戦争と革命の二〇世紀 『二十世紀論』 福田和也
![]() | 戦争と革命の二〇世紀 『二十世紀論』 福田和也 (2013/02/20) 福田 和也 商品詳細を見る 戦争への大衆動員のため社会保障やインフラが整備された二〇世紀 |
「ターン・オブ・センチュリー」・・・世紀の変わり目
二〇〇一年九月一一日。乗客もろとも大型旅客機を自爆テロに使い、一瞬にしてアメリカのマネー経済のシンボルともいうべきワールド・トレードセンタービルを崩壊させた同時多発テロ事件。二〇〇八年九月、七年前には被害者だったアメリカが世界に大不況の種をまき散らしていたことが発覚したリーマン・ショック。どちらも、「あの日から世界が変わった」といえるできごとだった。
では、二〇世紀は・・・、二〇世紀の「ターン・オブ・センチュリー」と呼べるできごとはいったいなんだろう。考えるまでもない。第一次世界大戦である。日本の歴史教育は、日本の関わり度から第二次世界大戦を重視し、一時大戦を軽視する。しかし、第一に世界大戦をもう一度見なおしておかないと、日本はもう一度間違えることになりかねない。
第1章 総力戦の世紀ーロイド・ジョージ、永田鉄山、石原莞爾 第2章 帝国主義の終わりの始まりーチャーチル、東郷平八郎 第3章 世界戦争時代ーチャップリン、フォード、ウィルソン 第4章 二つの大戦の間ーレーニン、ヒトラー、シャネル 第5章 第二次世界大戦とは何だったのかールーズベルト、蒋介石、東條英機 第6章 冷戦という名の平和ーマリリン・モンロー、サルトル、手塚治虫 第7章 世紀末と新世紀ーウサマ・ビン・ラディン、鄧小平、昭和天皇 |
題名につけた“戦争と革命の二〇世紀”というのは、政治・経済評論家の長谷川慶太郎氏の言葉だが、実際、二〇世紀を一言で定義すれば、これほどピッタリ来る言葉も無い。
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二一世紀に入って十三年目の今年、たしかに長谷川氏が定義した「戦争と革命の二〇世紀」という状況は変わった。同時多発テロに始まる対テロ戦争。リーマン・ショックに始まる慢性不況。しかし、どちらも前世紀からのツケだ。ツケを払い終わった時、われわれの眼の前に広がる世界はいかなるものか。
世紀末から世紀初頭、日本は激動している。一九九〇年に始まる雲仙普賢岳の噴火活動と翌年の大火砕流被害。一九九三年の北海道南西沖地震と奥尻島を襲った津波。一九九五年の阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件。二〇一一年の東日本大震災と津波、そして福島第一原発事故。経済を膨張させる支那。支那、韓国との不仲。失われた二〇年を経て、日本は変わり始めている。・・・私たちは何かを見落としてはいないだろうか。
以下、覚書
一八四八年、アメリカで砂金が発見され、ヨーロッパを中心とする金本位制度のバランスが崩れる。覇権国家イギリスはオレンジ自由国、トランスバール共和国の資源に目をつけ、一八九九年に南阿戦争を始める。
一九二四年、レーニンが五三歳で死去。ウィンストン・チャーチルは、その死に際しこう述べたという。「レーニンの誕生はロシア最大の不運だが、その死もまた不運だ」・・・レーニンの意志とは裏腹に、彼の後継者の地位はスターリンに決まった。
第一次世界大戦後、アメリカには覇権国家としての自覚が足りなかった。
もしもアメリカに、イギリスやフランスの債務を帳消しにするくらいの度量があれば、ヨーロッパの復興はもっと早く、良好な経済循環が形成されたはず。しかしアメリカは、厳しく借金を取り立てた。だからイギリスもフランスも、ドイツに課せられた賠償金を厳しく取り立てた。
ヒトラーは第一次大戦時のヴィルヘルム二世とは違った。イギリスに再分割を要求することも、制海権を犯そうともしなかった。ラインラントには進駐した。でも問題とならなかったからズデーデンを要求した。チェコスロバキアを併合してみたが、認められた。だからポーランドに侵攻した。そしたら突如、宣戦布告された。ミュンヘン会談からポーランド侵攻までの間に、イギリスはスピットファイアー、ホーカーハリケーンの生産体制を拡充し、戦争の体制を整えた。
第二次世界大戦は第一次世界大戦の延長でしかなかった。中途半端な解決を精算せざるを得なかった。しかし、フランスは最初からやる気がなかった。「ダンツィヒのためになぜフランス人が死ななければならないのか❢」というのが、当時のフランスのスローガンだった。アメリカは違った。第一次世界大戦で壊し残したイギリスの覇権システムを完全に破壊し、自由で開かれた諸国家の世界をつくり、その上にアメリカが君臨するために、第二次世界大戦を必要とした。
フランクリン・デラノ・ルーズベルトは、一九三三年三月に大統領の地位につくと、ニューディールと総称される恐慌対策を打ち出した。戦争はニューディールの延長線上にあった。
近代市民社会と国民国家の成立は、ユダヤ人の境遇に大きな変化をもたらした。身分制に基づく社会が崩壊すると、それまで迫害の対象でしかなかったユダヤ教徒を中央集権制のなかに統合していこうという動きが起こった。長い差別と収奪の歴史から解放されたユダヤ人は西ヨーロッパにおいて、政治、経済、学問、文化と、あらゆる分野に進出した。ユダヤ人のめざましい活躍は、自らを資本主義の推進者たらしめた。不況にともなう資本主義への疑問は、反ユダヤ主義と結びついた。
第二次世帯大戦後、帰国したアメリカ兵たちは、自国での安定した生活を切望した。彼らが思い描く「夢のように豊かな生活」の中心には「家」があった。リーマン・ショックの引き金となったサブプライム・ローンも、もともとは貧しい人でも住宅ローンが組めるという「善意」に基づく政策だった。


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