めんどくせぇことばかり 『神道はなぜ教えがないのか』 島田裕巳
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『神道はなぜ教えがないのか』 島田裕巳

神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)
(2013/01/09)
島田 裕巳

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神道は日本人を知るための鏡であるかもしれない

「あなたの宗教は?」

一般的日本人にとってこんなに困った質問もない。両親はすでに仏壇におさまってる。葬式の時は臨済宗建長寺派円融寺の住職にお経をあげてもらった。両親とも‘喝’の声に押されてあの世へ旅立った。娘の結婚式は神・・・って言ったってGodの前で愛を誓ってたぞ。私も讃美歌なんか歌ってさ。クリスマスの最初の思い出は、親父が山からもみの木みたいなの掘り出してきて、庭に植えて、なんか短冊みたいな飾りをつけた。もちろん子供が生まれてからはプレゼントも用意した。初詣は高麗神社。子どもの受験の時は湯島天神で合格祈願。もうすぐ、水天宮に腹帯もらいに行かなきゃ。・・・こう考えると、基本的には神様・・・今度はGodじゃないよ・・・神道だなぁ。
第1章 「ない宗教」としての神道
第2章 もともとは神殿などなかった
第3章 岩と火 原初の信仰対象と閉じられた空間
第4章 日本の神道は創造神のない宗教である
第5章 神社建築はいつからあるのか
第6章 「ない宗教」神道と「ある宗教」仏教との共存
第7章 人を神として祀る神道
第8章 神道とイスラム教の共通性
第9章 神主は、要らない
第10章 神道は変化を拒む宗教である
第11章 遷宮に見られる変化しないことの難しさ
第12章 救済しない宗教
第13章 姿かたちを持たないがゆえの自由
第14章 浄土としての神社空間
第15章 仏教からの脱却をめざした神道理論
第16章 神道は宗教にあらず
第17章 「ない宗教」から「ある宗教」への転換
第18章 神道の戦後と現在

ということで、この本。『神道はなぜ教えがないのか』という題名だけど、‘教え’がない?たしかに、いわゆる教義がない。教義がないんだから教わろうったって教われない。教えられてないのに、なぜか手を合わせる。つまり、感じる宗教ということなんだろう。いったい、何を感じてるんだろう。西行法師の伊勢神宮にお参りしたときに詠んだ「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなくて涙こぼるる」って、分かるなぁ。・・・これが分かる人は、きっと神道の信者。
E伊勢~1

教義がないんだから経典もない。『古事記』『日本書紀』と言うけれども、あれは8世紀初頭に完成した神話からこの国の起こりをあらわしたもので、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランとは違う。イエスやムハンマドのような教祖もいないし、だいたい、いつ成立したかもわからない。おそらく長い縄文の昔から徐々に形づくられていったものだろう。でも、縄文人も弥生人も、土偶や埴輪をたくさん作ってるのに、神さまを作ってない。もともと形にできるものではなかったわけだ。

仏教は、キリスト教、イスラム教と並ぶ世界宗教で、洗練された教義と思想体系を持っている。その仏教が入ってきても神道は吸収されなかった。本地垂迹説のように神と仏は習合して仲良くおさまった。現実世界においても、仏教は死後を、神道は生の領域を、という風になんだか住み分けた。

この本は、神道をないないづくしの宗教という。確かにその通りだな。極めつけは‘救い’がない。うわ~、たしかに・・・。じゃ、なんで信仰してんだろ。神社に行って、手をあわせて、なに祈ってるんだろう。
初詣
お宮参り
七五三
昨年一年、無事過ごすことができました。ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。
無事、子を授かりました。今後とも、どうぞよろしくお願いします。
ここまで無事成長しました。今後とも、どうぞよろしくお願いします。
こう考えてみると、神社に行って手を合わせるって、‘感謝とあいさつ’なんだな。魂の救済とか、来世の平穏とかいうものではないな。この‘感謝とあいさつ’は、『なにものかに生かされている』という意識が前提にないと考えられない。救済は終わってるんだ。だから、「ありがとうございます」と・・・。ちょっと、著者の意を越えて、踏み込みすぎたか?

もちろん、合格祈願、安産祈願、必勝祈願、病気平癒とか、いろいろあるけど、これはいわゆる煩悩の範囲だよね。‘安産’や‘病気’までそう言っちゃうのは気兼ねがあるけど、「神様、できればなんとかお願いします」って感じだよね。とはいっても、神様は話聞いてくれるだけだから、あっちからわざわざやって来てまで救ってくれる新興宗教に泣きつく人も多くいるわけだ。ふんふん、確かにその通り。

神仏分離令で廃仏毀釈のような動きもあったが、日本人の多くは分離令が出たからと言って、「はい、さようなら」というわけにもいかない。そのため、日本人の宗教観はよけい宙ぶらりんなまま放置された。・・・著者はそう言っているが、まさしくその通り。さらに地縁から切り離され、血縁からも遠ざけられている現代人。なんて哀れな存在だろう。せめて、お日様に手をあわせて、「今日も一日お願いします」とでもあいさつしてみようか。結構、楽になるんじゃないかな。まさしく、神道の信者らしいじゃないか。

  


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こんばんは。

本屋で立ち読みしたのですが、日本で最も多いのは浄土真宗とあり、それでも国民の26か28パーセントだったように記憶しています。仏教徒であっても、神社にお参りはします。日本(人)はおおらか、寛容といいますか、神仏混淆といいますか、外国の排他性のある一神教の世界と違って、多神教、多元論の世界でもありますね。

私自身、実家は仏教徒なんですが、そして私がお仏壇を引き継ぐ身でありますが、神社にはよくお参りしています。結婚式は神前でした。大学はキリスト教系(当時は女子が多かったので)。キリスト教概説なんてのが必須科目にありました。単位はレポート提出で取得しましたが、キリスト教徒になろうなんて考えたことなかったですね。

え、神仏分離、廃仏稀釈、国家神道、といった動きですが、江戸時代までお寺は広大な寺領を持っていたので、庶民は旧体制に対する反発みたいなのもあったようです。当時の”進歩派”でもあったわけですね。そのような一面もあったのでしょう。
長文、失礼。
今日も元気にランキングポッチして帰ります。では。

No title

西行法師のその句、心に染みますなぁ。
祈りは感謝と挨拶というのはまさにその通りですね。
日本の神様はなにかしてくれるわけでなく、なにもしない、ただあるのみ。
逆を言えば「災害や祟りを与えないでください」と祈るということかなぁ。
ただただ「自然の恵に感謝」したくなりますね。

あ、水間氏の本で記事書くので、イーグルさんの記事も参照として
リンクしたいのですが良いでしょうか?

うさぎ屋 様

いつもありがとうございます。

江戸時代、寺は支配の末端にありましたし、幕末の尊攘の流れもありましたからね。
ただ、廃仏毀釈のような狂奔の、あまりにも政治的に傾きすぎた行動には、もう一つ裏、うまく言えませんが‘決定打’が欠けてるようにも思うんですけどね。

きいち43 様

小さいころに、一人でちょっとした祠の領域に踏みいったりすると、‘なんかいる’って感じたけど、やっぱりなんかいるんですね。

リンクの件、よろこんで・・・

面白そうな本ですね

こんにちは。
神道は無い無いづくし、というのは面白いですね。
「宗教にあらず」だったら何なんだろうと続きを読みたくなります。

我が家も基本は真言宗としても神棚もありますし、毎年御参りやお払いにも行くし、皆子供の頃に日曜学校(プロテスタント)へ通ったり学校はキリスト教系だったり。
無い無い尽くしはイコール「何でもアリ」だったりするのでしょうかね。

紺屋の鼠 様

ありありの宗教とは、明らかに違いますね。
たしかに、「ありがとうございました」で始まるのですから、あとは「何でもアリ」になるのかも・・・。

ありがとうございました



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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