めんどくせぇことばかり 平手政秀の諫死 蒲生氏郷 『名将言行録 現代語訳』 岡谷繁実
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平手政秀の諫死 蒲生氏郷 『名将言行録 現代語訳』 岡谷繁実

 平手政秀の諫死 

天文十八年(一五四九)、父信秀が死に、法会が万松寺で行われた。

そのとき信長は弟信行とともに万松寺に赴いた。

信長は長柄の脇差を藁縄で巻いたものを差して、袴もつけずに焼香に出た。神は茶筅に結び、位牌の前で抹香をかっと掴み、仏前に投げかけて帰った。

一方、信行は、折り目のきちんとした袴、肩衣の装束である。そこにいた者はみな信行を褒めて、信長のことは「例の虚気者よ」と、とりどりに批判した。


こんな有様だったので、信長の養育係だった平手政秀は深く心を痛め、しばしば諌めたけれども、信長は聞き入れる様子もない。

そのため、天文二十二年閏正月十三日、ついに政秀は諫死してしまった。

信長は驚き悲しみ、自分を深く咎めた。政秀のために寺を建て、政秀寺と名づけて忌日には必ず参詣した。

「今となっていたずらに悔やんでみても、何の益にもならぬ。過ちを改め、心して善行に努め、大功を天下に建てることによって失敗を償いしかない」と、ますます無事に心を砕き、隣国への警備を強めた。


すでに畿内を平定し、その勢いを日に日に盛んにしていた頃、近臣たちがへつらって、「このような日を知らずに平手政秀が諫死したのは、短慮でございました」と言うと、信長は顔色を変えて怒り、「わしがこのように弓矢を執れるのは、みな政秀が諫死したことによるのだ。己の恥を悔やんで過ちを改めたからこそだ。古今に比類ない政秀を、短慮だという汝らの気持ちがこの上なく口惜しい」と言われた。

信長は事に触れるたびに政秀を思い出し、鷹狩や河狩に出た時などは、鷹が取った鳥を引き裂いては、その一片を、「政秀、これを食べろよ」と言って空に向かって投げ、涙を浮かべることもあったという。

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(2013/06/11)
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 蒲生氏郷 

天正二年(一五七四)、信長が長島の一揆を伐ったとき、蒲生氏郷は大剛の者と組み打ちして首を取り、実見に持ってきた。信長は嘲笑って褒めなかった。

「およそ勝負というものは、時の運であるから、前もって計れないものである。功名は武士の本意であるとはいいながら、それも内容次第のこと。今の汝の功名は、軽率な挙動である。ひとかどの武を志すほどの者なら、決してこのような功名を望んではならぬ。見の危険を顧みないのは、それほどの功とはいえないのだ」と戒めた。


小田原の役ののち、秀吉は諸将を集めて、「会津は関東の要地である。すぐれた一将を選んで統治に当たらせねばならぬ地だ。誰が良いか」と問うた。

細川忠興の名をあげるものが十人のうち九人もあった。

秀吉はこれをみて、「汝らの愚かもきわまれりというべきか。会津の地に置くのは蒲生忠三郎(氏郷)のほかにはいない」と言って、会津を蒲生氏郷に賜った。

氏郷が御前を去り、広間の柱に寄りかかって涙ぐんでいると、嬉しさのあまりと思い込み、声をかける者がいた。

氏郷は小さな声で、「そうではない。小身ではあっても都近くにいれば、一度は天下に号令する望みもある。いくら大身のものでも、雲を隔てて海山越えた遠国にいては、もはや天下人への望みも叶わぬ。わしはすでにすたり者になったか」と言ったという。


氏郷が会津に行くとき、秀吉は袴を脱いで氏郷に与え、また氏郷の袴を自ら身につけ、別れを惜しんで、近臣のものに「氏郷は奥州に行くことをどう思っていたのか」と聞かれた。

近臣の者は、「大変迷惑がっております」と答えた。

秀吉はこれを聞き、「いかにももっともなことだ。氏郷をこちらに置いておくと、恐ろしい奴なので、それで奥州につかわすのだ」と言われた。


秀吉は、名護屋にいて征韓の進まぬのを心配し、諸将を集めて詮議した。

その席上、氏郷は「ご心配にはおよびません。朝鮮を私にくださるのなら、見事切り取ってご覧に入れましょう。そうすれば上さまのご心労も止みましょう。なにとぞ私に仰せつけ下さい」と言った。

秀吉はこの時から、氏郷を忌み嫌うようになった。


九戸の役後、石田三成が都に帰って密かに秀吉に「このたびの氏郷の軍容をみますに、尋常の人とは思えません。彼の軍行は七日ほど引きも切らず続きましたが、軍法を犯すものは一人もおりません。この人が殿下に対しニ心を抱かないとすれば、これほどのお固めは他にありますまい。心得ておかれてしかるべき人物だと思います」と伝えた。

氏郷はひそかに毒を与えられた。

   

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No title

こんばんは。
私もこのようなお話が好きかもしれない。
書棚にあるのを見てみると・・・
名将にみる生き方の極意、日本の歴史名場面100、上杉鷹山に学ぶ、上杉鷹山の経営学、徳川慶喜と幕末99の謎、徳川三代99の謎、徳川家光の人間学、日本史宿命のライバル、etc,

尤も、私が買ったものではなくて、私の弟が実家に忘れたものです。父親が独り暮らしですから、弟がよく泊まりに行って、することないから本を読んでるんですね。私は一度もお泊りはしたことありません。
このような本を購入して、名将に学ぶ弟は人格者、私は未だに大人になり切れません。

うさぎ屋 さま

これらの中には、特別誰かに教わった記憶はないのに、何故か染み付いているものが多いですね。
浪曲とか謡曲とか、かつては自然に受け入れて、日本人の教養になっていたんだろうと思います。
今の若い人たちは、あえて学ぼうとしないと知ることさえできない。
ずいぶん大きなものを失ってきたんだなって思っちゃいました。

ありがとうございました



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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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