めんどくせぇことばかり 鄧小平の通訳 『生きる姿勢』 曽野綾子
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鄧小平の通訳 『生きる姿勢』 曽野綾子

私は言葉だけを方途として生きて来たので、言葉の重要性について、何度も一種の戦いのようなものを感じて来た。一九七五年、初めて日本の文化使節団として中国に行った時には、人民大会堂で、当時当副主席だった鄧小平にあった。いや、会ったとも言えない。私は使節団の末席に座っていただけだが、この時間はなかなか面白いものであった。日本側の団員が、皆一癖も二癖もある人たちで、中国側の言いなりにならなかったからだ。

評論家の山本健吉氏は質問の時間に「最近、日中友好がしきりに言われていますが、中国ではまだ『白毛女』(反日的な劇)をしきりに上演していると伺いましたが・・・」と切り込んだ。すると鄧小平は通訳の言葉になにか答え、通訳は「よく調べて返事しましょう」と言った。ところがこれは通訳の独演だったのである。こちらの団員の中には、中国語に堪能な人が四人ほどおり、鄧小平氏は「まだあんなバカな劇をやっているのか」と言ったのに、通訳の返事は全く違う内容になっていたということを教えてくれた。それを聞いて私は軽薄にも鄧小平のファンになりかけたくらいである。
生きる姿勢生きる姿勢
(2013/05/11)
曾野 綾子

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「ものごとを軽く見ることができるという点が、高邁な人の特徴であるように思われる」アリストテレス

一九七五年と言えば、鄧小平の二度の失脚の中間期の話になる。毛沢東の“大躍進政策”の失敗で数千万の規模で死者を出した支那は、劉少奇を国家主席として経済の立て直しに着手する。その実行者が鄧小平であった。しかし、毛沢東が巻き返しをはかった文革で、劉少奇ともども鄧小平も失脚する。混乱した経済は、文革の進行により深度を増すが、一九七〇年台に入った頃には放置が許されない状況に達していた。鄧小平は、毛沢東時代のNo.2、周恩来によって呼び戻され、経済改革に着手した。一九七五年とは、ちょうどその時期に当たる。

このあと、一九七六年一月に周恩来が亡くなると、四月に行われた周恩来追悼デモ(弾圧-第一次天安門事件)の首謀者として、ふたたび鄧小平は失脚する。しかし、同年九月に毛沢東が亡くなり四人組が逮捕されたのち、一九七七年に鄧小平は再度復活する。

曽野綾子氏が“軽率にもファンになりかけた”というように、この頃の鄧小平は格好良かったのだ。崩壊しきった支那経済を“改革開放政策”によって立てなおそうとしていた。そのためには何よりも日本の力が必要だった。だからこそ、上記のような状況が生まれた。今思えば、まだマシな時代だったのだ。

一九七七年の復活以降は、権力を掌握し、彼の絵図面に従って新たな支那が建設されていく。しかし、経済的自由は、当然のように政治的不自由の壁にぶつかり、事は第二次天安門事件に発展する。以降、中共は極端な管理体制をとり、国民を統制下においている。国民意識を中共のもとに結集する必要によって利用されているのが“反日教育”である。今考えれば、鄧小平が“バカな劇”と呼んだ『白毛女』など、可愛らしいお話になてしまった。


   

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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