ブッダの実像にせまる 『ブッダとは誰か』 吹田隆道
![]() | ブッダの実像にせまる 『ブッダとは誰か』 吹田隆道 (2013/02/28) 吹田 隆道 商品詳細を見る サンスクリット語原典、パーリ語原典、さらには考古学。様々な学問を総合した仏教学によって、ブッダの実像に迫る。 |
著者の吹田隆道氏は、仏教学者で、現在、浄土宗招善寺住職。専門の研究分野は梵文阿含教典の批判的研究。?????? この表紙と、『ブッダとは誰か』という題名に、“くみし易し”と高をくくって読み始めたのが運の尽き。こんなこと言うと難解な本に思われちゃうな。難しいってわけじゃないんだけど、とても奥深い本であることは間違いない。
考古学的に実証された、わずかな“点”のような事実と、膨大な伝説を手がかりに、文献学の手法を用いてサンスクリット語原典、パーリ語原典を当たり、ブッダの実像に迫ろうとする試み。現時点における、その集大成がこの本。
そういうことなら、ブッダの虚像すらおぼろげな私なんぞには手に負えるはずもない。手に負えるはずもないんだけど、この本は面白い。なに言ってんだって怒られそうだけど、仏教が生まれてくる歴史的背景とかって、これまであまり考えてみたこともないところから仏教に迫っていくところが面白い。
人々がどんな社会的背景の中で新思想を求めていたのか。
ゴータマは火を司る聖人を祖先とする一族。
七歩歩いて“天上天下唯我独尊”…“七歩”の意味は。
ラーフラ。“邪魔するもの”の解釈。
ビンビサーラがなぜ出家した釈迦牟尼に関心をいだいたか。
スジャータは“善い子”?
などなどなど・・・、面白そうでしょ。「ゴータマは火を司る聖人を祖先とする一族」なんて言われると、拝火教、ゾロアスター教を連想しちゃう。こんな話もあった。
阿修羅は、サンスクリット語やパーリ語の「アスラ」。古代ペルシャ語の「アフラ」と同じ語源を持ち、もともと善神を意味していた。ところが後に、「スラ」(神)に否定語の「ア」がついた「神にあらざるもの」と解釈され、神々と戦う悪魔に・・・ |
中道を由として、否定されるべき苦行。その苦行の捉え方、私は間違っていた。単に快楽に対する苦行、その「極端を廃す」という意味で捉えていたが、間違っていた。
苦行は、いかなる状況においても欲を抑え、恐怖心や怒りなどの感情の昂ぶりを落ち着かせ、常に心を平静に保つことを目的として行われる。・・・苦行はエスカレートし、さらなる苦行を求めて果てしない連鎖の中に身をおくことになる。欲を止滅するはずの苦行が、さらなる苦行への欲を生み出す。まるで拒食症のように・・・。 |
他にも色々と勉強させてもらった。私みたいな中途にしか仏教をかじってないものでもこの本は楽しませてくれる。この本の本来の価値を理解してないと言われれば、それはその通りだけどね。
最後に、『スッタニパータ』にまとめられたブッダの言葉の中で、大好きなもの。この本にも紹介されていた。それを紹介してこの記事をまとめる。・・・「この本について、何が何だか分からない」と言われても、返す言葉なし。文句があったらおとといにして下さい。
同伴者の中では、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、文句がつく。干渉されることのない独り立ちを望むなら、犀のように一人歩め。(スッタニパータ 四〇) 群れることに喜びをもつ人には、一時的な心の落ち着きすらありえない。太陽の末裔の言葉を心がけて、犀のように一人歩め。(スッタニパータ 五四) 声に驚かないライオンのように、網に捕まらない風のように、水に汚されない蓮のように、犀のように一人歩め。(スッタニパータ 七一) |


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