めんどくせぇことばかり 『昭和、家族の見識』 新井りえ
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『昭和、家族の見識』 新井りえ

2012年3月17日の記事を加筆修正したものです。

『昭和、家族の見識』  新井えり『昭和、家族の見識』  新井えり
(2011/09/22)
新井 えり

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日本人が覚えておきたい10のこと
ガキだった自分が、人に揉まれてそれなりに大人になって、妻を迎えて、子に恵まれて、家族を持った。事あるごとに悩み、妻や子とぶつかり、時には無様を晒しても、身を挺して家族を守ろうと決意した。かつて、父に憎しみを抱いたこともあった。制止する母を振りきって飛び出した。自分から引きちぎるようにして、踏みにじった。“家族”を思う時、常に後悔と懺悔の念がともにあった。私を人たらしめてくれたのは、まちがいなくあの“家族”だったのに。父も去り、母も去った今、あの日、確かにあった“家族”を証明するすべは、自分の存在しかなくなった。

以下の十章からなるこの本は、あの時あった“家族”の日々を、久しぶりに思い出させてくれた。私は、父や母に恥ずかしくない人間になれたのだろうか。
一 定式のある暮らし
 しきたりを守るには、人間同士の直接的な関わり合い、交際が欠かせない。その際、さまざまな心遣いや工夫、趣向がなされて、自ずと情趣が生まれた。しきたりは、日本人の美意識の土台であったとも考えられるのである。
二 躾
 躾とは、ただ作法を教え込むことではない。子の弱さ脆さに補いをつけながら、人生の悲しみの種を喜びの芽へと変えるための術を示し、手助けしてやることである。
三 らしさ
 夫には夫の「分」、妻には妻の「分」、父や母になれば親の「分」、子供には子供の「分」。各々が己の「分」をわきまえて、少しも不自然ではない。それが昭和の家族であった。
四 縁
 互いに適度な距離を保ちながら、相手に気遣いをさせず、自分の出来る限りの力を出して助け合う。己の立ち位置と器量を心得て、謙虚でありながら、常に他者の立場と心の内を思いやる余裕をも備えている。 容易には会得できない、成熟した大人の付き合い方といえよう。
五 自由と自立
 だが、人々の内面も、経済に比例するように豊かになったわけでは決してない。むしろ公徳心や倫理観に乏しい傲慢な人間が増えて、昔日の誇るべき姿を失いつつある。 日本人は、物質的な豊かさを追い求めるあまり、「精神」を置き去りにした。さらに、「精神」を盛る器としての「規範」をも忘れ去ろうとしているのである。
六 昔話
 戦後、日本人は老人のいない家庭を作ることで、自由と気楽さを享受し始めた。その挙句、躾や昔話を含む「伝承の力」を失ったのである。
七 不便
 便利になって一番良かったものはと問われたら、私は迷うことなく「水洗トイレ」と答える。衛生的になって、匂いの心配もなくなった。 だが、汲み取り式の家で暮らした人生の初めの十年、言葉では言い尽くせない大事な事を学んだ気がする。あえていえば、恥じらい、慎み、謙虚さ。
八 叱る
 礼儀の根本は、周囲に迷惑をかけない、不快な思いをさせない、という心遣いである。親は子供の粗相を叱る中で、「世間を渡ってゆくための常識」を教えたのである
九 茶の間
 辻嘉一著『味噌汁三百六十五日』に、吉川英治が序文を寄せている。 「・・・あれは作る人自体の人間の味といってよい。でなければ家の味、あるいは女房の味、あるいは母の味、とにかくなにか重大なものが、味以前に醸されて出るものらしい。」
十 平凡の価値
 正直に律儀に、骨身を惜しまず働くことを徳とした時代が、かつてはあった。それで、たとえ報われなくとも、黙って自分の人生を受け入れる強さと器量を、昔の日本人は持っていたのである。 働き盛りに、戦争や空襲、戦後の混乱期がぶつかるという、不運に見まわれながら、人生を愚直に生き抜いた人々も少なくなかった。

私も著者と同じ「昭和ひとけた」二世。身辺の基準はやはり同じように、「昭和ひとけた」の両親から受け継いだ。

この本を読んでいて、いろいろなことを思い出した。苦労して学問し、家族よりも世間のためを優先した生真面目な祖父。自ら祖父に嫁ぐ道を選択する勝気さで、祖父を支え続けた祖母。戦後の混乱の中、首都圏の、しかしとてつもない田舎町で徒弟から叩き上げ、会社や地域に尽くすことに常に全力を傾けた父。自分を捨てて、父と三人の息子のために生きた、とても頭の良かった母。祖父母は明治、父母は昭和の、おそらくその時代を代表する価値観を持った人たちだった。

私から見れば、決して“幸せであった”とは言いきれいない人生ではある。“幸せ”というものを人生の目標の大きな要素とすること当然とする時代に生きる私に、もはや彼らの生き方を捉えることは出来ないのか。しかしそんな私でも、彼らが時代に翻弄されながらも、彼らの価値観のもとに懸命に生きたということは分かる。  

その生き方からは、“幸せであろう”という価値観を感じることはできない。むしろ、進んで“苦しみ”や“厳しさ”に向かっていくかのように、懸命に生きるのだ。そんな人達の子として育てられたことを誇りたいくらいに、“美しい生き方”をしているのだ。

あの父母を見て育った自分は、父母たちの何を自分の子らに伝えられただろうか。

価値のある一冊だと思う。

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テーマ : 精神世界
ジャンル : 本・雑誌

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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