維新を戦った隠岐の志士たち 『神と語って夢ならず』 松本侑子
![]() | 維新を戦った隠岐の志士たち 『神と語って夢ならず』 松本侑子 (2013/01/18) 松本 侑子 商品詳細を見る 知らなかった。隠岐には隠岐の維新があった。 しかも彼らはパリ・コミューンに先立つ三年前、隠岐自治政府を樹立していた。 |
一八七一年春、プロイセンとの戦争に敗れたパリでは、労働者が自治政府(コミューン)を樹立した。だが国の政府軍が「知の一週間」と呼ばれる市街戦をしかけ、二万五千人の市民が死亡。自治政府は、七十二日で倒れた。
隠岐の自治政府から三年後にたちあがったパリの市民自治を、西園寺は痛烈に批判。コミューンが崩壊すると、賊が討伐されて愉快だ、と手紙に書いた。二十代の西園寺には、民衆も、自治も、信じていなかった。
本書最終章に、このように書かれている。パリはフランスの中心である。ずっとそうだった。“フランスがパリに”ではなく、“パリがフランスに”責任を有する。事情が違うとはいえ、パリの“わがまま”を感じるのだ。西園寺ほど、無責任に鎮圧を喜ぶわけではないが・・・。
この一文に出てくる「西園寺」とは、西園寺公望である。鳥羽・伏見で幕府軍が敗れ、徳川慶喜の敵前逃亡から一気に明治に駆け抜けていく頃、西園寺は隠岐に関わった。もしかしたら、関わったというほどの意識があったかどうか。それでも西園寺は「隠岐は天朝領」と公布したのだ。これが隠岐自治政府の原動力であったことは間違いない。だから、“パリ・コミューン”とは違う。もっと、素朴な衝動がそこにはある。
鎌倉時代末期、十津川とともに、建武の新政を立ち上げた後醍醐天皇を守った隠岐。勢い、尊王感情が際立つ。江戸時代を通じての、松江藩による伝統的圧政。そこへ全国を巻き込む尊皇攘夷。隠岐出身の儒者、中沼了三が時代の雰囲気を隠岐へ伝える。隠岐が沸き立つ条件は、全て揃えられていた。
しかし、時代は理念のみによって進むものではない。理に押され、利の風を受け、義の抵抗を受け、血を流し、恨みを買い、意趣を返され、あっちへ行き、こっちへ流され・・・。それを決定するのは“歴史的必然”などではなく、偶然や、人物であることのほうが多い。偶然や人物を左右する“何者か”の力は感じるが・・・。
隠岐という力の小さきものは、理念に突き動かされて翻弄される。主人公、井上甃介は理念に裏切られて絶望する。恨みを晴らす思いが廃仏毀釈に向かうあたり、目も当てられない。
明治六年、政府は地租改正を行い、年貢半減どころか、幕藩時代と変わらぬ重税を課してきた。御一新も、蜂起も、無意味だった。その絶望にも、権力の醜悪さにも、また自分のなかの抑えがたい激しさにも、辟易とする思いがあった。
ひとりの医者として村人の暮らしをすこやかに支え、心の拠り所とされる道を生きる。そこにひそやかな決意と自負があった。
甃介は息子の死をきっかけに質の悪いアナーキズムから立ち直り、人のために生きる道を選んだ。人間が本当に強くなれるのは、ここからなのではないだろうか。

本書は、尊皇攘夷を標榜する隠岐正義党の蜂起が新政府のご都合主義によって裏切られ、踏みにじられたという事実が、明治維新の一場面として存在したことを明らかにしている。しかし、それを強調するために、鳥羽・伏見以降の権力闘争や権威主義によって、新政府が大きく現実路線に舵をとったかのように描かれているように思う。“隠岐への裏切り”を強調するために、あえてそうしてあるのだと思う。だが、幕府の無能が罪であったのと同様に、薩長の目的至上主義は大罪だ。前半部分ではそういった部分をサラッと流されて、ちょっと腹がたったりした。
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安倍政権がTPP交渉参加を表明した。賛否を言うのではない。ただ、歴史は偶然と人物に左右される。思ったようには動かないものだ。大東亜戦争における日本の敗戦もそうだった。だからあの敗戦に、私たちは意味を見出すべきだと思う。かつて日本の成長は、白人支配への挑戦だった。あの敗戦で、それは未完となった。多くの独立国が誕生したが、白人支配とそれを支えるイエオロギーは健在である。そこに、“物語”を感じるべきだ。それが強い“思い”となれば、世界を変える力になるのではないか。・・・いつもながら、甘っちょろいな・・・


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