めんどくせぇことばかり “ブルーインパルス”とは何なのか❢❢ さらにミッドウェイとのつながりは・・・
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“ブルーインパルス”とは何なのか❢❢ さらにミッドウェイとのつながりは・・・

おかえりブルーインパルス 約2年ぶり松島基地に帰還
河北新報 2013,4,1
 アクロバット飛行で知られる航空自衛隊の飛行隊「ブルーインパルス」が31日、東日本大震災で被災した松島基地(宮城県東松島市)に約2年ぶりに帰還し、式典が開かれた。 天候不良のため飛行できず、6機が滑走路を1列に並んで走行する姿を披露した。
 震災後、活動拠点を福岡県の芦屋基地に移した。式典で飛行隊の田中公司隊長が「2年の訓練を終え、無事に帰還しました」と小野寺五典防衛相に報告した。小野寺防衛相が「地域復興のシンボルとして磨き上げた技を全国で披露してほしい」と訓示し、阿部秀保市長が「協力して復興に取り組みたい」と述べた。
 9機あった機体は基地で修理中だった1機が水没し、残り8機は芦屋基地への展開と定期検査中で無事だった。駐機場かさ上げなど津波対策が進み、帰還が実現した。
 飛行訓練が3日にも行われ、6日、基地周辺上空で曲技飛行の予定。
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/04/20130401t15013.htm
 ブルーインパルス
空自広報 ブルーインパルス http://www.mod.go.jp/asdf/pr_report/blueimpulse/

以下は、2011年11月の記事です。
ブルーインパルスブルーインパルス
(2011/06/08)
武田 頼政

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副題は「大空を駆けるサムライたち」

はぁ、国が空軍を保有するというのはこういうことなのか。 これまでの自分の自衛隊観がいかに貧弱なものであったか、思い知らされました。

副題は「大空を駆けるサムライたち」
“サムライ”=“伺候するもの”
「私はここにお仕えしております。いつでもこの命をお使い下さい。」
もう少し、現代風に解釈すれば、「国のために、国を背負って闘う覚悟を固めた者」と言ったところでしょうか。

“侍Japan”ならまだしも、自衛隊となると、現代的解釈ではおさまらず、文字通り“命”を懸けることになってくる。 多くの自衛官が同様の覚悟を要求されているであろうし、本書に出てくる戦闘機乗りたちの姿はまさしくそうであった。

本書を手に取った動機は、「ブルー・インパルスへのあこがれ」だった。 しかし、本書のテーマは私が思っていたものとは違った。 航空自衛隊草創期の様子から、空自隊員たちのすがすがしさや苦悩、ジレンマをまなまなしく描き出している。

東京オリンピック開会式に咲かせた五輪のマーク。
源田実という男。
1987年11月14日、浜松基地航空祭におけるブルー・インパルス事故にかかわる顛末。
空に向かうアグレッサーの姿勢と、事故にかかわる顛末。
不遇の時期のブルー・インパルスを背負い、事故に泣いた自衛官の姿。


どれもこれも、読み応えがありました。

ブルー・インパルス命名の背景に「原爆の青い閃光」があったという。
やはり、私たちの時代のスタート地点は、敗戦であるべきだ。
この本の心も、そこから始まっている。

著者のいうとおり、ブルー・インパルスは「ただ煙を引いて空を駆けるだけで人々の心を躍らせ」る。
しかしそれだけではなく、彼らを含む航空自衛隊は、私たちが笑い、泣きする日常を守るために、常に日本の空を駆けている。
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源田実
源田実 
大東亜戦争の序盤おいて源田は真珠湾攻撃、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦など、第一航空艦隊(南雲機動部隊)の航空参謀として航空作戦を指導した。

同艦隊の司令長官である南雲忠一中将は航空には全くの素人であったこともあり、また参謀長の草鹿龍之介少将も航空機より気球や飛行船に造詣が深い上に源田を信頼しており、もう一人の航空参謀吉岡忠一は少佐である為、南雲機動部隊の航空戦に関しては源田の独擅場であった。周囲からは「源田艦隊」と揶揄されることもあった。

第一次大戦中の1915年、すでに「航空戦力の違いが戦争の勝敗を決定する」という考えが登場している。イタリアのジュリオ・ドゥーエの著した『制空論』は、アルフレッド・マハン著『海上権力史論』の航空版である。日本では、山本五十六、大西瀧治郎、源田実がこの流れに立ち、大和、武蔵につながる大艦巨砲主義を批判した。まさに時代の先頭を行ったわけだが、同時に彼らの思想には日本の敗戦に直結する過ちも含まれている。ドゥーエの『制空論』そのままに、掩護戦闘機不要の戦略爆撃指向だったのである。戦略爆撃指向は時代の流れとして各国で語られたが、実際に戦闘機やそのパイロットの数を減らしてしまったのは日本だけだった。

大東亜戦争において勝敗の大きな分かれ目となったのは、言うまでもなくミッドウェー海戦である。

この敗戦における、源田実の責任を考えてみる。
1 索敵の軽視
2 偵察機の敵機動部隊発見の連絡に対し、飛龍座乗の山口多門二航戦司令官からの即時攻撃の意見具申を却下。その上で、兵装転換を指示したのは源田の進言である。

源田実は敗戦の責任を取らされることはなく、終戦まで海軍の中心で在り続けた。 山本、大西との関係によるものと思われる。

1944年から実行された特攻の発案者は、軍令部第二部長の黒島亀人である。航空特攻実行の責任者は大西瀧治郎である。特攻に関して源田は主導的に動いていたことは明らかであり、人間爆弾「桜花」の開発を主導し、その命名者でもある。

大西は終戦直後の8月16日に割腹自殺したが、源田は生き残り、戦後航空自衛隊を上り詰め、参議院議員となり、1989年84歳の天寿を全う。

批判的意見を総合すると「海軍において最も航空機の価値を理解した人物に思われていたが実際の航空機に対する理解は偏狭な部分があり、専門としていた戦闘機以外の機種にその傾向が多く運用方法に多くの疑問があった」と言われる。源田は良くも悪くも海軍航空の中心人物であったが、真珠湾攻撃や343空の成功の裏に、ミッドウェー海戦やマリアナ沖海戦、台湾沖航空戦、航空特攻などにおける失敗があり、彼の責任は極めて重い。

最後に戦後の源田実のエピソードを一つ。実は、一番書きたかったのがこれ。
東京五輪開催後の六四年十二月六日、カーチス・ルメイは航空自衛隊創設への顕著は功績を理由に勲一等旭日大綬章を授与された。熱心に押したのは他ならぬ当時参議院議員の源田実で、防衛庁長官の小泉純也と二人で推薦している。しかし日本焦土化作戦を推進した張本人を叙勲することには大きな批判があった。それが理由からか、勲一等は「天皇親授」が通例だが、昭和天皇はルメイに対して手ずから叙勲せず、勲章は浦茂空幕長によって入間基地で手渡されている。
ドゥーエやミッチェルが唱えた航空主兵論の“血脈”は、源田とルメイに息づいていた。
 
ミッチェルの対艦爆撃実験は、日本海軍航空隊による真珠湾攻撃やマレー沖海戦での英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の撃沈により実戦んではじめて証明され、ドゥーエの戦略爆撃思想は、アメリカ軍による日本焦土化作戦と原爆の投下という形でひとつの“果実”を得た。

源田にとって二歳年下のルメイが戦場で具体化してきたことは、かつて信奉した大西瀧治郎をはじめとする自分らが推し進めた戦術や戦略と同じである。つまりルメイの勝利は結果として航空主兵という兵術思想の勝利を意味しているのだから、源田には敗軍の参謀という意識どころか、むしろ勝利者に列する密かな高揚感ほどのものがあったのではないか。そうでなければルメイへの叙勲など考えもおよばないはずだ。太平洋戦争では八十万人の日本国民が犠牲になり、二百三十万人もの陸海軍将兵が散華して朽ち果てていったことなど、そこからはあきれるほど見事に抜け落ちている。

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No title

東京五輪でのブルーインパルスよく覚えています。五輪以降もテレビで取り上げられる事がよくあったようで、画面で見るだけでもカッコいいなあと思っていたものです。
けれど青い閃光の由来がそれだったとは初めて知りました。
敵だった同士の航空隊での繫がりは複雑ですね。中共空軍も敗戦時に捕虜となった日本人航空兵が学校創設と訓練に関わったと聞いた事がありますが、今やそれが領空侵犯し掛けているきている…

紺屋の鼠 様

コメントありがとうございます。

空軍を持つってとても大変なことなんですね。
中共空軍創設秘話は『大東亞戦争は昭和50年4月30日に終結した』という本で読みました。
もしよろしければ、・・・http://jhfk1413.blog.fc2.com/blog-entry-1537.html

ありがとうございました



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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