『完訳 日本奥地紀行3: 北海道・アイヌの世界』 イザベラ・バード 東洋文庫
![]() | 『完訳 日本奥地紀行3: 北海道・アイヌの世界』 イザベラ・バード 東洋文庫 (2012/11/18) イザベラ・バード 商品詳細を見る ![]() イザベラ・バードが旅する明治初期の日本奥地。圧倒的な蝦夷地の自然、その自然そのものに溶け込んだアイヌがそこにいた。 |
イザベラ・バードの日本奥地紀行第三弾。今度の旅は明治初期の北海道、というよりまだまだ蝦夷地。そこであうアイヌは、蝦夷地同様未開の民。開拓使を中心に北海道開拓が試みられるが、まだまだ緒についたばかりでまったく不十分。アイヌと和人は混在し、和人による収奪が進められるが、それはインディアンを葬り去った白人に比べれば、よっぽどマシなものであることは、すぐにイザベラ・バードの目にもついた模様。
「毛深いアイヌ」と呼ばれてきたこの未開人は、愚かながら、物静かで、気立てがよく、従順でもある。日本人とはまったく別の民族である。肌の色はスペインや南イタリアの住民に類似し、表情や改まったときの物腰は、アジア的というよりヨーロッパ的である。また、背は日本人より高くないにしろ、もっと肩幅が広くてがっしりしている。髪の毛は漆黒で、非常に軟らかくて、ふさふさと生えて垂れ下がっている。波打っていることもあるが、巻き毛になることは全くない。顎髭や口髭も眉毛も非常に濃く、たっぷりとし、胸と手足には剛毛がびっしりと生えている。首は短く、額は高くて広い。鼻は広鼻で一般に低い。口は大きいが形は良い。目と眉毛はじつに真っ直ぐで、目は彫りが深い。その言語は非常に単純である。文字や文学、歴史をもたず、伝承もほんの僅かしかない。また、自分たちが追い立てられてきた土地に何の痕跡も残して来なかった。
コシャマイン、シャクシャインの戦いの時代は遠く去り、クナシリ・メナシノ戦いを過ぎて、蝦夷地は北海道と名前をつけられた。民族としての独自性を色濃く残す時代であったにしろ、“日本国”内に生活する極少数民族という状況の中では、やがては摩滅していく運命が待ち受けることは、イザベラ・バードの目にもあきらかだっただろう。
・・・私に贈ることを強く望み、私が買いたいのですというと、それなら手放したくありませんといった。私が買いたいと思ったのは、煙草入れ、煙管、柄と鞘に彫り物がある小刀のような彼らが実際に使っているものだった。この三つを買おうと二円五十銭を差し出すと、売りたくありませんといった。とろこが、夕方にやってきて、一円十銭の値打ちしかありませんのでその値段でしたらお売りしますといった。そしてそれ以上の金は受け取ってもらえなかった。儲けるのは「私達の習わし」ではありません、と言った。
このようなかわいらしい人たちであったが、彼らの文化が酒に毒されていることを、イザベラ・バードは見逃さなかった。
好むのは日本の酒だけである。それで、稼ぎのすべてをこれに費やし、ものすごい量を飲む。これは彼らが知る、あるいは考えつくことのできる最高に良いものとなっている。泥酔することがこの哀れな未開の人間が憧れる最高の幸福になっており、彼らからすると、この状態が「神々のために飲む」という作り話の下で正当化されるのである。この悪習には男だけでなく女も染まっているが、ピピチャリのようにごく一部には絶対に酒を飲まない者がいる。このような者は両手に杯を持って神々への献酒をしたあと、その杯を次の人に回してしまう。どうした酒を飲まないのかとピピチャリに尋ねると、「酒を飲むと犬のようになりますから」と答えた。簡潔で正直な答だった。
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雑木林の中にある一軒の家では、何人もの男たちが大声を上げて酒を飲んでいたが、見栄えの良いアイヌが外にでてきて、千鳥足で数メートル歩いたと思った途端ひっくり返ってしまった。雑草の上に倒れたその姿は堕落そのものだった。前に書き落としていたが、平取を去る前に、集まったアイヌに酒を恒常的に飲むとどんな結果になるかについて強く戒めたが、それに対する答えは、「私たちは神のために飲むのです。そうしないと死んでしまいます」というものだった。
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雑木林の中にある一軒の家では、何人もの男たちが大声を上げて酒を飲んでいたが、見栄えの良いアイヌが外にでてきて、千鳥足で数メートル歩いたと思った途端ひっくり返ってしまった。雑草の上に倒れたその姿は堕落そのものだった。前に書き落としていたが、平取を去る前に、集まったアイヌに酒を恒常的に飲むとどんな結果になるかについて強く戒めたが、それに対する答えは、「私たちは神のために飲むのです。そうしないと死んでしまいます」というものだった。
しかし、アイヌは美しい。それは人間が自然に畏敬の念を抱く感情と同質のものであり、アイヌとは自然そのものであった。イザベラ・バードは、こう語る。
私が一泊したまことに美しいこの入江では木々や蔓植物が水面に垂れ下がり、その影が水面に映っていた。木々や蔓植物の緑とその濃い影の先には、金色とピンクに染まる夕焼けが鋭い対照をなして広がっていた。金色に光る小さな砂浜には、厚板をひもで縛り、船べりを高くした丸木舟が引き揚げられていた。最も影の濃い入江には船体一面に彫刻のある古びた帆掛け舟が一層木につながれ、「幽霊船のように浮かんでいた」。木が繁った岩が露出する小山、そこに立つアイヌの家、沈みゆく夕日を浴びていっそう赤みを増す有珠岳の赤い峰、綱を繕ったり食用の海藻を広げて干している数人のアイヌ、金色に輝く鏡のような入江に航跡を残して音もなく滑っていく一艘の丸木舟、「優しい目に憂いを秘めた」表情を浮かべ静かに歩いているニ、三のアイヌ、夕方の静けさと溶け合うようなその光景、寺の鐘のこの世のものとも思えぬ甘美な響き-これが全てであるこの光景は、私がこれまで日本で見たなかで最高に美しいものだった。

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