吉田松陰に見る日本だけが民主主義を導入できた理由…「一君万民論」 『逆説の日本史 19 幕末年代史編2』 井沢元彦
『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂』
吉田松陰は、京に滞在する老中間部詮勝を誅しようとした。手紙でこれを知らされた高杉や桂は「いま決起しても必ず失敗します。どうか自重して下さい」と必死で諌めたという。その反応を知った松陰は、高杉らを猛烈に批判した。
“僕は忠義をする積り。諸友は功業をなす積り”
自分は世を変えるために自分の命を捨ててやるべきことを実行するつもりであるが、君たちは改革を成功させて手柄を立てようとしている。
大事なことは知識でも武術でもなく、いざとなったら大義のために命を投げ出す覚悟。こんなことを考える奴にはかなわない。しかしこれが、草莽崛起の思想につながる。国家の大事の前には、庶民といえども命を投げ出す覚悟を固めなければならない。江戸時代、政治はお上のやることで、庶民にはそれに参加する権利も義務もなかった。にもかかわらず草莽崛起の思想が生まれ、それが社会を根底から覆した。それを可能にしたのが「一君万民論」である。
支那のような易姓革命の世界とは違い、日本は“徳”を君主の存在の絶対条件にしているわけではない。いかなる者も、いかに“徳の高さ”を叫ぼうとも、天皇に代わることはできない。天皇の存在は血筋、血統が保証するものであり、そのため臣下は絶対に天皇にはなれない。天皇の前には、誰も彼もが“一臣下”として向き合うしかない。これが「一君万民論」である。
日本は明治維新において、国家を民主主義体制へと変革した。その段階では不十分なものであったとしても、明治の変革があって今がある。少なくともアジアの中では異例の速さで民主主義を実現した。その後の紆余曲折を経て、大正時代にはデモクラシーの時代を迎え、選挙による平和裏な政権交代が行われていた。
二〇一一年は、孫文の辛亥革命が起こってから百年目に当たる。孫文は民主主義社会を目指して君主のいない国(共和国)を実現した。日本は天皇制を廃止しなかったのに民主主義を実現した。共和国を配した支那は、それから百年たっても民主主義にはほど遠い状況にある。
日本が民主主義を実現できたのは、“天皇”という存在があったからこそである。「一君万民」だからこそである。天皇の下では将軍も、浪人も、農民も、みんな平等に臣下である。この“平等”こそが民主主義を生み出す条件である。だからこそ、“ひとり一票”への納得が生まれる。すべての人を標準化してしまう絶対存在が、民主主義の条件となる。
吉田松陰風に言えば、『絶対的な存在である天皇の前では、我々は等しく臣であって、その間に能力や人格の差はあったとしても身分の差はない。だから一人一票でいい』
パウロふうに言えば、『絶対的な存在である神の前では、正義の人など一人もいない。みな等しく悪人である。だから一人一票でいい』
親鸞風に言えば、『絶対的な存在である阿弥陀如来の前では、われわれは等しく凡夫であって悪人である。だから一人一票でいい』
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吉田松陰は、京に滞在する老中間部詮勝を誅しようとした。手紙でこれを知らされた高杉や桂は「いま決起しても必ず失敗します。どうか自重して下さい」と必死で諌めたという。その反応を知った松陰は、高杉らを猛烈に批判した。
“僕は忠義をする積り。諸友は功業をなす積り”
自分は世を変えるために自分の命を捨ててやるべきことを実行するつもりであるが、君たちは改革を成功させて手柄を立てようとしている。
大事なことは知識でも武術でもなく、いざとなったら大義のために命を投げ出す覚悟。こんなことを考える奴にはかなわない。しかしこれが、草莽崛起の思想につながる。国家の大事の前には、庶民といえども命を投げ出す覚悟を固めなければならない。江戸時代、政治はお上のやることで、庶民にはそれに参加する権利も義務もなかった。にもかかわらず草莽崛起の思想が生まれ、それが社会を根底から覆した。それを可能にしたのが「一君万民論」である。
支那のような易姓革命の世界とは違い、日本は“徳”を君主の存在の絶対条件にしているわけではない。いかなる者も、いかに“徳の高さ”を叫ぼうとも、天皇に代わることはできない。天皇の存在は血筋、血統が保証するものであり、そのため臣下は絶対に天皇にはなれない。天皇の前には、誰も彼もが“一臣下”として向き合うしかない。これが「一君万民論」である。
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日本は明治維新において、国家を民主主義体制へと変革した。その段階では不十分なものであったとしても、明治の変革があって今がある。少なくともアジアの中では異例の速さで民主主義を実現した。その後の紆余曲折を経て、大正時代にはデモクラシーの時代を迎え、選挙による平和裏な政権交代が行われていた。
二〇一一年は、孫文の辛亥革命が起こってから百年目に当たる。孫文は民主主義社会を目指して君主のいない国(共和国)を実現した。日本は天皇制を廃止しなかったのに民主主義を実現した。共和国を配した支那は、それから百年たっても民主主義にはほど遠い状況にある。
日本が民主主義を実現できたのは、“天皇”という存在があったからこそである。「一君万民」だからこそである。天皇の下では将軍も、浪人も、農民も、みんな平等に臣下である。この“平等”こそが民主主義を生み出す条件である。だからこそ、“ひとり一票”への納得が生まれる。すべての人を標準化してしまう絶対存在が、民主主義の条件となる。
吉田松陰風に言えば、『絶対的な存在である天皇の前では、我々は等しく臣であって、その間に能力や人格の差はあったとしても身分の差はない。だから一人一票でいい』
パウロふうに言えば、『絶対的な存在である神の前では、正義の人など一人もいない。みな等しく悪人である。だから一人一票でいい』
親鸞風に言えば、『絶対的な存在である阿弥陀如来の前では、われわれは等しく凡夫であって悪人である。だから一人一票でいい』
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