めんどくせぇことばかり 『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道
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『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道

〈共同宗教と個人宗教〉
著者は宗教を分類するのに、“民族宗教と世界宗教”という言い回しを使わず、“共同宗教と個人宗教”という言い方をしている。表すのは同じものなのだが、“民族宗教と世界宗教”がその外面を表すのに対して、“共同宗教と個人宗教”は内面を表す。すると、このようなキリスト教の説明が可能になる。
キリスト教が、基本的には旧約聖書を元にしているということは、共同宗教としてのユダヤ教と、個人宗教としての新約聖書との整合性という点で、いろいろな矛盾が生じてくることになります。一神教である共同宗教を守ることが、個人を守る宗教となるというわけですから。それが逆に言えば、キリスト教の大きな特徴でもあります。この矛盾から生じる葛藤が、キリスト教の強さ、面白さにもなっているのです。

神の絶対を唱えてるあの頃でさえ、ジャンヌ・ダルクが神の声に動かされたあの頃でさえ、キリスト教は決して乗り越えることの出来ない矛盾を抱え続けてきた。だからこそ強いし、面白い。

『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』 田中英道
(2013/06/01)
田中 英道

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これまで数多く書かれてきた世界史は、西洋人の見方で書かれた歴史だった。

〈日本の宗教・文化の特殊性〉
四大文明が成立する頃、日本はすでに狩猟採集と濃厚を融合した生活が営まれるようになっていく。そうしたなかで形成されていったのが、“自然との調和”という思想である。自然を神々とする宗教として“神道”は生まれた。そこに祖先信仰が重層化した。民族の統治者を敬う皇祖神信仰は、そこから派生的に誕生したというべきだろう。神話は、歴史、さらに現代にまでつながり、それが神話の時代と同じ場所で、同じ血を引く者によって語り継がれるという特異なケースが、先進国の中では日本にだけ残った。

言葉を必要としたユダヤ教やイスラム教と違い、そこに済むものの宗教として成立した神道は、言葉による説明を必要としなかった。 感じればいい宗教であるからこそ言葉を持たず、普遍化もされず、いまだに経典すら無い。“日本人の世界史”を世に訴えていこうとするなら、神道の考え方を、感じ方を言葉で表し、世界に伝えていくのは、現代日本人の責務ということになる。

〈仏像にみる人間理解〉
秋篠寺 
仏像という名で造られた独立像は、人間像である。深い内面を表す人間像でなければ、仏像は人に感銘を与えない。仏教の深奥を理解し難くても、“自然と調和”した奥深い人間像を表せられれば、人に感銘を与える仏像となる。聖徳太子の十七条憲法は、それまでの神道的共同宗教的倫理観に、仏教の個人宗教的倫理観を融合させたことでも意味深い。ユダヤ教やイスラム教は、そういった人間への視点という芸術を持たない。偶像崇拝禁止と同時に、基本的に個人宗教的見地が欠けているので個人の煩悩、迷いから人間を考えるという思想が抜けている。

キリスト教の場合、偶像を必要とした一時期の存在と、何より共同宗教に個人宗教が重層化することによって日本仏教と同じように、それぞれの文化に人間理解の深さをもたらしている。

〈自然科学の発達と一神教〉
イスラム文明は、十字軍の頃に、その文明の頂点を迎えた。アッバース朝時代のバグダードに造られた「知恵の館」では、アリストテレスやヘレニズムの科学書がアラビア語に翻訳され、インドの天文や数学を受け継いで発展させた。

ヨーロッパの近代文明は、このようなイスラム文明を発展させたものである。イスラムの文明をキリスト教の文明がすんなり引き継いだところに、一神教的共通性がある。一神教では、神が自然を含む世界全体の創造者であることから、自然の中に神の摂理を探す志向が生まれる。自然の作り出す様々な状況を分析し、そこに神の摂理を見出そうとする。

日本のような多神教世界では、最初に自然があり、そこから神々や人間が生まれでた。自然はともにあるものであって、探求の対象ではない。


    

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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