めんどくせぇことばかり 日本人について考えた本・・・東日本大震災のあと
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日本人について考えた本・・・東日本大震災のあと

あれ以来、私たち日本人は、どれだけ泣いたことでしょうか。自分が人のためにこんなに泣けるとは思っていなかった。多くの人が、自分よりも人のことを先にして命を落とした。多くの人が、みんなの為を思って我慢した。なぜ、あんなにも“その人の身になって・・・”考えることが出来たのか。海外からも、“なぜ日本人は・・・”と言われて、日本人も考えた。

過去記事の抜粋です。

絆 いま、生きるあなたへ絆 いま、生きるあなたへ
(2011/06)
山折 哲雄

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大震災について、この高名な宗教学者はどんなことを考えたんだろう。

第一章 災害と共に生きてきた日本人
第二章 私の身近に存在した「病」そして「死」
第三章 インド人の死者儀礼
第四章 日本人のゆく浄土
第五章 仏陀と親鸞 日本人の死生観について

第一章は圧巻でした。著者は地震学者寺田寅彦が、昭和10年頃書いた『天災と国防』『日本人の自然観』から、このような言葉を紹介します。

「日本は西欧に比べて地震、津波、台風による脅威の規模がケタ違いに大きい。・・・そのような経験のなかから、自然に逆らう代わりに従順になる態度が生まれ、自然を師として学ぶ生き方が生まれた。その結果、日本の科学も自然にたいする反逆を断念し、自然に順応するための経験的な知識を蓄積することで形成された。」

「そのような自然への随順、風土への適応という態度のなかに、仏教の無常観に通ずるものがあり、それは数かぎりない地震や風水による災害をくぐり抜けることで作り上げられた「天然の無常」という感覚に共通する。」

まさに、現代日本人を言い当てている。すごい洞察力に驚かされました。著者は、「だから・・・」と続けます。

「涙を浮かべても、あれだけ冷静な表情をにじませて被害の状況を語る。私はそこに日本人の実に奥深い、豊かな可能性を思わずにはいられなかったのです。困難を切り抜けて生きていくエネルギーも、そこから湧きでてくると思わずにはいられませんでした。とすれば、言葉の上の慰めや励ましよりも、その悲しみに寄り添い、その悲しみをともに引き受けよう、そういう態度でいいのではないか。それこそが、おそらく最高の心の支えと交流につながるのではないか・・・」

自然の猛威を受け入れるあきらめに似た覚悟。そこからこそ、困難を切り抜けていくエネルギーが湧きでてくる。そこまでの強さが日本人にあることは誇りではあるが・・・。エネルギー資源に乏しく、それがために戦争を回避する道を閉ざされた日本。毎年毎年、台風が一つ通過するたびに、幾人かの人が命を落とす日本。地震に揺れ、崩される日本。津波に流される日本。それを受け入れることが、この島に生きる覚悟。それこそが「いま、生きる私」のエネルギーなのでしょうか。

日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)
(2011/07/16)
関 裕二

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第一章 日本列島はどのような災難に見舞われてきたのか
第二章 災害にへこたれない日本人
第三章 なぜ日本人はよく笑うのか
第四章 目の前にできた転換への道

読み慣れた著者の作品で、すんなり心に落ちました。

第一章、第二章と、丁寧に日本人の宗教的心象を描きあげる。その中で、本来の日本人の宗教的心象は、藤原氏によって再構成された神道ではなく、修験道のなかにこそ、色濃く繁栄されてきたことを解き明かしていく。

第三章では、日本人の宗教的心象の本質である自然信仰、健全なる多神教を、日本人自らが放棄してきた様子を描き出す。自分たちが世界を制覇することを正義とする一神教、しかもそれが圧倒的な暴力をもって襲いかかって来る時代。明治維新である。日本人は、自然の前に頭をたれることを放棄して一神教的原理を受け入れた。修験道に裏打ちされた神仏習合を解体し、神道を再構成した。こうして一神教的暴力に対抗して、日本は袋だたきにされた。この過程を通しても、日本人の宗教的心象のコアの部分は、全く破壊されていなかった。

第四章、大団円である。第三章でその姿を現した日本人の宗教的心象のコアとは、1万年をこえた縄文によってもたらされたものであり、捨て去ろうとしてさえ捨てることのできない日本人の心そのものであるという。そこにこそ、日本人のへこたれない理由があるという。

さらに、一神教の本質を明らかにしていく。明らかにした上で、あくまで多神教徒として、一神教徒と渡り合っていく道を探って行かなければならなとまとめる。

おもしろかった。

 
『無私の日本人』 磯田道史『無私の日本人』 磯田道史
(2012/10/25)
磯田 道史

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この国にとってこわいのは、隣の国より貧しくなることではない。ほんとうにこわいのは、本来、日本人がもっている“清らかに生きる”ことへの志向を失うことだ。

自分のことは二の次にして、まずは人のためを考える。江戸時代に日本人のすべてがそう思っていたわけではない。でも、多くの者達がそうであろうとした。それがこの国に、数々の奇跡をおこした。今、私たちにはその片鱗でも残されているのだろうか。

『穀田屋十三郎』、『中根東里』、『大田垣蓮月』
この本には、上記三人の物語がまとめられている。残念ながら、と言っても私の勉強不足故だが、三人とも名前も知らなかった。最初は、面白く読み進められるのか半信半疑だった。物語とはいっても、著者は徹底して当時の、またその後の資料をあたり、史実に基づいて、それに忠実に物語化している。

あとがきにこうある。「地球上のどこよりも、落とした財布がきちんと戻ってくるこの国。ほんの小さなことに思えるが、こういうことはGDPの競争よりも、なによりも大切なことではないかと思う。古文書のままでは、きっとわたしの子どもにはわからないから、わたしは史伝を書くことにした」
・・・・・・・
私たちに必要なのはおそらく理屈ではない。先人の生き方に触れて感じることだ。しかし、江戸時代の日本人の生き方に共鳴できる何かが、私たちの心に残されているだろうか。高度経済成長期からバブルの時代にあれだけの醜態を演じ、日本を危機にさらし続けてきた私たちに。疑いはない。大震災は、私たちの心にそれが残されていることを証明した。それを育てて行かなければならない。

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テーマ : 東日本大震災
ジャンル : 政治・経済

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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