『柔訳 老子の言葉』 谷川太一
瀋陽からやってきた支那人の少年がクラスにいたことがありました。諸子百家について授業してた時、その少年に「道」が支那でどう発音されてるのか聞きました。帰ってきた答えが・・・“タオ”でした。神道を“シントウ”と読みますね。「にごりをとる」ために“ドウ”と読まずに“トウ”と読んだと聞いたことがありますが、老子のいう『道』、“タオ”に対する意識があったんじゃないでしょうか。神道は“かんながらの道”。漢字で書くと“随神”。その意味するところは、“人為の加わらない天然、自然のままの道”。老子の言う“無為自然”そのまま。日本古来の自然への感謝と恐れが老子の“タオ”の影響を受け入れつつ“シントウ”と呼ばれるようになったと考えても決して不思議じゃないんだけどな。
道これを生じ、徳これをやしない、物これを形づくり、器これを成す。これを以って万物、道を尊びて徳を貴ばざるはなし。道の尊きと徳の貴きは、それこれを命ずるなくして、常に自ずから然り。故に道これを生じ、徳これをやしない、これを長じてこれを育て、これをかためこれをあつくし、これを養いこれを覆う。生ずるもしかも有とせず、為すもしかも恃まず、長たるもしかも宰たらず、是れを玄徳と謂う。
道とは真理、道理、自然の摂理。万物は道により生じ、徳を受けて成長する。道も徳も見返りを要求することもなく、それをわがものともしなければ支配もしない。これこそが本物の徳である。







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上善如水。水善利萬物而不爭、處衆人之所惡、故幾於道。 居善地、心善淵、與善仁、言善信、正善治、事善能、動善時。 夫唯不爭、故無尤。 |
道生之、徳蓄之、物形之、器成之。 是以萬物、莫不尊道而貴徳。道之尊徳の之貴、夫莫之命而常自然。 故道生之、徳蓄之、長之育之、亭之毒之、養之覆之。 生而不有、為而不恃、長而不宰。是謂玄徳。 |
道とは真理、道理、自然の摂理。万物は道により生じ、徳を受けて成長する。道も徳も見返りを要求することもなく、それをわがものともしなければ支配もしない。これこそが本物の徳である。


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