めんどくせぇことばかり エピクロスの快楽主義とキリスト教 メモ『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』 スティーヴン・グリーンブラット
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エピクロスの快楽主義とキリスト教 メモ『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』 スティーヴン・グリーンブラット

前五世紀、デモクリトスによって提唱された原子論は、魅力的な推論ながらも実証的な証拠を得ることができず、しかもその方法はその後二〇〇〇年以上見つからなかった。それでも前三世紀のエピクロスは、この原子論によって彼の思想を構成した。
デモクリトス    原子論
原子は絶え間なく動きまわり、互いに衝突する。ある場合にはより大きな物体を形成し、巨大化する。太陽も月も、人間も昆虫も砂粒も原子でできている。物質に上下の範疇はなく、天体といえども神ではないし、神の導きで真空を進んでいるのでもない。

そこにあるのは想像と破壊の原理であり、自然界の秩序が想像を絶するほど広く複雑でも、その構成要素と普遍的法則をある程度理解することは可能である。またそのような理解こそが人生の深い喜びであり、エピクロスはこの喜びを賛美した。
エピクロス         
論敵はエピクロスが喜びを賛美していることに目をつけ、彼がほうとうに耽っていると悪意のある作り話を広めた。しかし現存する数少ない手紙のなかでエピクロスは、「われわれが喜びが目的だというとき、放蕩の喜びや、官能的喜びのことを言っているのではない」と書いている。「のべつまくなしに飲んだり、騒いだり・・・性愛にふけったり・・・魚やその他の豪華なごちそうを味わったとしても」・・・永続的な喜びへの鍵となる心の平安を得ることはできない。「男たちは最も異質な欲望のために、最悪の害悪に苦しむ。」

喜びにつながる必要な欲求とは何か。エピクロスの信奉者フィロデモスはこう言う。「慎重かつ公正に尊敬されるように生きなければ、勇敢かつ寛大に節度を持って生きなければ、友人を作り、博愛の心を持たなければ」喜びに満ちた人生を生きることは不可能だ。 
 

エピキュリアンと言えば、・・・セックス、権力、金、贅沢で途方もなく高価な食事・・・そのイメージが作られたものだとすれば、誰がなんのために作ったか。考えずとも辿り着く先にあるのは、・・・キリスト教
愛の寓意 img_1537_7862928_1[1]
キリスト教は数々の嘲笑を浴びた。“イエスは不倫で生まれた子だった。父親はどこの馬の骨とも分からない男だ。イエスには神の威厳があるという主張も、彼の貧しさと、恥ずべき末路によってあきらかに否定されている。”エピクロスは神々の存在を否定しなかった。しかし、神の概念がいかなるものであれ、それが人間の祈りや儀式に耳を貸すなどと考えるのは幻想だ。なぜ神が他の生き物ではなく“人間の姿で現れる”などと考えなくてはならないのか。しかもなぜユダヤ人の姿で現れたのか。なぜ分別ある人間が神の摂理などという考えを信じなくてはならないのか。なぜ神の屈辱と苦痛に対する賛美が、傲慢な勝利主義と結びつくのか。エピクロス派の科学的原子論からすれば、また感覚からとらえた事実から考えても、受肉だの復活だのはあまりにも馬鹿げていた。

キリスト教は、その地位を完全に確立したとき、このような敵対的な嘲笑を示す表現の大部分を破壊することに成功した。エピクロス学派の初期キリスト教徒に対する嘲笑と異議が、その後、エピクロス学派が完全に消滅するきっかけとなった。キリスト教徒は、自らが学問を捨てて信仰を選択した引け目から、真理を追求することを喜びとするエピクロス派からの嘲笑を恐れた。それ以上に、魂が死すべきものであるというエピクロスの主張を認めれば、キリスト教理念の基本構造が崩壊することを恐れた。「至高の善は喜びの追求と苦痛の低減」という倫理観は、それだけでキリスト教を否定していた。

エピクロスは愚か者で、豚のような大食漢で、頭がオカシイ人物に仕立てあげられた。信奉者で『物の本質について』の作者ルクレティウスも愚かで、豚のように放縦で、正気ではなく、最後には自殺したと際限なく繰り返した。名声を傷つけるだけでは十分ではなかった。そうすることによって彼らの著作を読むことを禁じ、関心を示す人々に屈辱を与え、写本づくりもやめさせた。 

エピクロスの痕跡は丹念に消されていった。それでもそれを辿ろうとするものは、耽美的快楽主義者にしか行き着くことはできなかった。キリスト教徒は救い主の苦しみ、人間の罪深さ、父なる神の怒りについて説き、人々は、喜びは愚かで危険な悪魔の罠であると思い込むことになった。

そのようなキリスト教世界に変化をもたらしたのが、ポッジョ・ブラッチョリーニが一四一七年にその古写本を発見した、ルクレティウスの『物の本質について』であった。
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軽い気持ちで手にしたが、とんでもない。博愛という部分を除けば、キリスト教は文化精神史をねじ曲げ、その発展の妨げになったに過ぎない。





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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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