めんどくせぇことばかり 『四月七日の桜 戦艦「大和」と伊藤整一の最期』 中田整一
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『四月七日の桜 戦艦「大和」と伊藤整一の最期』 中田整一

大和
『四月七日の桜 戦艦「大和」と伊藤整一の最期』 中田整一『四月七日の桜 戦艦「大和」と伊藤整一の最期』 中田整一
(2013/04/02)
中田 整一

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第二艦隊は「矢矧」を先頭に、旗艦「大和」を最後尾に、一列の航行隊形で、白波を蹴立てて瀬戸内海を出撃していった。
 四月七日午後十二時三十分頃、米軍およそ四十機による第一波攻撃の開始後、第一艦橋右舷側の長官席についていた伊藤は、戦況を見つめたまま沈黙、微動だにしなかった。
 雲間から胡麻をまいたような敵機の大群が殺到してきた。・・・
 薄雲におおわれた上空からは、まもなく第二波、第三波につづく第四波、第五波、小休止ののち、第六波から第八波までたて続きに三百八十一機の敵機が来襲した。・・・
 いよいよ「大和」の最後が近づいてきた。午後二時を過ぎて、大和は大きく左に傾き、艦の中央部から後部にかけて大火災を起こしていた。
 敵機の攻撃はますます勢いづいてきた。二時二十分、「大和」の左舷舷側は、四十五度ほどになり、復元不可能という艦長の報告があった。・・・
 激闘約二時間、戦艦「大和」では艦橋にも炎が回って火の海となった。
 十数発の魚雷と多数の爆弾の投下を受け、「大和」の傾斜が百二十度に達したとき、大爆発がおこった。やがて七万二千トンの巨艦は、天に沖する火の玉となって海中に姿を没した。二時二十三分頃のことであった。
 大和1

「海上特攻」を命じられた第二艦隊の司令長官として戦艦大和と運命を共にした伊藤整一とその妻ちとせ、特攻隊員として散った長男の叡(あきら)、長女純子、次女淑子、三女貞子。この物語は、海上特攻によって戦死した第二艦隊将兵三千七百二十一名の運命と、伊藤整一艦長の家族の物語である。

不思議な人物である。努力して学問を修め、海軍に入って、武人として超一流。でありながら、妻を、家族をこよなく愛し、人一倍の子煩悩。日米開戦からの三年有余を軍令部次長と海軍のトップにあり、自ら望んで平然と?自宅門前で家族と最後の別れを交わし死地に赴く。まるでいくつかの人間の人生が、ひとりの人間に同居しているかのようだ。

伊藤整一をそう成らしめたものが何か。いまいち本書から感じ取ることはできなかった。生粋の武人として生まれながら、長男として親に寂しい思いをさせた後悔の念から、その分を家族への愛に変えたのか。ただ、ひとえに優しい少年が、能力の高さに引っ張られて海軍のトップに上り詰め、強い自制心によって自分を武人の枠にはめたのか。

草鹿龍之介参謀長と三上作夫作戦参謀が、参謀本部から「海上特攻」の説得に駆けつけた。三上作戦部長から、「一億総特攻のさきがけになってもらいたい」とその意義を説明され、第二艦隊司令長官の武人伊藤整一は生死を越えた大悟に至る。しかし、この瞬間から伊藤の思考は、「第二艦隊六千名の将兵を、いかに多く生き残らせるか」に絞られていったのではないか。

沈没間際ではあったが、「総員上甲板」の支持による退避命令と、残存する駆逐艦「冬月」「初霜」「雪風」に対する生存者救助命令で、海に投げ出された第二艦隊将兵約千七百名余の命を救うことにつながった。

第二艦隊巡洋艦「矢矧」艦長 原為一大佐
[伊藤長官の]特攻作戦中止の厳命により、大和の生存者および海上に漂流中の将兵の約三〇〇〇名が救い出された。私もその一人であった。寡言の伊藤長官は“ノー・サンキュー”に類する名句(「プリンス・オブ・ウェールズ」艦長フィリップス司令官)こそは残さなかったが、父子が相たずさえて“身を殺して仁を為す”悲壮偉大になる行績にさえ、深い反応を示しえないほど当時は、日本国民全体の涙が枯渇していたことはあまりにも悲痛だった。


以下、覚書

伊藤整一が軍令部次長を務めた時期の部下で、作戦部長だった中澤佑(たすく)
単に一撃を加えるだけだったなら、真珠湾攻撃はむしろやるべきではなかった。真珠湾攻撃が日本の敗因あるいは降伏を早める一因になったと考えている。日本海軍は明治以来、先制奇襲による開戦が伝統となっていたが、近代戦ではあくまで大義名分を明らかにして国際世論を味方につけることが重要である。しかるに、奇襲攻撃と開戦通告の遅れの失態により、『リメンバー・パールハーバー』の標語のもとに、米国民を挙国一致、総力戦体制に駆り立てていったのは痛恨の極みである。
真珠湾攻撃の開始 十二月八日午後一時二十五分(ハワイ時間 七日午前七時五十五分)
野村大使による通告 十二月八日午後二時二十分(ハワイ時計 七日午前八時五十分)

山梨勝之進、堀悌吉、米内光政ら、条約派に名を連ねる逸材ながら、失言を捉えられ、予備役に更迭された坂野常善が、軍令部長を務める後輩、伊藤整一ヘ宛てた手紙
貴下の御着任当時には既に海軍の大方針決定し居り彼是(かれこれ)変革を許さざる情勢にあるかとも愚考せらるるが日米戦争は申す迄も無く、之国家興亡の別るる曠古(前例のない)の一大事にして喩(たと)え東洋に来攻する米艦隊を撃滅し得たりと仮定するも米国に対し致命的打撃を与えたりとは思考し難く結局米国に対し最後の止めを刺す為め如何なる成算あり哉との疑問を禁じ能わず。何卒為邦家辛抱熟慮萬(ばん)違算なき様懇願す

マリアナ沖海戦(昭和十八(一九四三)年六月十九日)
航続距離の長い日本軍機の特質を活かすアウトレンジ戦法もまったく通用しなかった。理由の一つに操縦士の未熟がある。油不足と敵潜水艦の跳梁による訓練不足、それ以上に熟練操縦員を失いすぎた。もう一つの理由はレーダーとVT信管の登場である。レーダーによって日本の攻撃は奇襲にならずに待ち伏せされた。TV信管は日本軍機機体を感知して近接して炸裂した。
日本側被害 艦載機の54%に当たる二百四十三機  空母「大鵬」「翔鶴」「飛鷹」三隻
米国側被害 艦載機二十九機 空母0

     

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No title

おはようございます。
大和生き残りの人の話を(雑誌で)読んだんですが、大和最後の時何を考えていたかとの質問にその人は「低空から攻撃してくる米軍機搭乗員は勇敢だなと思った」と。敵を褒めてる場合じゃないでしょ!と思ったけれど、現場の人達は根性が座っていたのでしょうね。

伊藤氏ご一家、壮絶ですね・・。こういう人は日本新生のための人柱にでもなるつもりだったのではと思ったりします。当時の日本で一番近代的精神を持った知的な海軍さんではあっても日本古来の人身御供的なものを感じて・・とは穿ち過ぎでしょうか。
その意図は無くても結果として精神的礎となってくれてる事を日本人は忘れちゃいけないと思いますね。

まいど

お世話になります。
自分の命より大切なものがあると、昔のえらい作家さんが言ってました。
それは日本だと。

ところで
いつも訪問して頂いてありがとうございます。
お礼ではないですが、毎回ポチッて帰ります。

紺屋の鼠 様

橋下大阪市長が「学術上の定義はなくても、敗戦の結果として、侵略としっかり受けとめないといけない」と言っていた。
それぞれに大義を掲げた戦争に負けたんだからやむをを得ないと・・・。
たしかにそうなんだけど、だからこそ日本は、違う戦いを戦勝国に挑まなければいけないんじゃないかな。
敗れたことの代償は、すでに戦時中に十分払っている。
戦勝国は日本からそれ以上のものを巻き上げている。

違う戦いはまだまだ始まったばかり、って思ってるんですけどね。

GomatiC 様

いつもありがとうございます。

この間読んだ『西国立志編』にジョン・スチュアート・ミルの「一国の価値とは、その国の国民の価値が合算されたものである」という言葉があった。
「国力とは、国民の力の合算」
老いぼれですが、私の力も“国力”の一部。

これからもおじゃまさせて頂きます。
どうぞ、よろしく。

ありがとうございました



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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