NHK大河『平清盛』 低視聴率更新の背景
産経ニュース 2012.12.25
NHK大河「平清盛」全50回の視聴率、過去最低を更新
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121225/ent12122511110007-n1.htm
これまでの最下位は平成6年に放送の、応仁の乱の時代を日野富子の生涯とともに描いた『花の乱』で14.1%だったそうだ。それが『平清盛』は12%だってんだから、これまでの記録を大きく塗り替えてしまった。
低視聴率に終始した理由が取り沙汰されているが、主だったものを以下にあげてみる。
“時代背景に馴染みが薄い”という意見に関しては、頼朝や義経は繰り返し取り上げられているし、もっと馴染みの薄い“平将門”が取り上げられたこともあった。“時代への理解度”という点に関して言えば、頼朝の“幕府創設”なんて、こんな理解の難しい話はない。それに比べれば、清盛はさほどでもないはず。
“悪人のイメージ”なんて、歴史教育が悪い。
“暗い”って意見は重大だと思う。これについて書きたい。平清盛という存在は、日本史にとって重大である。他国の歴史にはありえない“武士”という存在が登場し、やがて重きをなし、その一方の頭領として新たな時代の扉をこじ開けようとして、敗れ去った。頼朝は、清盛をなぞるようにして朝廷から距離を取り、武士の気持ちを吸い上げ、それに応えていくことによって“扉”をこじ開けた。いずれにしろ武士が世にでる時代。色々とプラス・マイナスしてみても、暗いドラマになるはずはないのだ。

しかし、視聴者からそういった声が多く寄せられ、結果としても最低の視聴率となった。となれば、「恣意的に暗く描かれた」ということにならないか。当初から、皇室を“王家”と呼ぶなど、あからさまなイデオロギーを介在させたあたりに大きな原因があったのではないだろうか。
次の本のなかで、大河ドラマ『平清盛』に触れた一節があるので紹介する。
余談であるが、NHK大河ドラマ『平清盛』をご覧になっている人の中には、清盛の振り回す刀(剣)が何やらおかしいと思った人も少なくないと思う。彼が振り回していたのは諸刃の青銅剣で、宋の剣という設定なのだ。
しかしもちろんそんな馬鹿なことはないので、すでにこの時代には片刃の日本刀は技術的に他国の追随を許さぬレベルに達していた。高度に鍛造された鉄剣は、中国製や朝鮮製の銅剣の敵ではない。打ち合えば銅剣の刃が折れてしまう。壬申の乱で、近江朝廷側が銅剣を用いたが、大海人皇子(天武天皇)側は鉄剣・鉄刀を用いた。これが勝敗の分かれ目であった。銅剣は鉄剣に文字通り刃が立たなかったのだ。
当時、なかなか手に入らない鉄剣を大量に調達したのは、大海人皇子の後見でもあった尾張氏を初めとする海部である。彼らこそは製鉄技術をこの国に持ち込み、刀剣の鍛造技術に優れた技術集団であったのだ。
壬申の乱をきっかけに、銅剣は鉄剣にかなわないと誰もが知るところとなる。したがってこの戦いを境に武士の武器はすべて鉄剣になる。
壬申の乱が六七二年、保元の乱は一一五六年、つまり五〇〇年近く隔たっている時代に銅剣を実際の戦闘で用いるなどあり得ないのだ。源義朝やその他の武士がすべて日本刀で、清盛のみが考古遺物のような銅剣であるはずがないのだ。何の意図があってNHKがこのような意味不明な演出(考証)をおこなったのかまことに不可解だが、どう考えても好意的に解釈するのは難しい。
なんにせよ、すでに記・紀の時代には日本刀の鍛造技術はあったのだと知らねばならない。
ついでに言うと大河『清盛』では皇室のことを呼ぶ際に故意に「王家」としていた。皇室は皇室でなんの支障もないのに、なぜ「王家」と呼び変えるのかと多方面から非難されている。
本書の「序」でもふれたように「三種の神器」を論じるに、西洋のレガリアに擬える、あるいはレガリアそのものとして論ずるという手法がある。個別の論文の表題に散見されるので、ご覧になった方も少なくないと思う。しかし、それは“悪意”のなせるものであろう。日本の皇室と、西洋の王家との根本的な相違を意図的に糊塗しようというものだろう。
“NHKの悪意”とは何か。まず考えられるのは、日本の歴史を“暗いもの”ととらえるということだ。薄汚れた衣装、過度の陰影、埃っぽい都の風景といったディテールにこだわるのはいいが、それがために時代の明るさ、躍動感を犠牲にするのは本末転倒。むやみに歴史を蔑むなら、“現状”を止揚することにより現代に向けて進歩するという進歩史観、マルクス史観による歴史認識ともとらえられよう。
さらに、清盛に時代錯誤の銅剣を振るわせるあたり、日本史の進歩性を意図的に視聴者から隠す意図を持つものならば、犯罪的である。だって考えられないのだ。この段階で五〇〇年をを超える考証ミスなど。今から五〇〇年前を考えれば戦国時代にまでさかのぼることになる。やはり意図的と考えざるを得ない。
皇室を「王家」と呼び変えるなど、他にその理由は考えられない。日本の歴史を蔑みたいのだ。韓国人たちが天皇を「日王」と呼び変えている程度まで・・・。大河ドラマでも、『清盛』ほど日本の後進性を印象づけたという意図があきらかなものは今までなかった。“後進性”とは相対的なものであり、そこに意識されているのは朝鮮であると思える。あの、「王家」という言葉には、韓国人が天皇を「日王」と呼ぶのと同じ響きがあるように、私には感じられる。
単なる映像的暗さだけではない。視聴者は『清盛』の背景にある製作者側の心の暗黒から、目を背けたかったのではないだろうか。
NHK大河「平清盛」全50回の視聴率、過去最低を更新
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121225/ent12122511110007-n1.htm
これまでの最下位は平成6年に放送の、応仁の乱の時代を日野富子の生涯とともに描いた『花の乱』で14.1%だったそうだ。それが『平清盛』は12%だってんだから、これまでの記録を大きく塗り替えてしまった。
低視聴率に終始した理由が取り沙汰されているが、主だったものを以下にあげてみる。
- 平安時代末期という時代が、視聴者に馴染みがなかった。
- 平氏、源氏、朝廷と、入り乱れた人間関係が理解し難い。
- 平清盛という人物に悪人というイメージがあり、とっつきにくかった。
- 貴族の顔が気持ち悪く、暗くて全体に黒いイメージ。
- 薄汚れた衣装や都の土埃、かすんで不鮮明にさえ思える映像と、“リアリティーを”という演出が嫌われた。兵庫県の井戸敏三知事は、「画面が汚い」と再三抗議していた。
“時代背景に馴染みが薄い”という意見に関しては、頼朝や義経は繰り返し取り上げられているし、もっと馴染みの薄い“平将門”が取り上げられたこともあった。“時代への理解度”という点に関して言えば、頼朝の“幕府創設”なんて、こんな理解の難しい話はない。それに比べれば、清盛はさほどでもないはず。
“悪人のイメージ”なんて、歴史教育が悪い。
“暗い”って意見は重大だと思う。これについて書きたい。平清盛という存在は、日本史にとって重大である。他国の歴史にはありえない“武士”という存在が登場し、やがて重きをなし、その一方の頭領として新たな時代の扉をこじ開けようとして、敗れ去った。頼朝は、清盛をなぞるようにして朝廷から距離を取り、武士の気持ちを吸い上げ、それに応えていくことによって“扉”をこじ開けた。いずれにしろ武士が世にでる時代。色々とプラス・マイナスしてみても、暗いドラマになるはずはないのだ。


しかし、視聴者からそういった声が多く寄せられ、結果としても最低の視聴率となった。となれば、「恣意的に暗く描かれた」ということにならないか。当初から、皇室を“王家”と呼ぶなど、あからさまなイデオロギーを介在させたあたりに大きな原因があったのではないだろうか。
次の本のなかで、大河ドラマ『平清盛』に触れた一節があるので紹介する。
余談であるが、NHK大河ドラマ『平清盛』をご覧になっている人の中には、清盛の振り回す刀(剣)が何やらおかしいと思った人も少なくないと思う。彼が振り回していたのは諸刃の青銅剣で、宋の剣という設定なのだ。
しかしもちろんそんな馬鹿なことはないので、すでにこの時代には片刃の日本刀は技術的に他国の追随を許さぬレベルに達していた。高度に鍛造された鉄剣は、中国製や朝鮮製の銅剣の敵ではない。打ち合えば銅剣の刃が折れてしまう。壬申の乱で、近江朝廷側が銅剣を用いたが、大海人皇子(天武天皇)側は鉄剣・鉄刀を用いた。これが勝敗の分かれ目であった。銅剣は鉄剣に文字通り刃が立たなかったのだ。
当時、なかなか手に入らない鉄剣を大量に調達したのは、大海人皇子の後見でもあった尾張氏を初めとする海部である。彼らこそは製鉄技術をこの国に持ち込み、刀剣の鍛造技術に優れた技術集団であったのだ。
壬申の乱をきっかけに、銅剣は鉄剣にかなわないと誰もが知るところとなる。したがってこの戦いを境に武士の武器はすべて鉄剣になる。
壬申の乱が六七二年、保元の乱は一一五六年、つまり五〇〇年近く隔たっている時代に銅剣を実際の戦闘で用いるなどあり得ないのだ。源義朝やその他の武士がすべて日本刀で、清盛のみが考古遺物のような銅剣であるはずがないのだ。何の意図があってNHKがこのような意味不明な演出(考証)をおこなったのかまことに不可解だが、どう考えても好意的に解釈するのは難しい。
なんにせよ、すでに記・紀の時代には日本刀の鍛造技術はあったのだと知らねばならない。
ついでに言うと大河『清盛』では皇室のことを呼ぶ際に故意に「王家」としていた。皇室は皇室でなんの支障もないのに、なぜ「王家」と呼び変えるのかと多方面から非難されている。
本書の「序」でもふれたように「三種の神器」を論じるに、西洋のレガリアに擬える、あるいはレガリアそのものとして論ずるという手法がある。個別の論文の表題に散見されるので、ご覧になった方も少なくないと思う。しかし、それは“悪意”のなせるものであろう。日本の皇室と、西洋の王家との根本的な相違を意図的に糊塗しようというものだろう。
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“NHKの悪意”とは何か。まず考えられるのは、日本の歴史を“暗いもの”ととらえるということだ。薄汚れた衣装、過度の陰影、埃っぽい都の風景といったディテールにこだわるのはいいが、それがために時代の明るさ、躍動感を犠牲にするのは本末転倒。むやみに歴史を蔑むなら、“現状”を止揚することにより現代に向けて進歩するという進歩史観、マルクス史観による歴史認識ともとらえられよう。
さらに、清盛に時代錯誤の銅剣を振るわせるあたり、日本史の進歩性を意図的に視聴者から隠す意図を持つものならば、犯罪的である。だって考えられないのだ。この段階で五〇〇年をを超える考証ミスなど。今から五〇〇年前を考えれば戦国時代にまでさかのぼることになる。やはり意図的と考えざるを得ない。
皇室を「王家」と呼び変えるなど、他にその理由は考えられない。日本の歴史を蔑みたいのだ。韓国人たちが天皇を「日王」と呼び変えている程度まで・・・。大河ドラマでも、『清盛』ほど日本の後進性を印象づけたという意図があきらかなものは今までなかった。“後進性”とは相対的なものであり、そこに意識されているのは朝鮮であると思える。あの、「王家」という言葉には、韓国人が天皇を「日王」と呼ぶのと同じ響きがあるように、私には感じられる。
単なる映像的暗さだけではない。視聴者は『清盛』の背景にある製作者側の心の暗黒から、目を背けたかったのではないだろうか。


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