めんどくせぇことばかり 本好きの皆さん、これが文革時代の読書  『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
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本好きの皆さん、これが文革時代の読書  『ほんとうの中国の話をしよう』 余華

文化大革命の中、人びとはどう日常生活を送っていたのでしょう。人々は壁新聞を恐れた。反革命の告発は、この壁新聞で行われていたといいます。
私は学校の友達の父親が何人か打倒されるのを目撃した。「資本主義の道を歩む実権派」というのが罪名で、造反派に殴られて顔が腫れていた。胸の前には大きな札を下げ、頭には紙で作った三角帽子をかぶっている。彼らは一日じゅう箒を手にして、おどおどしながら通りを清掃していた。通行人はいつでも彼らを蹴飛ばしたり、彼らの顔に唾を吐いたりしてよかった。彼らの子供にも当然類が及び、たえず学校の友達から侮辱と蔑視を受けていた。
これは『ほんとうの中国の話をしよう』に書かれている、著者余華氏の体験である。
いったい、このような状況で、本好きたちは、どうやって本を読んでいたのでしょうか。

余華の『ほんとうの中国の話をしよう』に、文革時代、著者たち読書好きが、必死にその読書欲を満足させた様子が書かれています。
私の家には当時、両親が仕事で使う十数冊の医学書を除くと、四巻本の『毛沢東選集』と赤い宝の本と呼ばれる『毛沢東語録』しかなかった。赤い宝の本は、『毛沢東選集』から抽出された言葉を集めたものである。私は元気なく、それらの本のページをめくった。読書欲という化学反応が起こることを期待したが、いくらページをめくっても、まったく読む気になれない。
(中略)
私は赤い宝の本を選択せず、『毛沢東選集』の第一巻を手に取り、じっくり読み始めた。そして、読書の新大陸を発見した。『毛沢東選集』の注釈に引きこまれたのだ。それ以降、私は片時も休むことなく『毛沢東選集』を読んだ。
(中略)
しかし、私は毛沢東思想を学んでいたわけではない。読んでいたのは『毛沢東選集』の注釈だ。歴史的事件や人物に関するこれらの注釈は、町の図書館の小説よりもずっと面白かった。注釈の中に感情はないが、ストーリーがあり、人物もいた。
(中略)
2つ目の読書体験は中学時代で、私は毒草とされた一部の小説を読み始めた。これらの焼却の運命を免れた生き残りの文学は、ひそかに我々の間で流通していた。おそらく、本当に文学を熱愛する人たちが慎重に保管し、その後こっそり回し読みされるようになったのだろう。どの本も千人以上の人の手を経て、私のところに回ってきた時にはもうボロボロだった。最初と最後の十数ページが欠けている。私が当時読んだ毒草の小説は、一冊も完全な形を保っていなかった。書名も作者名もわからない。ストーリーの始まりと結末も、わからなかった。

ストーリーの始まりがわからないのはまだ我慢できるが、結末がわからないのは大変つらかった。いつも頭と尻尾のない小説を読んで、私は熱い鍋の上のアリのようにのた打ち回った。人にこの物語の結末を尋ねたが、誰も知らない。彼らが読んだのも、頭と尻尾のない小説だった。(中略)

結末のない物語が私を苦しめても、助けてくれる人はいない。私は自分で物語の結末を考えることにした。(中略)毎晩、明かりを消してベッドに入ってから、私は暗闇の中でまばたきして想像の世界に浸った。あれらの物語の結末を考えると同時に、自分の創作に感動して熱い涙を流した。

後に少年は、完全な形のこの小説に巡りあうのです。しかし、彼にはわずかな時間しか与えられませんでした。友人が人から借りたその本は、翌日が返却の約束日。彼と友人は、世を徹して一文字一文字をノートに書き写すのです。写本です。彼らは、こうして“本”を読んだのです。

これが文化大革命という革命なんですね。あの郭沫若でさえ、それまでの自分の文学活動を「今日の基準からいえば、私が以前書いたものにはいささかの価値もない。すべて焼き尽くすべきである」と全否定しなければならなかったそうです。 
われわれは、左右いずれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が(その古典研究も含めて)本来の自律性を快復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明するものである。・・・学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法jに一致して反対する。

これは、文革の“文化弾圧”に対する川端康成、安部公房、石川淳、三島由紀夫連名の抗議声明である。
(※これに関してはウィキペディアを参考にしました)

『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
『ほんとうの中国の話をしよう』 余華
(2012/10/13)
余 華                      ミィ18

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余華氏は1960年生まれ。文革の中に少年期を送り、青年として天安門事件を経験。今まさに、責任ある年齢で支那に生きる文学者。
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テーマ : 支那
ジャンル : 政治・経済

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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