米国主導の「日本改造計画」四半世紀…『TPP 黒い条約』
日米構造協議
1985年のプラザ合意以降も、アメリカの対日貿易赤字が減少しなかったため、1989年にジョージ・H・W・ブッシュ大統領によって宇野宗佑首相に提案され、実現した。日米構造協議は、それまでの、具体的品目の貿易に関する通商交渉とは、全く次元の異なるものであった。 アメリカが日本に提起したのは、「貯蓄・投資パターン」「土地利用」「流通機構」「価格メカニズム」「系列」「排他的取引慣行」といった、貿易とは一見無関係に思われる日本の経済・社会構造そのものであった。積年の通商交渉、さらにはプラザ合意によっても改善されない対日赤字に業を煮やし、日本の経済・社会構造をアメリカにとって都合のいいように組み替えようとするもの、それが日米構造改革であった。 国内からは「内政干渉だ」「第二の占領だ」という声が沸き立った。しかし、そういった意見は、やがて沈静化し、「本来、日本が自ら取り組むべき課題だ」「改革しなければ取り残される」と言った方向へ世論は誘導され、大勢となっていった。 |
![]() | 『TPP 黒い条約』 中野剛志・編 (2013/06/14) 中野 剛志、関岡 英之 他 商品詳細を見る 衰退するアメリカ。そのアメリカ依存から抜けられない日本。 |
中でも日本経済社会に大きな影響を与えたのが大規模小売店舗規制法の改正である。日本への進出を目論むウォルマートやトイザらス等の要請を受けて、アメリカは日本政府に大型小売店の出店規制を緩和するよう圧力をかけた。日本政府がアメリカ政府の要求に応じた結果、全国の地方都市の駅前商店街が壊滅し、軒並みシャッター通りと化した。
日米構造協議の原語は“Structural Impediments Initiative”で、本来は、“構造障壁主導権”と訳されるべき言葉で、「日本の構造的な非関税障壁をアメリカの主導権によって撤廃させる」という意味を持ち、上記のように実行されている。文字どおり、日本はアメリカによる内政への干渉を受け入れたのだ。日本政府は「対米追随」の謗りを免れず、国民の間で反米感情が沸騰しかねない。そこで「イニシアティブ」という、本来「主導権」を意味する英語をあえて「協議」と意図的に誤訳し、あたかも対等な立場での外交交渉であるかのごとく粉飾したのだ。
日米構造協議は二年という時限つきの合意だったが、これに味をしめたアメリカは、そのメカニズムを恒久化することを次の外交課題とした。それを実現したのが1993年に合意された「日米経済包括協議」である。その協議のもとに翌94年から開始されたのが「年次改革要望書」である。「年次改革要望書」は1994年の村山政権から2008年の麻生政権までの15年間、毎年下半期の日米首脳会談の際に提出された外交文書である。原語は“Annual Reform Recommendations”で、ここでも本来“Recommendations”は「勧告書」と訳される言葉である。これを「要望書」と訳したのは、前記と同じ、日本政府の欺瞞である。
“構造障壁主導権”を提起したのは共和党ジョージ・H・W・ブッシュ大統領であった。“年次回改革勧告書”を導入したのは民主党クリントン大統領で、そのまま共和党ブッシュ・ジュニア大統領に引き継がれた。つまり、「米国主導の日本改造」は、共和、民主の党派を越えたアメリカの国策として推進されてきたのである。このなかでアメリカは、「競争政策」「商法・司法制度」「行政慣行」「通商」「民営化」などをテーマとして掲げ、あからさまに日本に内政干渉してきた。それを政治に反映したのが小泉長期安定政権時代である。独禁法の大改正、商法改正、会社法制定、司法制度改革、郵政民営化と、アメリカは小泉政権を通じて日本の改造に成功している。
オバマ政権がTPPに託した最大の戦略目標は「アメリカの、アメリカによる、アメリカのためのルール・メイキング」である。それは、「構造改革主導権」以降、アメリカが実行してきた“日本改造”の集大成である。この四半世紀の“協議”を見れば、TPP交渉におけるルール・メイキングで日本が主導権を握る事を、アメリカが容認するわけがないことは明らかである。


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