『本当は恐ろしいグリム童話 禁断のエロス編』 桐生操
グリム童話に限らず、童話や昔話に登場する残虐性には驚かされる。『白雪姫』の中で継母である王女は焼けた鉄の靴を履かせられて死ぬまで踊り続けさせられる。『ネズの木』では母親が継子である少年の首を落とし、死体を細かく刻んでシチューに入れ、なにも知らない夫に食べさせる。
日本の昔話でも、『かちかち山』のタヌキはお婆さんを殺してその肉を煮込み、婆あ汁を爺さんに食べさせている。日本の昔話は明治以降、子供向けの差し障りのない話に書きかえれレているが、もともとのお話は本当に面白い。逆に差し障りない話に書きかえられることによって、昔話は、もともと持っていたエネルギーを失ってしまう。
当たり障りなくなってしまった物語は、本来、その隠されていた部分にこそ、物語としてのエネルギーが存在していたようだ。まるで、ドクン、ドクンと脈打つ心臓のように・・・。
‘死’、‘肉’、‘血’に向き合うことは物語の生命であるし、たとえ子供であろうとも、それらに向き合うことによって‘生’に向き合うことにも通じたのではないだろうか。
なまじ、それを避けては、女は‘女’になれない。「その道を通れ」と、童話は教えてくれていると思うのだが…。






一喜一憂。ぜひポンとひと押しお願いします。
日本の昔話でも、『かちかち山』のタヌキはお婆さんを殺してその肉を煮込み、婆あ汁を爺さんに食べさせている。日本の昔話は明治以降、子供向けの差し障りのない話に書きかえれレているが、もともとのお話は本当に面白い。逆に差し障りない話に書きかえられることによって、昔話は、もともと持っていたエネルギーを失ってしまう。
当たり障りなくなってしまった物語は、本来、その隠されていた部分にこそ、物語としてのエネルギーが存在していたようだ。まるで、ドクン、ドクンと脈打つ心臓のように・・・。
‘死’、‘肉’、‘血’に向き合うことは物語の生命であるし、たとえ子供であろうとも、それらに向き合うことによって‘生’に向き合うことにも通じたのではないだろうか。
![]() | 『本当は恐ろしいグリム童話 禁断のエロス編』 桐生操 (2013/07/20) 桐生 操 商品詳細を見る 残酷な表現には表現には寛大なグリム兄弟。しかし、性的表現は片っ端から排除していた |
千匹皮 父と娘の狂おしい情愛 ナイチンゲールと薔薇の花 報われない恋に散った少女 がちょう番の娘 二人の花嫁と残酷すぎる復讐 夏の庭と冬の庭 美女が野獣に捧げた真実の愛 雪の女王 氷の誘惑と無垢な魂 つぐみ髭の王子 娼婦に落ちた美貌の姫 |
性に関していえば、グリムは神経質で、近親相姦、同性愛、売春、獣婚、異形の者との愛欲を思わせる記述は徹底して削除しているという。ギリシャ神話なんか見ると、大変おおらかなのに・・・。
だいたい、大地母神ガイアは息子のウラヌスとの近親相姦で幾多の神々を生み出している。ギリシャ悲劇の代表作『オイディプス』は父を殺して、母を犯した。ギリシャ神話にかかっては近親相姦、同性愛、売春、獣婚なんでもありだ。でも、それがギリシャ文化に奥深さを与えていた。
その流れはヨーロッパにそのまま流れ込んではいるのだろうが、やはりキリスト教のせいだろうか、本来持っていたエネルギーの多くを失っている。日本の昔話でも、いまやエロスばかりか残虐性までが封印されてしまったが、大人にしてみれば、エロスを封印された童話や昔話なんか、袋とじのエロ本みたいで、よけいに悩ましいとさえ思える場合がある。
若い娘にとって、未知なる性というものは、恐ろしく、暴力的なものに感じられる。野獣の獣性こそがそれにあたる。しかし、結婚して幸せになるためには、その思いを乗り越えなければならない。はじめこそ、夫との性は暴力的なものに思えるかもしれないが、実際は、それが女に素晴らしい喜びを与えてくれ、女としての幸せに導いてくれるものであることに気づかなければならない。 野獣との出会いは‘女’への扉なのだ。 | ![]() |
なまじ、それを避けては、女は‘女’になれない。「その道を通れ」と、童話は教えてくれていると思うのだが…。


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