武田鉄也の《今日の三枚おろし》で取り上げた『未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命』 片山杜秀
2013年4月9日・10日の記事を加筆修正したものです。
『未完のファシズム』
たしかに日本は、東條英機体制においてさえ確固たるファシズム体制を構築していたわけじゃないけど・・・。一体何が書かれている本なんだろう。内容に確信が持てないもんだから、ついつい後回しにしてた本。読み始めてビックリ。この本が、こんな切り口から“日本の敗戦”に迫っていったことに、敬意を表する。
第一章 日本人にとって第一次世界大戦とは何だったのか 第二章 物量戦としての青島戦役-日本陸軍の一九一四年体験 第三章 参謀本部の冷静な『観察』 第四章 タンネンベルク信仰の誕生 第五章 「持たざる国」の身の丈に合った戦争-小畑敏四郎の殲滅戦思想 第六章 「持たざる国」を「持てる国」にする計画-石原莞爾の世界最終戦論 第七章 未完のファシズム-明治憲法に阻まれる総力戦体制 第八章 「持たざる国」が「持てる国」に勝つ方法-中柴末純の日本的総力戦思想 第九章 月経・創意・原爆-「持たざる国」の最後 |
第一次世界大戦。いまだに日露戦争の負債を抱える日本にとって、それは僥倖と呼ぶに相応しいものであった。貿易統計から言えば、一九一三年に九七〇〇万円の入超であったものが、一九一七年には五億六七〇〇万円の出超。貿易外収支を加えると、一九一五年からの四年間に二七億四七〇〇万円の収入超過。日露戦争の戦費が二〇億円であったことを考えれば、とてつもない収入である。日露戦争の債務を解消し、爆発的産業発展の契機であった。
徳富蘇峰は『大戦後の世界と日本』の中で、列強の中で、「日本だけが学びそこねた」と言う。第一次世界大戦で、列強諸国は高い代価を支払ったからこそ、国家主義であろうが民主主義であろうが国家の総力を上げ、資源の続く限り戦い続ける体制を整えられなければ国が滅ぶことを学んだ。その体制を整えた上で、“持たざる国”は、“持てる国”には勝てないことを学んだ。一人、日本だけは局外にいて、軍需景気の利益を貪り続けたと、徳富蘇峰は嘆く。
『大戦後の世界と日本
青島攻略戦に見るように、日本は日露戦争に始まる近代戦の特質を理解していた。「参加砲兵の数、火砲威力、射程、精度及び弾薬準備数」によって勝ち負けが決まる。歩兵の突撃前に敵陣地を火力で破壊し尽くしておかなければならない。これは、一九一五年五月 のアルトワの戦いの後にフランス軍が到った結論である。青島戦役において日本軍が実践したことである。実際、第一次世界大戦観戦武官の報告によれば、“肉弾によらず、兵は個人用装甲車に乗り、空には飛行機が飛び交う戦いができるようにならなければならない”と結んでおり、参謀本部も今後の戦争のあり方を理解していた。この時点において理解されていた“総力戦構想”が、なぜ第二次世界大戦における“人間そのものの消耗戦”へとつながっていったのか。それを解き明かすことがこの本の本題である。
![]() | 『未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命』 片山杜秀 (2012/05/25) 片山 杜秀 商品詳細を見る 時代が下れば下るほど、日本人はなぜ神がかっていったのか。 |
観戦武官として東部戦線を動き回った小畑敏四郎は、日本陸軍のあり方をタンネンべルクの戦いに見出していた。タンネンブルクの戦いは、一九一四年八月ヒンデンブルグ大将が十三万五千の寡兵をもって東プロシャに侵入した五十万のロシア軍を殲滅した戦いである。『統帥綱領』は一九一四年に制定された日本陸軍の機密戦争指導マニュアルである。一九一八年、一九二一年、一九二八年と、三度改訂されているが、小畑は一九二八年の改定に関わった。小畑はこの時、一九二一年改定の文章から‘兵站’の条文をけずっている。「国家総動員の長期戦は敗北に直結する。兵站に気を配る時点で日本は敗北している。だから綱領にも無くてもいい」ということである。小畑はタンネンべルクばりの殲滅戦による短期決戦以外に、「持たざる国」が勝利する道はないと考えたのである。下士官向けの『戦闘綱要』も、一九二九年に改定されている。「寡兵による大人数の包囲殲滅は、側面攻撃により的に対応の暇を与えず迅速に奇襲する」ということです。そのためには兵の並はずれた精神力が必須であり、時には軍の政治からの‘独立不羈’すら高唱している。
日米戦争における補給なき戦闘や玉砕作戦が連想される戦い方だが、小畑は一流国の大軍と戦う能力が日本軍にはないことを前提としていた。敵が一流国の大軍であり、素質優等な軍であれば精神力や相手のすきを突いた奇襲作戦ではどうにもならない。どうにもならない相手とは戦わない。それが小畑の真意であった。「精神力と奇手奇策で勝てる相手としか戦わない。素質優等な敵とは戦争にならないように軍人と政治家がしっかり連携する」ということである。
中柴末純は、日米戦時代の日本人の死生観に最も深い影響を及ぼした思想家的軍人である。彼は、小畑らの考えは軍が内政や外交を主導できない以上無理であり、石原の考えは日本が力をつけるまで戦争と無縁でいられるかのような夢想的なものであるとはねつけた。軍人が思念し考慮すべきは、いついかなる時、いかなる相手と戦っても勝てるようにすることと考えた。‘勝てる’ことを前提としなければ、軍の存在価値はないと、彼は考えたのである。彼が‘勝てる’とした根拠が「精神力」である。
この本が取り上げているのは小畑敏四郎、石原莞爾、中柴末純だけではなく、彼らに代表される日本のどうにもならないかのようなあがきが、他にもいろいろな側面から明らかにされている。
ドイツもワイマールの枠の中でもがき苦しんだ。日本にしても、国際共産主義の暗躍、ドイツ、イギリス、アメリカの国際法を蔑ろにした行動に翻弄された。特に、アメリカのアジアへの決意の前に、他に選ぶべき道があったろうか。後発の「持たざる国」は、座して死を待てばよかったか。
唯一、思うところがある。陸軍が危惧を抱いたと同様、石油燃料への切り替えで海軍も大きな危惧を抱いたはずである。非現実的であるかも知れないが、第一次世界大戦時において陸海軍が感じていた危惧を、国民と共有することはできなかったのかということだ。軍としては、きわめて難しいことであったかもしれないが、唯一、可能性を見出す道があるとすれば、そこではなかったかと思う。


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