めんどくせぇことばかり 満州事変をめぐる多数派とアンリ・ベルナールのやり取り 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』
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満州事変をめぐる多数派とアンリ・ベルナールのやり取り 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』

全員有罪の判決を下した極東国際軍事法廷に、全員無罪の反対判決をだした二人の判事、ラダビノード・パルとアンリ・ベルナール。法定罪刑主義への背信と勝者の裁判への批判の観点から裁判に臨んだパル判事に対し、ベルナール判事は“裁ける”ことを前提に論を戦わせ、無罪の結論を下した。最初に判決ありきの法廷に抗い、司法官としての正義を貫いたフランス人判事。彼が全員無罪に至った過程こそ、私たちは知っておくべきだ。(以下は覚書)

東京裁判公式判決「日本の中国に対する侵略」
日本が中国に対して遂行し、日本の指導者たちが『支那事変』あるいは『支那事件』という欺瞞的な呼び方をした戦争は、一九三一年九月一八日の夜に始まり、一九四五年九月二日に東京湾上における日本の降伏によって終わった。この戦争の第一段階は、満洲として知られている中国のその部分及び熱河省に対する日本の侵入、占領及び統一を内容としたものである。この戦争の第二段階は、『盧溝橋事件』に続いて、一九三七年七月七日に日本軍が北平付近の宛平城を攻撃した時に始まり、継続的な数々の侵攻から成り立っていた。
多数派判事は、日本が中国に対して行った事実の内でこの満洲事変こそを起訴に該当するものの起点として位置づける。そして、ここから第二次世界大戦を経て昭和二〇(一九四五)年に至るまでを一括りに「中日戦争」とみなして、日本軍による戦争行為が間断なく行われていった、いわゆる「一五年戦争」の期間と認定した。

しかし、この事件の翌々年には関東軍と国民党政府との間で停戦協定も結ばれ、満洲における日本の支配は既成事実として中国側も承認していた。その結果、昭和一二(一九三七)年の盧溝橋事件までの四年余りは日中間に戦闘行為は一切行われていなかったのである。

ゆえに、日本の中国に対する軍事行動が満州事変から終戦まで絶え間なく続いていたとする断定はあきらかに現実を反映してはいなかった。ましてや、その間には内閣の顔ぶれさえ度々変わるようなあり様だったのだから、常に同じ人間たちによる共同謀議がもたれ続けていたはずもなかった。


ベルナールからウェッブ裁判長はじめ全判事に当てたメモ
「欺瞞的な」という言葉はおそらく過剰だろう。一九三三年二月二四日の国際連盟の報告書は、「たしかに問題になっているケースは宣戦布告した国のそれではない・・・」と断定しているのだ。「事変」と称されている事実が起きた時点では、中国政府自身、まだ日本を敵国とはみなしていなかったのである。


ベルナールの見解に対するマクドゥガルからのメモ
「欺瞞的」という言葉は適切に使われていると我々は感じている。中国における日本軍の前線の背後に二億人の中国人がいた一九三七年の時点でさえ、彼らはそれを「事変」と呼び続けていたのである。
これに対し、ベルナールは、それでもやはり「戦争」と呼ぶことを避けていたのは中国も同じだったと繰り返し、強く反発した。マクドゥガルは同じメモの中で、満州事変があらかじめ準備されていたことを証明する一環として検察側から法廷で明かされた、事変直前にすでに日本の歩兵部隊の兵舎内に重砲がひそかに据え付けられていたという証拠を指し、「その重砲の設置が正当なものであるなら、なぜそれは秘密裏に行われたのであろうか」と問いかけた。

ベルナールからマクドゥガルへのメモ
二台の重砲が秘密裏に据え付けられていたなどという話が正確に何を言いたいのか、本官には理解できない。しかし、本官に間違いなく分かることは、最も平和を愛するような国であれ、世界中のどこにも自らの防衛手段を秘密裏以外の方法で準備するような国はないということである。本官も、生まれ故郷のトゥーロンの街で何度同じようなことを見てきたであろうか。


満州事変以前のこの地における日本の足場についての多数派判事の見解 
『双方により自由に希望され、かつ受諾』されたものではなかったので、必然的に摩擦を生じた。武力を使用して、あるいは武力を使用するという威嚇によって、日本は、中国の国力が弱かった時代に、中国から種々の利権を獲得した。

多数派へのベルナールの反論
こうした供述は驚きに値するものだ。どのようにしたら、こうした利権が条約によってしかと(日本に)与えられていたのを忘れることができるというのだろうか。
「義和団の乱」後の混乱に乗じて満洲全土を占領したロシアがなおも南下し、朝鮮半島をも射程に入れ始めたことで、朝鮮・満洲の支配をめぐる日露戦争の火蓋が着られ、苦戦の末に日本が勝利した。

そして、ポーツマス条約で朝鮮における優越権、ロシアが満洲に有していた南満州鉄道や沿線の利権、遼東半島の租借権、北緯五〇度以南の樺太の割譲や沿海州漁業権などが日本に認められた。南満州鉄道の経営をしていくうえでその守備のために鉄道沿線に兵隊をおく権利が公に与えられたのも、条約の取り決めによるものに他ならなかった。そこで送られたのが関東軍であり、満鉄の経営を中心として満洲は経済的にもその後、大いに発展していった。

日本の満洲での数々の利権は元々は明らかに正式な条約によって与えられていたことを、ベルナールはあらためて法廷で多数派判事たちに思い起こさせようとしたのである。
 
しかし、内戦状態の中国で、日本の利権は激しい民衆運動に晒され脅かされていった。「張作霖爆殺事件」が起こって以降は、全土で反日運動が激化した。この時期の日本の首相、田中義一のとった、いわゆる「対中国強硬外交」について、多数派判事は次のように述べる。
田中内閣は、満洲を中国の他の部分とはまったく別なものと見なす必要を強調し、もし動乱が中国の他の部分から満洲および蒙古に波及する場合には、日本は武力を持って同地方における権益を擁護するであろうと声明した。(中略)この政策は、外国においてさらに権益を確保しようとする公然の意図と、その外国の国内的治安を維持する権利があるという暗黙の主張とを含んでいた。

ベルナールの反論
国際連盟は日本に対し、満洲において実際に田中内閣の唱えた政策を取る権利は否定しなかったのだ。すなわち、もし必要であるなら、条約によって獲得された権利の行使を確実にするために力に訴えることができ、それゆえに占領軍の安全を守ることができるということなのである。こうした政策は合法なものであるから、日本においてそれを促進するために行われたあらゆる宣伝もそれ自体は合法なものだ。
ベルナールが引用している“国際連盟”は、すなわちリットン調査団による調査報告をさすが、これに対して中国代表梅判事は、こうベルナールを批判する。
実際、最近のメモランダムでも本官が述べていたように、我々はリットン委員会が持っていたものなどよりもはるかに多くの証拠をもっているのである。「独立運動」た「新国家」の全体像は、リットン委員会による調査の時よりも、今の我々にとっての方がよりはっきりと見えているのだ。

満洲問題に判決が下すにあたっては、我々はあらゆる証拠を考慮に入れ、それを正確な視点から眺めなければならない。本官にとっては「木を見て森を見ず」などという古いことわざを繰り返す必要などない。
ベルナール判事の反論
本官は、この東京の法廷においての方がリットン報告書が調査したよりも多くの証拠をつかめているなどという貴官の言葉には同意することができない。

本官は、完全に満洲にだけ費やされた(一九三二)二月二九日から七月二〇日までの五ヶ月に及ぶ調査、すなわち彼らが満洲だけに滞在した間の調査で得た他の証拠は言うまでもなく、二〇〇〇通以上にも及ぶ資料を作成したリットン委員会の方が少なくとも我々よりも多くの証拠を集めていると確信している。

そして本官は、張作霖殺害を引き起こした理由などについてのリットン委員会の判断は、多数派判事たちが信ずる証人田中(隆吉)の証言よりも正しいと確信する。


ベルナールの無罪判決の理由
証拠の不足。天皇という主犯の単なる共犯者に過ぎなかった。
張作霖爆殺事件1 
爆破された張作霖の車両。



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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






















































































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