逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
あけましておめでとうございます。
一杯やってます。一発目が過去記事ですみません。でも、予定どおりです。今日のよき日にピッタリの本を紹介します。この時代の日本人は美しかった。“人を先に、我を後に”、そんな精神が尊ばれていた。だから、日本は幾つもの奇跡をおこした。
2011年9月4日の記事を加筆修正したものです。
欧米人たちが、そうであると見た、聞いた、触れた、感じた日本を描き出す。読み終わるのが惜しくなる本でした。著者は幕末から明治にかけて来日した欧米人たちの残した記録を収集、研究し、その時そこに確かにあったはずの日本を描き出す。
そしてそれは「逝きし世」だという。今それを欲しても、決して手に入れることのできない失われた文明だという。欧米人たちがもたらし、そして日本人が選択した欧米化、近代化の流れの中で、日本人自らが墓碑すら立てずに葬りさった過去であるという。
この本は2005年9月9日初版第1刷発行です。私は2011年9月4日、今この本を読み終えました。著者は「逝きし世」というが、なぜか私の手には、その失われた文明の手触りが残っている。なぜか「この文明を知っている」という既視感があるのです。
なぜか・・・
本当に「逝きし世」は、完全に失われた世であるのか。慶応2年の横浜大火直後の様子を、スウェンソンはこう伝えている。
「日本人はいつに変わらぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持ち物すべてを失ったにもかかわらずである。・・・日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である。」
まさしく3・11の震災でみられた様子と一緒です。「逝きし世」は確かに失われた文明であろう。そのものを手にすることは、もう私たちにはできない。でも、私たちの深奥に、「逝きし世」を作り上げた過去の日本人に共通する何かがあったとしか思えない。それは、失われたと嘆くよりも、この島で生きていく以上、取り戻さなくてはならない何かなのではないだろうか。
実は、ご多分にもれず、私の心も震災で打ちひしがれました。何のできることもありません。私は“本”に救いを求めました。その辺の理屈は分かってもらえないかもしれませんが、そういう人間なんです。そんな私に光明をもたらしてくれたのが、この本です。こういう純な生き方が、日本人らしい生き方なんじゃないか。あの時、東北の人たちが発揮した底知れぬ“強さ”、日本中でみられたやさしさは、ここにつながっているんじゃないか。そう思いました。
これはつい最近読んだ本で、2012年12月27日に記事を書いてます。大変素晴らしい本でした。その時の記事でも書いたのですが、高度経済成長期からバブルの時代にあれだけの醜態を演じ、日本を危機にさらし続けてきた私たちです。“逝きし世”の人々の持っていた“純な”、“誠”の心なんて失われてしまって当然です。でも、私は震災で確信しました。それは完全に失われてしまったのではなく、何かしら、そういった心に共鳴できる欠片のようなものが、私たちの中に残っていると。
その欠片を大事に育て上げなければ、こんどこそ本当に失われてしまう。そのためにも、私たちはもっともっと、先人たちの有り様に触れて行かなければならないと思う。欠片は共鳴することによって、きっと大きく育つ。理屈よりも感じることを大事にして行かなければいけないと思います。
今年が皆さまにとって、すばらしい一年になりますように。


一杯やってます。一発目が過去記事ですみません。でも、予定どおりです。今日のよき日にピッタリの本を紹介します。この時代の日本人は美しかった。“人を先に、我を後に”、そんな精神が尊ばれていた。だから、日本は幾つもの奇跡をおこした。
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2011年9月4日の記事を加筆修正したものです。
欧米人たちが、そうであると見た、聞いた、触れた、感じた日本を描き出す。読み終わるのが惜しくなる本でした。著者は幕末から明治にかけて来日した欧米人たちの残した記録を収集、研究し、その時そこに確かにあったはずの日本を描き出す。
そしてそれは「逝きし世」だという。今それを欲しても、決して手に入れることのできない失われた文明だという。欧米人たちがもたらし、そして日本人が選択した欧米化、近代化の流れの中で、日本人自らが墓碑すら立てずに葬りさった過去であるという。
この本は2005年9月9日初版第1刷発行です。私は2011年9月4日、今この本を読み終えました。著者は「逝きし世」というが、なぜか私の手には、その失われた文明の手触りが残っている。なぜか「この文明を知っている」という既視感があるのです。
なぜか・・・
本当に「逝きし世」は、完全に失われた世であるのか。慶応2年の横浜大火直後の様子を、スウェンソンはこう伝えている。
「日本人はいつに変わらぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。持ち物すべてを失ったにもかかわらずである。・・・日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である。」
まさしく3・11の震災でみられた様子と一緒です。「逝きし世」は確かに失われた文明であろう。そのものを手にすることは、もう私たちにはできない。でも、私たちの深奥に、「逝きし世」を作り上げた過去の日本人に共通する何かがあったとしか思えない。それは、失われたと嘆くよりも、この島で生きていく以上、取り戻さなくてはならない何かなのではないだろうか。
実は、ご多分にもれず、私の心も震災で打ちひしがれました。何のできることもありません。私は“本”に救いを求めました。その辺の理屈は分かってもらえないかもしれませんが、そういう人間なんです。そんな私に光明をもたらしてくれたのが、この本です。こういう純な生き方が、日本人らしい生き方なんじゃないか。あの時、東北の人たちが発揮した底知れぬ“強さ”、日本中でみられたやさしさは、ここにつながっているんじゃないか。そう思いました。
![]() | 『無私の日本人』 磯田道史 (2012/10/25) 磯田 道史 商品詳細を見る この国にとってこわいのは、隣の国より貧しくなることではない。ほんとうにこわいのは、本来、日本人がもっている“清らかに生きる”ことへの志向を失うことだ。 |
これはつい最近読んだ本で、2012年12月27日に記事を書いてます。大変素晴らしい本でした。その時の記事でも書いたのですが、高度経済成長期からバブルの時代にあれだけの醜態を演じ、日本を危機にさらし続けてきた私たちです。“逝きし世”の人々の持っていた“純な”、“誠”の心なんて失われてしまって当然です。でも、私は震災で確信しました。それは完全に失われてしまったのではなく、何かしら、そういった心に共鳴できる欠片のようなものが、私たちの中に残っていると。
その欠片を大事に育て上げなければ、こんどこそ本当に失われてしまう。そのためにも、私たちはもっともっと、先人たちの有り様に触れて行かなければならないと思う。欠片は共鳴することによって、きっと大きく育つ。理屈よりも感じることを大事にして行かなければいけないと思います。
今年が皆さまにとって、すばらしい一年になりますように。



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