めんどくせぇことばかり 覚書(征韓論・壬午軍乱・露清密約・乙未の変後・義和団・乙未の変前後・義和団・九カ国条約・ブロック経済・通州事件)『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』より
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覚書(征韓論・壬午軍乱・露清密約・乙未の変後・義和団・乙未の変前後・義和団・九カ国条約・ブロック経済・通州事件)『日本は中国(シナ)にどう向き合うか』より

江戸時代の漢学者
藤原惺窩
幼い頃、寺にはいって仏教と儒学を学び、のちに朝鮮の役で捕虜になって日本に幽閉された姜沆について儒学を本格的に学んだ。強烈に支那に憧れ、「日本の武士は盗賊」とまで言った。
林羅山
藤原惺窩の一番弟子。支那に対して「中華」「中国」という言葉を使っている。しかし、「皇統一種百三十綿々として周や漢に劣らない」ということを書いている。(周ー姫、秦ー瀛、漢ー劉)
熊沢蕃山
「中華は天下の中心である。その周囲に東夷、南蛮、北狄、西戎があり、その数三十。その中で東夷が一番優れている」…年齢がいってからの著作『三輪物語』の中で、「日本と天竺と支那は三つの光。日本は日の光、天竺は月の光、支那は星の光」と言っている。
山崎闇斎
朱子学に学ぶが易姓革命を王位簒奪として名分論の矛盾を指摘。垂加神道をおこす。「中国という名前は各国とも自らを言う。だから、我が国でも豊葦原の中国(なかつくに)というのである」
佐藤直方
山崎闇斎の弟子だが、闇斎が垂加神道を唱えると門下を去った。支那を中華と呼び、日本には聖人、賢人がいないと主張している。


征韓論
明治元(1868)年
明治政府は諸外国に日本の王政復古を通告。朝鮮に対しては対馬の宗氏に命じて通告と、修好の意志を伝えた。朝鮮はこれを拒否した。
理由 1 日本の出した手紙に「皇」「勅」「朝廷」という字が使われている。
理由 2 書式や判が江戸時代のものと違う。 
明治2(1869)年
再度、宗氏を送って説明を試みるが、朝鮮の態度は変わらず。
明治3(1870)年
「皇」「勅」「朝廷」の文字を避けた文書を送るが、宗氏を通さなかったこと等、江戸時代と違うやり方を拒絶。朝鮮ではわけもなく反日運動が高まり、江戸時代から釜山にあった日本の外交事務所に薪水、食料の提供を拒否、日本を侮辱する立て看板がたつ。
明治6(1873)年
太政大臣三条実美のもとに、「釜山の居留民保護のため若干の兵と軍艦を派遣し、後に使節を送る」案が審議される。西郷隆盛は、軍派遣に先立って自分を派遣して、もし自分が殺されるようなことがあれば、それから軍を派遣しても遅くないと主張。これが“征韓論”と呼ばれるものである。
明治7(1874)年
外務省役人を派遣し、「新たな文書を朝鮮は受け取る」という約束を取り付ける。日本国旗を渡し、日本船への配慮を依頼。
明治8(1875)年
使節が朝鮮に赴き文書を渡すが、洋式の汽船や大礼服を理由に交渉を拒否。一時力を失った排外主義の大院君が、この年勢力を盛り返していた。
軍艦雲揚が水の提供を求めて江華島に接近。砲台から砲撃があったため応戦。陸戦隊を上陸させ、武器没収。
明治9(1876)年
日鮮修好条規


壬午軍乱(明治14(1881)年)
軍政改革で廃された軍の兵が暴動。大院君が煽って閔妃一派の重臣が殺される。同時に多くの日本人も殺され、公使館も襲撃された。清国が五千の兵を出して鎮圧。大院君を清国へ抑留。日本は済物浦条約で公使館への若干の兵の駐留と50万円の賠償金を得る。しかし、10年割賦の支払いで、最初の2年間だけ受け取り、残りは改革費用として朝鮮政府に返還。汽船や大砲もつけた。清は三千の兵を朝鮮に残し、そのもとに朝鮮は改革路線を放棄。

露清密約
  • 日本がロシア極東・朝鮮・清に侵攻した場合、露清両国は陸海軍で相互に援助する。
  • 締約国の一方は、もう一方の同意なくして敵国と平和条約を結ばない。
  • 戦争の際には、清の港湾は全てロシア海軍に開放される。
  • ロシアが軍隊を移動するために、清はロシアが黒竜江省と吉林省を通過してウラジオストクへ至る鉄道を建設することを許可する。鉄道の建設と経営は、華俄道勝銀行(露清銀行:ロシアが設立した、中国における利益を代表する金融機関)が引き受ける。
  • 戦時あるいは平時に関わらず、ロシアはこの鉄道により軍隊と軍需物資を自由に輸送できる。
  • この条約は15年間を有効期限とし、期限満了の前に双方は条約を継続するか協議する事ができる。
明治30(1897)年、ドイツ人宣教師殺害事件を口実に、ドイツ海軍が膠州湾を占領し、翌年、租借権並びに山東省の鉄道敷設権、鉱山採掘権を得る。続いて、ロシアは旅順、大連を押さえ東清鉄道の延長を認めさせる。さらに、フランスは広州湾を租借、イギリスは威海衛と九龍半島を租借。イギリスは揚子江沿岸。フランスは海南島、広西省、雲南省。日本は福建省。以上のようにその権益を、清は他国に渡さないと約束させられる。「夷を以て夷を制す」策が仇となる。

乙未の変前後
三国干渉後、韓国では侮日派が勢力を伸ばし、親日派を動揺させた。乙未の変で閔妃が殺される事件は、その状況に憤った親日派主導で行われた。それに関係した公使三浦梧楼ら日本人もいたが、関係者は重罪ではないが裁判で有罪判決を受けた。

いったんは親日派内閣ができるが、駐韓ロシア公使ウェーバーは親露派と謀って国王を王宮からロシア公使館に移すことに成功した。政権を握っていた金弘集、魚允中は惨殺され、多くの親日派が日本への亡命を余儀なくされた。国王はロシア公館から詔勅を下し、親日派を捕まえ、改革案を全部撤廃した。日本人三十数名が殺され、日本の財産十余万円が失われた。この状態は、一年に渡って続いた。

国王が王宮に戻ってからも、基本的にこの状況は続いた。ロシアは軍を送って韓国軍を訓練する。ロシア語学校を作る。朝鮮北部の鉱山採掘権を得たりもした。鴨緑江周辺の伐採権も得た。ロシア士官百六十名を朝鮮に雇用させた。かつてしなの属国であった朝鮮は、ロシアの属国になったかのようだった。

義和団事変
公使館に駐在した軍人は、英82人、米56人、独58人、仏78人、露74人、墺35人、伊41人、日25人だった。イギリスのマクドナルド公使が最高司令官になるが、柴五郎率いる日本兵の活躍は抜群だった。

各国派遣軍のなかでも日本軍の働きは群を抜いていた。天津攻撃における死者は、日400人、米120人、仏120人、英90人、独・露0人。英軍シーモア提督は福嶋安正少将に「英国兵は貴下の指揮で戦ったことを光栄に存じます」と讃えている。

北京分割占領においては、やはり日本占領地区が最もよく治安が保たれていた。『文明の戦争』の著者ジョージ・リンチは「イギリス、アメリカの管轄区域はフランスやロシアの状態よりは良かった。しかし、日本軍のそれと比べると、遠く及ばなかった」と言っている。
ロンドン・タイムズ社説
公使館区域の救出は日本の力によるものと全世界は感謝している。列国が外交団の虐殺とか国旗侮辱を免れえたのは、ひとえに日本のおかげである。日本は欧米列強の伴侶たるにふさわしい国である。
スタンダード:社説
義和団鎮圧の名誉は日本兵に帰すべきである、と誰しも認めている。日本兵の忍耐強さ、軍紀の厳正さ、その勇気はつらつたるは真に称賛に値するものであり、かつ他の追随を許さない。


石井・ランシング協定(1917)の意味
アメリカは支那、特に満州における日本の特殊権益を承認。日本はフィリピンにおけるアメリカの特殊権益を承認。しかしこれは、アメリカがヨーロッパでドイツと戦う間、極東における日本の行動を抑えるためのその場しのぎの便宜的政策であった。1922年のワシントン会議における九カ国条約で支那における平等がうたわれ、石井・ランシング協定は存在意義を失い、翌年破棄された。

ブロック経済と社会主義伸長
ホーリー・スムート法がアメリカ議会に提案された一九二九年、ニューヨーク市場株価大暴落を持って世界恐慌が始まる。法案の通過した一九三〇年から三一年までの統計では、この間の世界の貿易量は半分に落ち込んでいる。
世界恐慌は‘資本主義の必然性’によってではなく、自由貿易の阻害によって発生したと考えるべきである。ホーリー・スムート法によってアメリカ経済はいち早くブロック経済に移行し、イギリスフランスがこれに続いた。オランダはインドネシアに膨大な資源を有し、ロシアは広大な領土に支えられている。資源の乏しい日独伊が追い詰められていった。

通州事件(1937年)
在留日本人380人中260人が惨殺される。実行したのは冀東防共自治政府保安隊。盧溝橋事件の三週間後、当時、日本軍惨敗のデマが流されていた。国民政府の御用放送は、執拗に冀東防共自治政府への脅しをかけてきており、恐怖に駆られた保安隊が日本人を血祭りに上げることで、蒋介石の怒りを解こうとしたのではないだろうか。

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こんばんは

西郷隆盛「征韓論」と言われますが、「遣韓論」だというんですね。

これは県議会でもちょっとした議論になり、県知事が教科書会社に抗議すると答弁しました。どうなったのか、あとのことはわかりませんが。
私の見解も「遣韓論」です。征韓論は西郷追い落としの口実のようなものです。では。

うさぎ屋 様

あれを征韓論と読んでしまったら、歴史観に関わってきますよね。
かなり重要な部分だと想います。

教科書は、本当に当てになりませんね。

ありがとうございました



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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