めんどくせぇことばかり 取り上げるべきはパル判事だけではなかった。むしろ、アンリ・ベルナールをこそ・・・  『東京裁判 フランス人判事の無罪論』 大岡優一郎
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取り上げるべきはパル判事だけではなかった。むしろ、アンリ・ベルナールをこそ・・・  『東京裁判 フランス人判事の無罪論』 大岡優一郎

『東京裁判 フランス人判事の無罪論』 大岡優一郎『東京裁判 フランス人判事の無罪論』 大岡優一郎
(2012/12/17)
大岡 優一郎
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東京裁判の最終判決に異議を唱え続けたフランス人判事、アンリ・ベルナール。孤高の生き様を辿りながら紡ぐ、もう一つの東京裁判史。

インド代表のパル判事らと並び、東京裁判の最終判決に異議を唱え続けたフランス人判事アンリ・ベルナール。その存在を見過ごされてきたのはなぜか。連合国の正義原則に真っ向から立ち向かった反対判決文を提示したアンリ・ベルナールの真実に迫る、もう一つの東京裁判史。
裁判は昭和二一年五月三日に開廷した。七か月に及ぶ検察側の立証、一一ヶ月間の弁護側反証、そして論告と最終弁論を含め、およそ二年半の長きにわたった裁判に出廷した証人は四〇〇名を上回り、四〇〇〇通近くの膨大な書類が証拠として採用される。そして、四〇〇回以上の公判を経て、昭和二三年一一月一二日の最終日までに英文で一二〇〇ページ余りの長大な判決文が用意された。

それは、満州事変から太平洋戦争に至る日本の軍事行動すべてを一方的に侵略戦争と断定し、結果として、死亡や病気を理由に後半途中で免訴となった三人を除く被告二五人全員に有罪判決を下した。うち七人が絞首刑、一六人が終身刑、二人が有期の禁固刑に処せられる。

 
多数派判事 
マイロン・クライマー(米)、ウィリアム・パトリック(英)、イワン・ザリヤノフ(ソ)、梅汝璈(中)
エドワード・マクドゥガル(加)、エリマ・ノースクロフト(新)、デルフィン・ハラニーリャ(比)

少数派判事
ウィリアム・ウェッブ(濠)、ラダビノード・パル(印)、ベルナルド・V・A・レーリンク(蘭)
アンリ・ベルナール(仏)

「管轄権動議」は、当初からこの法廷を揺るがせた。東京法廷に、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」で被告たちを裁く権限はないといいう主張である。法廷成立の源になっているのは連合国が発したポツダム宣言しかなく、日本はこれを受諾して降伏文書に署名したのだから、宣言一〇項の定めは従来の国際法で認められた通例の戦争犯罪だけをさし、平和に対する罪、人道に対する罪については明記されておらず、それらは東京裁判所憲章で新しく加えられたものにすぎないから、罪刑法定主義に反する明確な事後法であるという被告弁護団からの訴えである。

さらに、被告弁護団はこの条項は日本のみならず連合国をも拘束するとし、ポツダム宣言はあくまでも太平洋戦争終結のためのものであるから、戦争犯罪も太平洋戦争に限定されるべきであるという主張した。つまり、すでに決着されたノモンハン事件などは法廷に持ち出すことはできないということになる。加えて、パリ不戦条約は戦争そのものを犯罪としていないと同時に、戦争は国家の行為であるから国家の一員として行動した個人には国際法上、何ら責任は生じないと論陣を張った。
東京裁判2
もこれまで、この論理こそ正統で、この論理を無視して行われた東京裁判は無効であると受け止めてきた。それで十分と考えてきた。実際「平和に対する罪」という名で‘侵略戦争’を裁こうとすれば、そこにはあらかじめ明示された実定法は存在しない。パル判事らもそれを理由に被告の「全員無罪」を主張しているわけである。しかし、アンリ・ベルナールの論理はそうではなかった。それは‘侵略戦争の有罪性’についての、彼独自の考え方にあった。

侵略戦争は、「平和に対する罪」の名で裁ける。しかも、国家の行為として行われた戦争であっても、個人の責任を問うことができるというのが、彼の論理だ。彼がパルの見解をこう批判している。

明らかにパルは二つの過ちを犯している。
すなわち、まず諸国家が侵略戦争を犯罪とする法をまだ持っていないとする彼の見解は不正確であり、また彼からは戦争責任を個人にも問うことができるという視点が抜け落ちているのだ。

えっ~!!罪刑法定主義はどうなの?

アンリ・ベルナールが、‘裁ける’とする根拠は《自然法》である。「人を傷つけない、殺さない、人の物を盗まない」といった法以前に存在する社会のルール、《人間の普遍的な良心》に照らして裁けばよいと彼は考えたのだ。

東京裁判以降注目を集め続けてきたのはパルの下した反対判決であった。しかし、パルが拠った法実証主義とは、本来、勝ち相対主義的なものに過ぎず、時間によっても、空間によっても姿を変えてしまう実定法に寄りそうものであり、「絶対」なものではない。その一方、あの時「神」を信じて「神」のために戦った日本人被告に対し、「神」の法による裁きを下そうとしたのがアンリ・ベルナールの反対判決であった。
ラダビノード・パル東京裁判1パル判事            東京裁判1アンリ・ベルナールアンリ・ベルナール
その上で、アンリ・ベルナールはすべての被告に有罪を認めなかった。‘裁ける’との立場からの無罪判決である。‘だからこそ・・・’という価値を、アンリ・ベルナールに認めるべきだろう。

もう一つ、パル判事の無罪判決は、彼が植民地出身であり、欧米の植民地政策に強い反発を持つ人物であったことから、“パル判事ならやむなし”という目で同僚判事に受け止められていたと考えられる点である。この視点も、この本によって気づかされた。相手にされてなかったということである。その点、アンリ・ベルナールは同じ白人であり、植民地主義をとる国家フランスの人間である。同じ立場の人間の意見に対し、同僚判事たちも決して軽視できなかったはずである。

東京裁判におけるアンリ・ベルナールの論理展開。“自然法、普遍の神の法により「平和に対する罪」は裁ける”という立場から、彼はいかに“全員無罪”の反対判決に至るのか。この本で、ぜひ知ってほしい。

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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