めんどくせぇことばかり 『日本人のこころの言葉 芭蕉』 田中善信
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『日本人のこころの言葉 芭蕉』 田中善信

芭蕉 略歴
1644年 伊賀国上野で生まれる
1658年 藤堂新七郎に武家奉公人として雇われる
1672年 江戸に下り日本橋に住む
1677年 神田上水の浚渫事業の請負を始める
1680年 冬、深川に移住する
1682年 大火に遭い、甲斐国に移住
1684年 8月から翌年4月、『野ざらし紀行』の旅
1687年 10月から翌年8月、『笈の小文』の旅
1689年 3月、『おくのほそ道』の旅に出立
      8月、美濃国大垣について、一旦旅を終え、伊賀、京都に滞在 
1691年 10月、江戸に戻る
1694年 5月、伊賀上野に向かって出立
      10月12日、大坂にて没


日本人のこころの言葉 芭蕉日本人のこころの言葉 芭蕉
(2013/06/10)
田中 善信

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ただ心静かに死を迎えたい・・・・
病中吟  旅に病で夢は枯野をかけ廻る


古典や短歌、俳句に詳しいわけではない。学校での古典・漢文の授業も決して得意だったとはいえない。だけど、なぜなのかな。“スッ”と心に入ってくる言葉がある。この本を読んで思ったんだけど、それは“言葉”が入ってくるんじゃなくて、“思い”が入ってくるんじゃないかな。

ちゝはゝのしきりにこひし雉の声
 
この程度の句ならだれでも作れそうだ、と思う人も多いかもしれませんが、しかしそう思うのは、この句には、多くの人が共通にいだくごく自然な感情が詠まれているからでしょう。

この句は、『山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思う母かとぞ思う』という行基菩薩の和歌を踏まえていると言われますが、たぶんそのとおりでしょう。また、『焼野のきぎす、夜の鶴』ということわざがあるように、きじは子供に対する愛情が特に深い鳥として一般に広く知られていました。右の句を作った芭蕉の念頭に行基菩薩の歌やこのことわざがあったかもしれませんが、しかし「雉の声」は特に作為をこらした表現とも思われません。芭蕉は、父母に対する思いを、何ら作為をこらすことなくそのまま句にしたとみてよいと思います。


過去に詠まれた誰かしらの“歌”なり“句”なり“言葉”なりが、後世の人の血となり肉となって、後世の人は自然により豊かな選択肢の中からイメージをふくらませていくことができる。そこに断絶のない日本という国は、とてもありがたい国であると、つくづく思う。


芭蕉は四十にして母を失い、帰郷した折、母の遺髪を見せられて、『手にとらば消えむ泪ぞあつき秋の霜』という句を詠んでいる。“秋の霜”が白髪の比喩であれば、彼は“秋の霜”を自分の体温で消して、そのときまさに母の死を思い知ったのだろう。日本のことをありがたく思うのは、感情もけっして断絶していないことを知ることが出来るからだ。母の死に、私も大きな喪失感を味わった。芭蕉も同じだったんだ。そして、“雉の声”に父や母が自分を慈しんでくれた日々を重ね合わせる心情。十分に伝えられている。ここまで伝えられたものを、次に繋げていくだけで十分なんだな。


野ざらしをこゝろに風のしむみかな


   
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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