『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』 水間政憲
朝日新聞が、中国に配慮して、隠したい「日中戦争」の真相を、説明する必要のない「ひと目でわかる」、厳選された写真一九六枚からなる本。そこに映し出されているのは、義・礼・勇・仁・誠・忠・名誉といった日本人の「武士道精神」が、見事に記録されていた。
題名にもあるとおり、“ひと目でわかる”ことって大事だね。「そんな写真、“やらせ”に違いない」って言われるだろうけど、実際、支那が出してる写真なんて、ことごとく“やらせ”なわけだけど、この本で取り上げられた写真のほとんどは、写真そのものが、“本物”だって言っている。この写真を見て、まだ、“やらせ”って言う人には、言わせておくしかない。その人は、まず結論が先にあるのだから。
ちなみに、本書に掲載されている写真が、ネットから拾えないかと探してみた。さほど苦労することもなく、二枚の写真が見つかったので紹介しておく。いずれも、南京開城から、幾ばくもない頃の写真のようである。 日本へを慕う支那の子供の表情もそうなのだが、それ以上に見るべきは、日本への表情だ。仮に捏造されたような事実があったとすれば、このような清々しい表情はありえない。
中共の言う、“南京大虐殺”も、さまざまな人の努力ででっち上げであることが解明されている。『南京大虐殺など、一切なかった』・・・そう確信しているが、それでもこのような写真には確信と勇気を与えられる。
一九八〇年代、朝日新聞の「南京大虐殺」キャンペーンを支えた二人の人物がいる。早稲田大学教授の洞富雄と、元朝日新聞記者の本田勝一である。洞の書いた『決定版 南京大虐殺』には、このような文章が出てくる。「中山路と中央路の二条の道路は血の道路に変じ、道路上を埋めた死体の上を、戦車がキャタピラで踏みつぶしながら進んだ・・・」・・・写真を見れば、まるで想像もつかない。彼はどこからそのような妄想を引っ張ってきたのか。誰か、支那人からとった証言に、そのような光景が出てきたのではなかったか。おそらくその支那人が見たその光景は、国民党軍によるものであったろう。 事実、蒋介石軍の督戦隊は敵である日本軍よりも残忍に支那兵を追い詰め、時には逃げられないように鎖でつないで戦うことを強いた。
二人は二〇〇四年九月二四日、南京市南京大虐殺記念館から、「南京大虐殺」普及に貢献したとのことで、表彰されている。






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第一章 中国民衆から歓迎された武士道精神 第二章 南京を甦らせた武士道精神 第三章 平和を取り戻した中国 |
![]() | 『ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神』 水間政憲 (2013/05/29) 水間 政憲 商品詳細を見る 皆様が、本書の情報を国内外に拡散されたとき、無意識に刷り込まれていた人々が、「日本罪悪史観」の間違いに気づかれることを願ってやまない。 |
ちなみに、本書に掲載されている写真が、ネットから拾えないかと探してみた。さほど苦労することもなく、二枚の写真が見つかったので紹介しておく。いずれも、南京開城から、幾ばくもない頃の写真のようである。 日本へを慕う支那の子供の表情もそうなのだが、それ以上に見るべきは、日本への表情だ。仮に捏造されたような事実があったとすれば、このような清々しい表情はありえない。
中共の言う、“南京大虐殺”も、さまざまな人の努力ででっち上げであることが解明されている。『南京大虐殺など、一切なかった』・・・そう確信しているが、それでもこのような写真には確信と勇気を与えられる。
一九八〇年代、朝日新聞の「南京大虐殺」キャンペーンを支えた二人の人物がいる。早稲田大学教授の洞富雄と、元朝日新聞記者の本田勝一である。洞の書いた『決定版 南京大虐殺』には、このような文章が出てくる。「中山路と中央路の二条の道路は血の道路に変じ、道路上を埋めた死体の上を、戦車がキャタピラで踏みつぶしながら進んだ・・・」・・・写真を見れば、まるで想像もつかない。彼はどこからそのような妄想を引っ張ってきたのか。誰か、支那人からとった証言に、そのような光景が出てきたのではなかったか。おそらくその支那人が見たその光景は、国民党軍によるものであったろう。 事実、蒋介石軍の督戦隊は敵である日本軍よりも残忍に支那兵を追い詰め、時には逃げられないように鎖でつないで戦うことを強いた。
二人は二〇〇四年九月二四日、南京市南京大虐殺記念館から、「南京大虐殺」普及に貢献したとのことで、表彰されている。


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