歴史の見方‐桂小五郎 『逆説の日本史テーマ編 英雄の興亡と歴史の道』
私が歴史を書くにあたって常々心がけていることは「当時の人々の気持ちになって考える」ということだ。よく「そんなことあたり前じゃないか」という顔をする人が多いのだが、実はこの単純なことが驚くほどできていない。 |
実例としてあげられているのは、坂本龍馬が“薩長同盟”を達成するために、どれだけの人と合い、意見と感情の調整にあたったかということである。少し前まで京都を闊歩した長州藩士は、薩会同盟によって奈落におとされ、朝敵とされた。その薩摩と長州を結びつけようというのだから、調整役の龍馬の献身ははかり知れない。
龍馬の時代には、携帯もファックスも無線も、もちろんインターネットもない。
ならば、龍馬は“歩いて”彼らの間を回り、調整にあたったことになる。とするならば、龍馬は人並み外れた“健脚”であったという結論が導き出される。
著者の推理はこのように進み、そこに“納得できる歴史”が構成されていく。ただ、もう一つ付け加えていいと思う。自分の足で行かなければならないなら、もう次はないかもしれない。そういった思いが、我々には想像もつかない“気迫”を生んでいたということも言えると思う。
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桂小五郎は、本書のなかでは第四章【「外交」の道‐強大な敵や異国との交渉術を解読】のなかで、“出石潜伏期間の「役者」ぶり”という項目で扱われている。 ここで紹介されている桂小五郎に関わる事実は以下のとおりである。
*剣の達人である。 江戸三大道場の練兵館で塾頭を務め、伝説であるかもしれないが、新撰組の近藤勇も「手も足も出なかった」と言ったという話がある。 *潜伏能力がきわめて高く、戦争の時以外は人を殺していない。 新撰組や京都所司代の役人に命をねらわれながら、しかも地元長州でも政権争いで身を隠すことができない状況にありながら人を殺していない。 幕府役人の監視能力はきわめて高く、坂本龍馬は何度も役人にかぎつけられている。寺田屋では高杉晋作からもらったピストルで一人を射殺している。 *維新政府の中では最もリベラル派であった。 「五箇条の御誓文」で身分制の打破をめざし、廃藩置県にも尽力した。 征韓論、台湾出兵といった武力による国力拡大策には常に反対した。 |
変装の達人というだけでは足りない。商人に変装したなら、商人言葉を話せなければあっという間に噂が立つ。長州訛りなどもってのほかで、京言葉を流暢に話せたはずだ。立ち居振る舞いの点では商人が出来上がっても、庶民の暮らしを知り、庶民の思考に通じている必要もある。そういった部分が、維新政府におけるリベラルな姿勢につながったと考えられる。なにより、周りから、“助けてやりたい” と思われる人柄を持っていた。それなくして、このような人物は完成しない。 |
こういうふうに歴史を考えていけたら、面白いよね。おそらく、ある程度までは訓練で出来ると思う。ちょっとやってみよう。
井沢元彦の本


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