めんどくせぇことばかり 『日本地名の語源―地名からわかる日本古代国家』 石渡信一郎
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『日本地名の語源―地名からわかる日本古代国家』 石渡信一郎

日本地名の語源―地名からわかる日本古代国家日本地名の語源―地名からわかる日本古代国家
(1999/12)
石渡 信一郎

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1999年の本です。本来、新しく出た本を紹介したいのですが。2月に関裕二の『古事記の禁忌 天皇の正体』を読んでブログに記事を書いたところ、次のような念の言ったコメントをいただきました。
古代史は 関祐二では だめだ。
【くどいけど 古代史は 関祐二では だめだ。石渡信一郎から始まる】
と信じています。ぜひ 以下の文 感想聞かせてください。。

『大和民族大移動』
*日本書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治*

失礼無礼きわまりない話ですが、あなたが家系図を作成するとして、
実は、あなたのおじいさんが泥棒だったら、あなたはどうしますか?
昭和18年に隣の酒屋から酒5升盗んだ人だと正直に書けないですね。
でも、良心の呵責から、なんとかして泥棒行為を書き残したいですよね。
簡単です。じいさんに弟があり その架空人物が、盗んだ事にしましょう。
おっと、じいさんの弟はお墓が無くばれますね。では干支60年古くして
明治16年に、ひいひいひいじいさんの妹の夫が盗んだ事にしましょう。 

書紀は天皇様の見事な万世一系の家系図を書いた推理小説です。
太古から日本を統治していた事としたい。でも本当の事も書きたかった。
そのため、架空人物を多数創造した。時代も原則60年単位で古くした。
これが、真実を残すために書紀が取らざるを得なかった編集方針です。
もちろん、真実そのままの事も、どうしても書けない真実もありました。

では、架空実在人物が新旧入り混じった小説からの真実の救出法は?
 ①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
 ②貴重な金石文を正確に読みましょう。
 ③地名や人名の語源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。

石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。 
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
 (過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
 例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
  及び 稲荷山古墳550年頃 で、鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
 (すみません。解読結果詳細は石渡氏と林氏の本を読んで下さい。)
③地名人名の語源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
 韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ)  ⇒誉田(ほむた)
  
今では信者のむらかみからむですが、石渡論の理解に半年以上です。
通説の古墳年代の根拠を知らず、通説年代は当たり前の事でした。
即ち、誉田山も大仙古墳も5世紀初頭と 無意識に思っていました。
さらに、百済皇子余昆が書紀では昆支だという事を忘却してました。

その昆支が倭の5王の武で、誉田山古墳に眠る応神でもある。
その弟が継体であり仁徳でもあり仁徳から武列までは架空である。
獲加多支鹵は欽明であり継体の子ではなく昆支の子である。
その息子がアメノタリシヒコで用明で蘇我馬子で聖徳太子でもある。
とくれば、なんでもありの飛んでも説をよくもここまでまじめに書くなあ。
石渡信一郎も林順治も トンデル人だ。と思ってしまいますよね。

しかし、音韻変化の原則から『飛鳥の語源は大東韓(かすから)だ』
の説明を熱心に 語っている文章の迫力には心を打たれました。
で、稲荷山鉄剣の辛亥年=531年で古代史を語る人は誰もいない。
の文章を読んだ時、この理論が他説を圧倒する事に気づきました。
通説の古墳年代を無意識に受け入れていた私がトンでいたのです。

なんと、小6の私の息子の社会の参考書にも書いてありましたが、
通説は稲荷山鉄剣の獲加多支鹵大王を書紀の中の雄略大王として
辛亥年=471年としてた。これを絶対基準に古墳年代を決めていた。
ワカタケルは大泊瀬幼武じゃない可能性の追求が甘いままでした。
おかしな話ですよね。書紀の記述が真実かどうか検討しているのに
書紀の記述の大泊瀬幼武の実在は真実からスタートしていたなんて。

結果的に、通説での全古墳の絶対年は60年以上古すぎたのです。
4世紀前半は弥生時代で、古墳時代はAD350年からなのです。
これは寒かった弥生後期5期が260年~340年頃でも裏付けれます。
『通説の古墳年代を 60年以上新しくして古代史を見直すべき』
との提案が石渡説の基本で他説との相違点で最重要ポイントです。
これが理解できないと石渡論はトンでる空想物語になります。

では、531年の根拠は?『完本聖徳太子はいなかった760円』より
①草冠ぬきの獲の字は 中国でも6世紀に初めて使用した。
②発掘関係隊長の斎藤忠も副葬品(銅わん等)から 531年説。
③稲荷山古墳と同年代の野々上窯の熱残留磁気測定結果。
④少し新しい江田船山古墳履が武寧王の墓の履と文様が似る。

石渡論は辛亥年=531年で須恵器や土師器や埴輪の年代を求めます。
典型例は『須恵器大成(田辺昭三)』を60年新しくしている事です。
で、全国の主要古墳年代を通説より基本的に60年新しく求めます。
さらに古鏡&刀の金石文と中国の文献で実存した人物の中から
その生存&死亡時期と照らし、各々の古墳披葬者を選び出します。
これで書紀に全く頼っていない石渡論の基本年表が完成します。

古墳------年代----被葬者
①箸墓-----385年頃-倭王旨(七支刀)   
②渋谷向山古墳-410年頃
③行燈山古墳--430年頃-倭王讃(宋書)
④五社神古墳--440年頃-倭国王珍(宋書)
⑤中ツ山古墳--450年頃-倭国王済(宋書)
⑥石津山古墳--475年頃-倭国王興(宋書)
⑦誉田山古墳--510年頃-倭王武・余昆(宋書)・日十(隅田鏡)
⑧大仙古墳---520年頃-男弟王(隅田鏡)
⑨見瀬丸山古墳-570年頃-獲加多支鹵(稲荷山鉄剣)
⑩太子西山古墳-585年頃
⑪石舞台古墳--620年頃-阿毎多利思比孤(隋書)
⑫天武陵(旧)-645年頃-ワカミタフリ(隋書)
⑬持統陵(旧)-645年頃

で、ここから初めてこの年表を書紀の記述と照らして検証していきます。
このとき、先述の音韻変化の原則から求めていた語源が役に立ちます。
コンキ⇒ホムタ や スカラ⇒ソガ や ウズ⇒フツは典型例でしょう。
こうして以下の本当の大王様の家系図の一覧表が探し出せました。

古墳---被葬年-本名-書紀の中の名前【家系図】
①箸墓---393-旨-ミマキイリヒコ【初代】
②渋谷向山-409-?-イクメイリヒコ【①の子】
③行燈山--438-讃-イニシキイリイコ【②の子】
④五社神--442-珍-ワカキニイリヒコ&ワカタラシヒコ【③の弟】
⑤中ツ山--462-済-ホムタノマワカ&尾張連草香【③の孫】
⑥石津山--477-興-カワマタナカツヒコ&凡連【⑤の子】
⑦誉田山--507-武・日十・余昆-昆支&ホムタワケ【⑤の子の婿】
⑧大仙---531-男弟-ヲホト&オホサザキ【⑤の子の婿。⑦の弟】
⑨見瀬丸山-571-ワカタケル-アメクニオシヒラキヒロニワ&蘇我稲目【⑦の子】
⑩太子西山-585-?-ヌナクラノフトタマシキ【⑨の子】
⑪石舞台--622-アメノタリシホコ-タチバナノトヨヒ&聖徳&馬子【⑨の子】
⑫旧天武陵-645-ワカミタリフ-善徳&蘇我蝦夷【⑪の子】
⑬旧持統陵-645-?-蘇我入鹿【⑫の子】

大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。
まずは西暦330年頃から半島南部を、460年頃からは百済を通って。
1回目の代表は旨(崇神)、2回目は武(応神)&男弟(継体)です。
で、各々の起因は1回目が楽浪郡の崩壊、2回目は高句麗の南下です。
書紀の隠したこの事実は、現代日本人には小説(書紀)よりも奇です。
というより、受け入れがたく、石渡論を無礼者と思いますよね。

しかし、考えようによっては当たり前だったのではないでしょうか?
大陸は寒かった。温暖な飢えない日本列島は『うるわしの土地』だった。
新羅を置き去り、自ら大和民族大移動し、海を渡り来ていたのですよね。
さあもう21世紀です。石渡論が世に出て4半世紀も経ってしまった。
ぼちぼち古墳を60年新しくして、真実を考え、受け入れませんか?。

隣家の酒樽から酒5升分のお金が入ったじいさんの名前の財布が
見つかった。稲荷山古墳の鉄剣・隅田八幡鏡・七支刀のことですよ。
じいさんはお酒を飲んでお酒を買いに行き転んだ。よかった。無実です。
ひいひいひいじいさんに妹夫妻はいなかった。雄略大王もいなかった。

まだまだまだまだ書きたいことありますが 最後にまとめを書きます。

石渡論は古墳年代を正しく求めスタートします。そのあとで書紀です。
ところが 不幸な通説は架空雄略大王の実在からスタートし迷走中。

石渡信一郎が真にすばらしいのは 日本書紀編集者たちが持つ
・ひとりの実在人物をふたり・さんにん・・と分けざえるを得ない苦悩。
・架空大王をひとりふたり・・30人31人と創造せざるを得ない苦悩。
・時代を60年120年180年240年・・神話へと古くせざえるを得ない苦悩。
すなわち、『真実が書きたい』と言う叫びを痛切に理解している事です。

見事な万世一系の筋書とは異なる飛んでた真実があるのだから
書紀は真実を書けば書くほどでたらめになる自己矛盾を持つ。
書紀は でたらめではない。でたらめにならざるを得なかった。
石渡説がトンでるのではない。飛ばされた真実を探しているのです。
『飛ばして申し訳ないという良心の呵責を持った家系図』も眠るはず。
これを見抜き信じるから、真実が救い出せるのです。すばらしいです。

私は近日、以上を前書きに『大和民族大移動』という本を買きます。
石渡信一郎を東大か京大の古代史教授に推挙するために。。で、
副題は『書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治』


で、聖徳太子と蘇我馬子と用明大王 そして アメノタリシホコは
すべて たった一人の人物です。その人を分けて書いているのです。

この記事は、上記のコメントをくれた方に応えるために書きました。広く多くの方に読んでいただく内容になっていないと思います。
【くどいけど 古代史は 関祐二では だめだ。石渡信一郎から始まる】と書いてありますように、同様のコメントをいただいたのは二度目です。これに対しては、複雑な思いを抑えて次のように答えました。

私ごときの記事にこれだけ手間の込んだコメントを書いていただいたと思うと心苦しいです。

今回の記事にも書きましたが、私自身は記紀をじっくり読みこんだり、古代史の謎に挑戦する余力はありません。日本形成期のこの時代への興味はありますが、それはそれ。一読書好きの域を出るものではありません。
‘読んで面白ければそれで終わり’とは言いませんが、時間をかけて身につくものがあればいいという程度です。

関裕二さんは基本的には作家だと思います。読者の興味ををかきたて先へ先へ読ませていく力は、おそらく学者の及ぶところではないでしょう。読者のちょっと前を走り、読者を大きく引き離すことは決してない。読ませる技術だと思います。でも、多くの読者が興味をかきたてられていることも事実。どんどん新たな本を出してほしいと思っています。

いただいたコメントの中に≪大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。≫とありましたが、そのように考えること、受け入れることに、私はまったくこだわりを持ちません。列島に渡ってきた者たちが列島で生きてきた者たちと交わり、列島での‘生き方’を受け入れて歴史を形づくってきたと思えば、むしろ、愛おしくさえ感じます。

ただ、まだ読んでない。

‘こっちだけ読んで、あっちを読まない’非を責めないでください。ただ、読んだことのある、なじみある文章に流されているだけです。‘ブログに書いている以上その責任が・・・’と言われると、確かにその通り。

遅ればせながら読みます。

ただ、私についていけるものかどうか、私の力で理解できるかどうか心配です。「難しいな」、「ついていけないな」と思ったら、しばらくのあいだ寝かせておいて再チャレンジしても変わらなければそれまでです。無理をすると、本を読むこと自体辛くなっちゃいますから。

あくまでも、一読書好きとして

ということで、とりあえず手に入った『日本地名の語源』という本を読んでみました。差し障りの無い記事を書いて終わりに出来ればよかったんですが・・・、ちょっと最初に読んだ本が良くなかったかもしれません。

コメントをくれた方は・・・
 ①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
 ②貴重な金石文を正確に読みましょう。
 ③地名や人名の語源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。 
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
 (過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
 例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
  及び 稲荷山古墳550年頃 で、鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
 (すみません。解読結果詳細は石渡氏と林氏の本を読んで下さい。)
③地名人名の語源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
 韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ)  ⇒誉田(ほむた) 
と言ってますから、この本は③の項目に当たりますね。石渡信一郎氏は本書の中で「古代日本語・古代朝鮮語における母音・子音の交代・転訛について・・・」と変化にふれたうえで、非常に多くの日本地名の語源が朝鮮語にあることを説明しています。ただ、この本を読んだ所で、私には古代朝鮮語はおろか現代韓国語の知識さえ不十分です。また、古代朝鮮語というのは、いったいどこまで分かっているのでしょう。解明すべき資料すら充分でないというのが私の知識ですが。さらに、著者が示しているのは、“その可能性があるかも知れないな”というに過ぎません。他の説と比較検討しているわけではありません。その意味では少し不親切で、無責任だなって思います。地名ってそんなに単純ですか。

本書のとおりなら、おそらく日本の地名のほとんどは朝鮮語起源と説明できるのではないでしょうか。私は朝鮮語起源の地名が多く存在することを否定する気はまったくありません。自分の故郷を捨てざるを得なかった者が、新天地を故郷の地名で呼ぶ心情は分かります。

私の職場の隣に日高市があります。高麗神社で有名です。高句麗王族若光王が祀られています。ここを中心に広範な地域が朝鮮人によって切り開かれたことは間違いないでしょう。日高市の隣に飯能市があります。ハンノウはハンナラが転訛した地名であるという説を読んだことがあります。なんかありそうだなって思うんですが・・・。

本書には、私の故郷“秩父”も朝鮮語起源と説明されています。こんな具合です。

チチブは、シナカラ(新南加羅)のシナがシナ→シタ→チタ→チチと変わり、カラがカラ→キラ→キ→ビ→ブと転訛した地名であろう。
秩父神社由来によれば『当社の創祀は、崇神天皇の御代。当地の国造に任命された、八意思兼命十世孫である知知夫彦命が、祖神を祀ったことにはじまるとされている。これは、「先代旧事本紀」の「国造本紀」によるもの。その後、允恭天皇の御代、知知夫彦命九世孫の知知夫狭手男が知知夫彦を合わせ祀ったという』とある。これだけの複雑な発音の変化、そう短期間に起こるものとは考えられませんが・・・。ちなみに、チチブの語源に関しては、もっと納得の行く説明が他にあります。

今回の記事は、関裕二の『古事記の禁忌 天皇の正体』に否定的なコメントをくれた方に、精一杯誠実に応えようという気持ちで書きました。多くの方に、広く読んで頂く内容でなかったことをお詫びします。

該当のコメントをくれた方へ

精一杯お答えしたつもりです。違う気持ちで読んでいたら、違う受け止め方をしたかもしれません。結局、無心に読書を楽しむことができませんでした。やはり今回のように、他者からせっつかれたような本の読み方はよろしくありません。またいつか、石渡信一郎氏の本を読むことがあるかもしれませんが、それは私が読みたいと思った時にそうします。

これ以上のコメントはご遠慮ください。

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むらかみからむさんのコメントについて

 このむらかみからむさんは同じ文章をあちこちのブログの日本古代史関連のエントリーにコピーペーストしています。わたしのブログでもコメント欄に2回このコピペを貼られました。
 2回とも内容について返信をしたのですが、反応はありませんでした。「ぜひ感想聞かせてください」といいながら、まったく聞く気は無いようです。

よんまる さま

私も二度ほどイチャモンつけられました。不愉快だったですね。一度目は“むらかみからむ”の進める石渡 信一郎の本を読みさえしました。あっ、ご存知ですよね。

たぶん、特定の組織からお金が出ているか、石渡信一郎氏本人が出しているか。・・・あっ、“むらかみからむ”本人だったりして。

ありがとうございました



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中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



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やられた本








































































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