めんどくせぇことばかり 『「正しい」とは何か? 武田教授の眠れない講義』
FC2ブログ

『「正しい」とは何か? 武田教授の眠れない講義』

『「正しい」とは何か?  武田教授の眠れない講義』『「正しい」とは何か? 武田教授の眠れない講義』
(2013/03/08)
武田 邦彦

商品詳細を見る
現代社会で生きていくために役立つ「正しさ」について

なぜ、武田邦彦氏が「正しさ」について、語るのか。さっぱりわけがわからない。

私はこれまで、武田氏の著作からの様々な知見により、大きな影響を受けてきた。“ごみ問題”、“リサイクル”、“ダイオキシン”、“温暖化”、“エネルギー問題”といった、主に“環境問題”の分野において、私のものの考え方の基礎は武田氏からの影響のもとに構成された。

私が武田氏に惹かれたのは、彼のものの捉え方、考え方が、至極真っ当に思えたからだ。高邁な理想に拘泥せず、素朴な、傍目には素人っぽい疑問をないがしろにせず、権威に傾かない純な研究者に思えたからだろう。その研究者が、今、なぜ「正しさ」なのか。
 原子力の歴史は「科学技術と正しさ」を考える良い例になります。  
 よく「科学は人類に奉仕しなければならない」とか「原子力は悪魔の技術だ」と言われますが、キュリー夫人がラジウムの崩壊を発見したのが、人類が原子力を発見した最初です。もちろん、キュリー夫人も研究に取りかかる前には「原子力」というものを知らないので、自分の研究がやがて50年後に原爆や原子力発電所の事故で多くの人に迷惑をかけることなど知るよしもありません。・・・
 問題は、キュリー夫人の原子力が、原爆や被曝の可能性のある原発に発展するときに、「人間の叡智」が働いて「正しい道を選択する」ということがなぜできなかったのか、そちらが「科学の正しさ」を議論する本質なのです。
本書P50・52

「科学の正しさ」を議論することは、たしかに大切なことではあるかも知れないけど、それ以上に問題なのは、“今、なぜ武田氏が「正しさ」にこだわるのか”ということだ。 『ノーベルの発明したダイナマイトは産業の発展に貢献したが、同時に多くの兵士が戦場で命を落とすことにつながった』ことに、“もう少し人間に叡智があれば”と、武田氏は嘆く。そんなこと分かりきったことで、人間とは、その手の叡智が足りないものなのだ。だからこそ、どうするか。それが“武田流”ではなかったか。

『日本も明治維新以降、帝国主義の仲間入りをし、国の版図を広げることを、絶対的な「正しさ」とした』とか、『およそ一二〇〇年前に武家政治になったが、庶民の生活や農業で生計を立てることにはなんの影響もなかった』とか、歴史を貫く“慣性の法則”だとか、社会を変化させる“摩擦係数”だとか、残念ながらわけが分からん。紙とインクの無駄。読者の時間を無駄に浪費させる犯罪的行為。
正しさが相互に矛盾していることは、かなり多く見られます。特に日本人の場合、素直に育ちますので、他の人に何かを言われると「思考停止状態」になってしまい、それが今まで自分が習ってきたことと正反対でも、それはそれ、習ったことは習ったことにして行動してしまうのです。日本人の特徴ですね。12月25日にキリスト教の祭典に参加し、それから5日後には日本の神道の例祭に出て、その足で仏教のお寺に行ってお坊様に護摩を焚いてもらう。このようなことが普通に行われていますし、イエス・キリストを信じていないカップルが神父さまの前で「愛することを誓います」と言います。おめでたい席で、私は批判したことはありませんが、イエスを信じていない人がキリスト教の神の前で誓うというのは、どんな宗教を信じている人でも日本人でない限り理解できないでしょうし、その「愛」自体がウソであることも間違いありません。
本書P136
科学者であるなら、“日本人”にケチをつける前に神の前で愛を誓った連中の離婚率くらいは頭に入ってるんでしょうね。もしそうでないなら、他人の「愛」をウソとは、神にでもなったつもりか。「正しさ」同様、「愛」も移ろいやすいもの。でも、そこで誓った「愛」は、本物ですよ。日本人の精神構造には日本の歴史の特殊性が影響している。この点、武田氏はただの“不勉強”に過ぎない。
 放射能問題は、専門家の不在が尾を引いています。例えば、福島県知事は、「1年1ミリシーベルトに規制されると困る」と、政府に圧力をかけました。それに呼応するように、福島県で被曝関係に携わっている意志は、「1年100ミリシーベルトで大丈夫だ」と言いました。
 
 ひとりの医学者が「1年100ミリシーベルトでもOK」と言うのならばいいのです。これは「学者」としての発言ですから。しかし、福島県のブレーンになっている医師が、これを言ってしまってはダメなのです。もし、「1年100ミリシーベルト」に従って、将来、放射能の影響が人体に出たら、この医師は、必ずこれは、過失傷害罪にならなければおかしいのです。だって、法律が「1年1ミリシーベルト」と規定しているのですから。この数値がおかしいと言うのならば、まずは法律を変えなければなりません。ソクラテスが思い出されます。
本書P123
事故当初からの武田氏の主張の通り。私はこの本を呼んで、武田氏が「正しさ」にこだわった理由は、ここにあると思っている。武田氏は、まわりとは異色の存在として原子力行政に関わった。周囲で金に転ぶ連中、地位に転ぶ連中、名誉に転ぶ連中を見ながら、孤高を貫いた。そして事故。責任を逃れんと、一気に「年100ミリシーベルトOK」の声。それに対する反発。

分かるんだけどね。でも、「年1ミリシーベルト」の原則を貫いても、死ぬ奴は死ぬ。被曝で死のうが、他の理由で死のうが、死ぬことに変わりない。グレーゾーンを開放して、「年100」で元気を取り戻せる人がいるなら、「年1」へのこだわりは“放射能では死なせない。他の理由で誰が死のうが知ったこっちゃない”といってるに等しい。「過失傷害罪」・・・結構じゃないですか。私はその医師を支持する。

残念ながら文句ばっかり書くことになっちゃったけど、私はこれまで多くの知見を与えてくれた武田邦彦先生を尊敬している。矛盾するようだが、その気持には、今も変わりはない。だからこそ、あえて書いた。

 この『ケンカ対談』に関しては、私は完全に副島隆彦氏の立場を支持する。

にほんブログ村 本ブログへ一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
関連記事

テーマ : 精神世界
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


「沖縄の人は優しい」と皆が口をそろえる中、なぜ、自殺率やいじめ、教員の鬱の問題は他の地域を圧倒しているのか。
誰もなしえなかったアプローチで、沖縄社会の真実に迫る。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






















































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事