めんどくせぇことばかり A Living God 『津波救国──〈稲むらの火〉浜口梧陵伝』 大下英治
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A Living God 『津波救国──〈稲むらの火〉浜口梧陵伝』 大下英治

『津波救国──〈稲むらの火〉浜口梧陵伝』 大下英治『津波救国──〈稲むらの火〉浜口梧陵伝』 大下英治
(2013/03/29)
大下 英治

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安政元年の南海大地震で「稲むらの火」を掲げて村民を津波から救済
この本の中にも紹介されている、ラフカディオ・ハーンが明治三十(一八九七)年に著した『仏陀の畑の落穂拾い』の中に収められた『生ける神(A Living God)』の中の一節である。もちろん、浜口梧陵の津波被災民救済のことを伝え聞いて焼き直した物語である。ハーンは東洋の国の人の献身的努力を、広く世界に伝えていた。
松明―松の木の灯りは、嵐の夜や神社の祭りに使うために多くの海辺の家々に置かれていた。子供はすぐに松明に火をつけ、老人はすぐにそれを持って外に飛び出していった。そこには彼の財産のほとんどに相当する何百もの稲の束が取り込みを待っていた。彼は傾斜地の最も近い端に近寄り、松明でそれらに火をつけた。―年老いた足で精一杯急いで次から次へと。日に干された藁はよく火がついた。だんだん強くなってきた海風は炎を陸の方へ吹きつけた。そしてすぐに列から列へと稲むらは炎に包まれ、空に煙の柱を吹き上げ、それらが混ざり合って一つの大きな雲の渦巻きとなった。

彼は危険に晒されている四百人の命のことしか考えていなかった。・・・浜口は田んぼの端へたどり着くまで、次から次へと稲むらに火を放ち続けた。山寺の小僧が炎に気づき大きな鐘の音を響かせた。それで村人たちは両方の知らせに反応した。浜口は、村人たちが海から急いで海岸に戻り、蟻の行列のように村から走り上がってくるのを眺めた。しかし彼の心配している目には蟻より早いとは思えず、その一時が彼には恐ろしく長く思えた。日は沈もうとしていた。湾のしわのよった海底や広大な斑入りの川柳のような海原が、夕日のオレンジ色に照らされてむき出しに横たわっていた。そしてまだ海水は水平線の方へ引いていた。

ところが実際は、最初の救助隊が着くまでにそう長くはかからなかった。―意気盛んな若い百姓たちはすぐに火を消そ嘘した。しかし長者は両腕を広げて彼らを止めた。「そのままにしておけ❢」と彼は命令した。―「そのままにしておけ❢私は村中のみなにここに来て欲しいのだ。恐ろしいことが起こる、―大変だ❢」
 村中の人が集まってきて、浜口は人数を数えた。
・・・
「稲のことについては」と、浜口は話し始めた。
「子供の言うとおりだ。私が稲に火をつけた。もう村人はみんな集まったか?」

組長と家々の家長等が周りを見回し、丘の下を確認して、「みんな揃っています。もうすぐ来るものもいる。いったいどういうことですか」
「来た❢」と、老人は海原を指さしながら上ずった声で言った。「これでも私がおかしくなったというのか❢」
 

皆の見た東の薄明かりの中に、今まで海岸のなかったところに、海岸の影のような、長く、細く、黒い水平線が見えた。―その線というのは、見つめているうちに太くなり、引き寄せられるように広がってきた。その長い暗闇は押し寄せてくる海水で、絶壁のようにそそり立ち、凧が飛ぶより早く襲ってきた。


「津波だ❢」
浜口梧陵の長男浜口坦がイギリスに留学中の明治三十六年のある日、ロンドンの日本協会の主催で、「日本の女性」という演題で講演に立ったことがあった。講演の後に、一人のイギリス人女声が質問に立った。彼女は、ラフカディオ・ハーンの書いた『A Living God』を読んでいて、こう聞いた。「講演者の浜口と浜口五兵衛との間には、何らかの関係があるのでしょうか」

浜口坦が、浜口五兵衛のモデルになった浜口梧陵が自分の父親であることを告げると、会場は驚きに包まれ、やがて坦は万雷の拍手が彼に寄せられたという。

津波被害ののち、浜口梧陵は私財をなげうって堤防を建設した。たんに次の地震と津波に備えるためだけでなく、被災で希望を失った人々に復興へのきっかけを与えるためでもあった。同時に、浜口梧陵は幕末から明治維新を生き、私たちのよく知るこの時期の時代人と交わった。梧陵はヤマサ醤油の棟梁の家の総領である。本来が事業家である。勝海舟らの時代人と交わり、時にはその経済力で多くの若者を支えた。しかし寄って立つ場所が異なれば、彼自身がを動かす立場に立ったとしても決しておかしくない一流の人だった。

昭和十九(一九四四)年十二月七日、さらに昭和二十一(一九四六)年十二月二十一に、南海大地震が発生している。特に昭和二十一年の地震の際には、五メートルの津波が界隈を襲った。この地震と津波による死者は二三三〇人におよんだ。しかし、広町における死者は二十四人で食い止められた。梧陵の築いた堤防は、昭和の時代にも広町を守ったのだ。


『無私の日本人』 磯田道史『無私の日本人』 磯田道史
(2012/10/25)
磯田 道史

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この国にとってこわいのは、隣の国より貧しくなることではない。ほんとうにこわいのは、本来、日本人がもっている“清らかに生きる”ことへの志向を失うことだ。
『穀田屋十三郎』、『中根東里』、『大田垣蓮月』
この本には、上記三人の物語がまとめられている。最初は、面白く読み進められるのか半信半疑だった。なぜかと言えば、残念ながら、と言っても私の勉強不足故だが、三人とも名前も知らなかった。でも、本を手放す間もないままにこの物語を読み終えた。

彼らの印象は、どことなく濱口梧陵に似ている。梧陵以上に無名の彼らであっても、梧陵同様、“無私の人”なのだ。江戸時代に日本人のすべてがそう思っていたわけではない。でも、多くの者達がそうであろうとした。それがこの国に、数々の奇跡をおこした。今、私たちにはその片鱗でも残されているのだろうか。

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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