“知の封印”からルネサンスへ 『17歳のための世界と日本の見方』 松岡正剛
“知の封印”からルネサンスへ |
とくにユダヤ=キリスト教においては、「知」は全知全能の神から流出してくるものと考えられた。それを受けて、人間社会には神学が体系化され、神の知の管理センターとしての教会や修道院が発達していった。
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ただし、ヨーロッパのすべてが、たったひとつのキリスト教型の「知」だけで保たれていたわけではなかった。とくに、教父たちが管理した聖書型の知の体系とは別の、もう一つの知が、キリスト教的な知と融合したり対抗したりしながら、ヨーロッパの人間文化を根底から揺さぶっていた。
「異教の知」である。イスラム教の知であり、またキリスト教によって封印されたさまざまな民族や宗教の知であり、神秘主義の知であった。
十二~十三世紀頃の教会の建築様式を「ゴシック」という。サン・ドニ教会、ノートルダム寺院、ケルン大聖堂が有名。いずれも尖頭アーチが天空に伸び上がった、巨大で壮麗なカテドラルである。高窓には色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、建物の内外とも装飾彫刻が施されている。
「ゴシック」とは、「ゴート人」っぽいという意味で使われた言葉である。「野蛮な異教徒たちの形式」というイメージさえある。キリスト教は、こういった外部から持ち込まれた異郷の知を内部に取り込みながら、徐々に論理や情報戦略を強化していくのである。端的に言えば、ルネサンスとは、この異教趣味にかなり傾いたところから出てきた文化洋式である。
そもそも中世のキリスト教は、人間が人間のことや自然について探求したり思索したりするような「知」を禁じていた。アダムとイブがエデンから追放されたのは、禁断の林檎を食べたからだが、あれは人間が知らなくてもいいことを知りたがった、という意味だ。
キリスト教が封印した「人間らしい知」は、ヨーロッパの古代の地層の中に眠っていた。古代ギリシャ・ローマの知である。それらはイスラム文化圏にアラビア語で保存、継承されていた。
十二~十三世紀、トマス・アクィナス、ロジャー・ベーコン、ドゥンス・スコトゥスらが、これらに立ち向かった。ラテン語という特殊な言葉を用いて、独自の学問体系を作り上げた。彼らの努力で、プラトン、アリストテレスの哲学がキリスト教哲学に融合させられていった。この融合が進められていた十三世紀半ば、ちょうどゴシック建築の時代に当たる。


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