は、とてつもなく切ない時代を経験しました。特攻で死んだ若者たちのは、後に続く者たちに愛する日本を託しました。しかし日本は、残念ながら、変わってしまいました。彼らが望んだような日本は、今はもう無い。それを取り戻すために残された時間も、そう多くは残されていない。
回天特攻隊員が日本を離れる時の様子を、こう書き残しています。
三十日の一七〇〇、豊後水道通過、迫り来る暮色に消えゆく祖国の山々へ最後の決別をした時、真に感慨無量でした。日本の国というものが、これほど神々しく見えたことはありません。神国断じて護らざるべからずの感を一入深うしました。
『永遠の0〈ゼロ〉』 百田尚樹
「太平洋戦争 最後の証言-零戦・特攻編」 門田隆将
『太平洋戦争 最後の証言 第三部 大和沈没編』 門田隆将
『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』マクスウェル・テイラー・ケネディ

- 関連記事
テーマ : 大東亜戦争の本当のこと
ジャンル : 政治・経済