めんどくせぇことばかり 『完訳 日本奥地紀行4: 東京・関西・伊勢』 イザベラ・バード (東洋文庫)
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『完訳 日本奥地紀行4: 東京・関西・伊勢』 イザベラ・バード (東洋文庫)

『完訳 日本奥地紀行4: 東京・関西・伊勢』 イザベラ・バード (東洋文庫)『完訳 日本奥地紀行4: 東京・関西・伊勢』 イザベラ・バード (東洋文庫)
(2013/03/27)
イザベラ・バード

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イザベラ・バードが旅する明治初期の日本奥地。東京、関西、伊勢。

『完訳 日本奥地紀行』は、この第四巻が最終巻。彼女が最後に紹介するのが、東京、京都、奈良、伊勢、滋賀、大阪。著者イザベラ・バードは、イギリス人。ようやく蒙を開かんとする半未開の地日本へやってきた女性旅行家。彼女の目は文明の先輩として、後輩の成長を見守り、導くかのようである。ほんの数十年ののち、アジアの植民地に支えられた大英帝国の栄華に、この国が終演の狼煙を上げることになるなど、もちろんだれも思いもよらない。それでも彼女は、この国の有様に、すでに何かを感じていたように思える。日本はこの時、明治維新により“世界”に乗り出して十余年。
東京にて
日本人の性格には二つの評価できる特質がある。一つは死者に対して敬意を払うことであり、いま一つは墓地を美しく魅力的にするためにあらゆる気配りをすることである。
工部大学校工部大学校こそは日本の教育施設の栄光と自慢の種であり、日本人が誇りとするのももっともだと思われる。・・・設備に関して言えば、日本が、日本の将来の進歩を支えるいくつもの大きな改善事業を、近いうちに、外国人にまったく依拠せずに実施していくためのものなのである。
自然の美を愛でる気持ちこそは、日本人の特性のうちで一番喜ばしい点の一つであり、特定の満開の花を見ることの出来る場所に出かけて行って次々と楽しむことにもよく表れている。・・・四月こそは日本の最高の月であり、最高の花木であり、種類も様々な桜が美しく咲き誇ると、東京中の人が晴れ着を着て、岡の高台を為す飛鳥山や王子、とりわけ上野へと集まってゆく。
東京の街の活力そのものにつきることのない楽しみが秘められている。・・・群衆のいつも変わらぬ気立ての良さと行いの良さ、花見、祭りの行列、立派な葬式、さまざまな行楽、水面をゆく船の列、四六時中灯りがつき色彩された提灯、不思議さを感じさせる不調和、変化と変動、あふれる動き、やむことのない勤勉、あらゆる階層の人々の卑屈でも無遠慮でもない振る舞いからうかがわれる自立と自由の享受、小さな家とそこに住む人形のような女性、・・・新しいものと古いものの共存・・・これらが単独でまた寄り集まって絵のように美しい風景を生み出し、呆れ驚かせると同時に魅了するのである。

京都にて
(同志社英学校)彼らは英語で記された『旧約聖書』を丹念に勉強して自分たちの主張を裏づけており、彼らが真摯に提起する意義は、軽率な懐疑とは程遠いものであった。その中には耳新しいものもあり、教育を受けた人々が『聖書』に出会う時に抱く至極もっともな疑問だと思われた。また、「あなた(学長デイヴィス氏)はキリストと父なる神は一つだと言われますが、それではキリストが地におられた時、神は天におられたのですか。ならば、人はだれに向かって祈ったのですか」といった疑義も出されたが、これらは私たちでさえ抱くものなのである。
夕刻、軽い食事に招かれていた新島夫妻の家を訪れた。・・・新島氏は〈士族〉である。氏はアメリカで叙階された牧師で、このキョウト・カレッジ[同志社英学校]では窮理学(自然哲学)を教えている。洋服を着ており、外国の暮らしが長かったので着こなしが板についている。妻[八重]は女学校[同志社女学校]で裁縫を教えており、和服を着ている。
日本人はだれもが美や愛らしさを慈しんだり認識する並外れた能力を生まれつき持っているように思われる。・・・京都府が支援している工房の一つで一対の花器を見た。奈良の博覧会場にあるものの複製だが、まさしく完璧な作品だった。仕事をぞんざいにして、風変わりなだけの俗悪品や下手な模造品を生み出す英国の職人は、この工房でどれほど真心と愛情を込めた入念な仕事によって完璧なものをわずか一日一シリングで生み出しているのかを見るべきである。

琵琶湖にて
私がたとえ不平をこぼしたい気持ちになったとしても、私を乗せていた車夫はいつも気立てがよく、明るく、親切だったので、そうならずにすんだ。この忠実な人物と別れることになるのがどんなに残念か、また、その甲斐甲斐しい仕事ぶりや、醜い顔、毛布にくるまった姿を目にすることができなくなるのがどんなに寂しいかについては、うまく言えそうにない。否、この男は醜くなどない❢誠実さと優しさに輝く顔が醜いということはありえないし、その顔を好ましく感じているし、この男に「天の国の子供のような」子供だといわれる日がいつか訪れることを望んでいる。

京都にて
私たちは昨日の午前中に京都についた。外国の女性二人が、ヨーロッパ人の女性など滅多に見かけないような地域を、一人の従者もつけないで二〇〇マイル(三二〇キロ)近くにもおよぶ旅ができ、ただの一度も、強奪にも無礼な仕打ちにも不快な目にも合わなかったのは、この地域の治安がいかに良く平和であり、外国人がそれを享受できるかの証になる。私達はそんな目にあわなかったばかりか、至る所で丁重で親切なもてなしを受けたのだった。
私たち西洋人の考え方からすると、日本の妻は金持ち階層より貧しい階層のほうが幸せだというのが私が受けた印象である。よく働くけれども、夫にこき使われる者というよりむしろ夫の協働者なのである。また、同じ階層の中でなら、結婚していなくても世間から隔離されていないし、一定の範囲内では完全な自由を有している。日本の女性が他のほとんどの非キリスト教国の場合よりも恵まれた立場にあるのは確実だし、一度結婚すればおそらくは操を守る。間引きはめったにないし、娘が生まれても悲嘆にくれるようなことはさらさらない。男女の別なく慈しみを持って育てられるし、女の子も男の子と同じように身分相応の教育をきちんと受ける

日本の将来
日本に忍び寄らんとしているのうちで最も暗いものは、私の考えでは、この国が種々の果実を生み出すキリスト教という木を移植しないで果実だけを得ようとして来ているという事実に由来する。国民は不道徳に陥っていて、この国が始めた競争の過程で東洋人の特異性という大きな石臼を首にかけられるのである。またこの国の進歩は精神的な面のものではなく、政治的、知的な面のものである。換言すれば、最も重大な人々の運命という点に関して言えば、個々にも全体的にも無きに等しい。日本に何よりも望まれるのは、この国が、私たち西洋の諸技術や諸科学をつかんだのと同じように積極的に、我等の主イエス・キリストが唇と命をもって説かれた初期キリスト教の真理と純粋性をつかみとることである。また、雄々しさと国民の偉大さの真髄を備えつつキリスト教を受容する時にはじめて、この国は最も高尚な意味において「日出る国」、東アジアの光となりうるのである。

   
彼女の心配は的を射たものであったが、杞憂に終わった。近代文明はキリスト教精神に裏打ちされたものであることはまちがいなく、それなくして実を取ろうとしたアジアの試みはことごとく失敗した。日本はそれを、一部は武士道を一般化することで補い、一部は持ち前の勤勉で、さらに一部は尊皇思想で補った。いわば、不完全なまがい物である。しかし、まがい物といえども、日本は受け入れ許容な状態に西洋文明を加工し、もはや西洋文明とはいえない状態にして、いわば日本化して受け入れた。今日、神の前で愛を誓うカップルのなんと多いことか。あんなのキリスト教じゃないでしょ。釈迦に言わせれば、日本の仏教など、仏教じゃないということになるでしょうね。


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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






















































































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