めんどくせぇことばかり ディープな民 『教科書では学べない 世界史のディープな人々』
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ディープな民 『教科書では学べない 世界史のディープな人々』

ロダンの傑作《カレーの市民》
カレーの市民1328年、フィリップ4世の死によってカペー朝断絶。甥のシャルル・ド・ヴァロアがフィリップ6世として王位につきヴァロア朝が始まる。イングランド国王エドワード3世の母イザベルはフィリップ4世の娘。エドワード3世はフィリップ4世の孫である。1337年、エドワード3世はフィリップ6世のフランス王位を僭称と決めつけ、臣下の礼を取り消してフランス王位継承を宣言。百年戦争の始まりである。1346年9月にはじまるイングランド軍によるカレー包囲戦は1347年8月にカレーの開城で決着する。エドワード3世は住民の命と引き換えに、6人の要人の出頭を命じた。彼らは裸体に近い恰好で首に荒縄を巻く姿で出頭し、降伏の意思を示した。(臨月を迎えたエドワードの妻の懇願で彼らの命は救われた。)

デカブリストの妻たち
デカブリストの妻写真の人物はアニー・ムラヴィヨフ、デカブリスト(12月党員)セルゲイ・ムラヴィヨフの妻である。ボロディノの戦いはナポレオン没落のきっかけとなった。しかし、翻弄されたのは彼だけではない。このロシアにおける‘祖国防衛戦争’は、貴族も、町人も、農奴も、一人のロシア人意識を抱くきっかけとなった。彼らの一部はナポレオンを追ってパリに入り、自由を呼吸してロシアに帰った。しかし、皇帝アレクサンドル1世は、ナポレオンをやぶった勢いそのままに強圧的にロシアを支配した。ツァーリズムはかつてないほどの苛烈さで民衆を威圧した。これが‘デカブリストの反乱’の背景である。1825年11月、アレクサンドル1世の死去の混乱の中に彼らは蜂起した。蜂起は失敗し、首謀者5名が絞首刑、121人がシベリアへ流刑された。人々の涙を誘ったのは流刑者の妻たち9名が、貴族の称号と、豪奢な生活を捨て、夫を追ってシベリアに向かったことだった。「流刑者の妻」たちは1万kmの旅の果てにネルチンスクの鉱山で働く夫たちに出会うのである。


隠者ピエールと民衆十字軍の顛末
民衆十~1 イェルサレム大司教シメオンから当地のキリスト教徒がおかれている立場を聞いた隠者ピエールは、フランスにもどると精力的に人々に聖地奪還を呼び掛けた。1096年、集まった人数は2万人と言われる。食い詰め者、一攫千金を夢見る者、まき直しをはかる者、いろいろな者が集まったが、もちろん宗教的情熱なしには語れない。同行する婦女子は男たちの刃にかかり、行く先々で住民とトラブルを起こし、コンスタンティノープルに到着。ビザンツ皇帝アレクシオスは厄介払いとばかりにボスポラス海峡の向こう側に彼らを送った。敵地に入った民衆十字軍は飢えに苛まれ餓鬼と化した集団だった。セルジューク朝アルスラーン1世により、彼らは捕虜となるか奴隷として売られ、雲散霧消した。


夫の遺言を50年後に伝えた妻
ブハーリンニコライ・イヴァノヴィッチ・ブハーリンは、レーニンやローザ・ルクセンブルクを凌ぐ秀才だった。1924年に死んだレーニンは、スターリンの危険性に気づき、彼を後継者から排除するよう遺言した。しかし、一国社会主義を主張するスターリンは、世界革命を主張するトロツキーを破って指導者の地位についた。この時スターリンを支持したのがブハーリンだった。秘書にスターリン暗殺を示唆したというブハーリンの逮捕理由はでっち上げだった。息子や妻の危険を避けるため罪を受入れることを覚悟した彼は「親友だったからこそ彼は憎むのだ。彼は神でいたいから彼についてなんでも知っている者は邪魔なのだ」と言って、妻にスターリンを糾弾する遺言を託した。妻、アンナ・ラリーナ・ブハーリンが夫の遺言を公表し、その名誉を回復したのは、1988年のゴルバチョフ政権下であった。アンナは1996年まで生き延びた。

悪徳教皇に挑んだ男
サヴォナローラ不正蓄財に女性関係、隠し子たちの財産をめぐるスキャンダル。“教皇”は垢にまみれたサターンさながらであった。時の教皇、アレクサンデル6世は、若い時から金と女に血道を上げ、多くの愛人に産ませたこの中にはチェーザレ・ボルジア、ルクレティア・ボルジアらも含まれていた。ロレンツォ・デ・メディチの子、ピエロの追放により、ドミニコ会修道士ジローラモ・サヴォナローラの神裁政治が準備された。彼は、メディチ家支配の間に世俗の悪徳にどっぷり浸ったフィレンツェの人々の生活を信仰に向けさせるため、風紀の引き締めをはかった。メディチ家による政権独占に嫌気が差していたフィレンツェの人々はサヴォナローラの説教に熱狂した。「希望隊」と称する行動隊が密告者の網を通じて市民生活を監視した。高価な装身具や調度品は集められて燃やされた。エスカレートする風紀粛清から、やがて人々の心は離れた。やがて彼は、かつて彼に熱狂したフィレンツェの人々の手によって絞首台の露と消えた。

ケペニック事件
ヴィルヘルム2世ナチス全盛期。茶色い制服のSA(突撃隊)。グレーの制服のSS(親衛隊)。ヒトラー・ユーゲント(ヒトラー少年団)はカーキ色のシャツに赤いネッカチーフ、黒い半ズボンに白い半ソックス。制服が魔力をもった時代だった。しかし、これはヒトラーの独創性ではない。ヴィルヘルム2世がイギリスの覇権に挑戦した20世紀初めのドイツにも同じ現象があった。ケペニックはベルリン中心から10km東南の都市だった。町を移動中の小隊が、突然大尉の制服の人物に命令を受けた。小隊兵士たちは、その人物の命令のままに市長を逮捕し、金庫のなかの金を没収した。その人物は兵士たちに「任務完了」を告げると、ケペニック駅から姿を消した。ヴィルヘルム・フォイクトという名の犯人は後に逮捕された。ヴィルヘルム2世はこう語ったという。「ドイツ人が規律というものをどう考えているかがよく分かる。この地上のいかなる国民も、我が国のマネはできない」

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(2012/08/01)
鶴岡 聡

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でも、こういう‘人々’を学ばなきゃ、世界史なんて面白くないよなぁ。

 

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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