あの戦争が六ヶ月前に終わっていれば…『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄
覚え書き
先の大戦では、軍人・軍属のほか民間人も含めて、三一〇万人を超える人々が亡くなった。その内の三分の一に当たる約一〇〇万人が、昭和二十年二月から八月十五日までの半年間と終戦直後の混乱のなかで命を落とした。しかもそのうちの約七割が非戦闘員の老若男女だった。 ![]() | 『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄 (2013/08/02) 堀内光雄 商品詳細を見る さまよう霊があるかぎり、戦争は終わっていない |
第一に、戦争の早期終結を決断できなかった日本の戦争指導者の優柔不断、意志薄弱、無為無策がある。彼らが六ヶ月前に決断を下していれば、硫黄等で戦死した約ニ万人、沖縄で亡くなった民間人を含む約一九万人。焼夷弾による無差別爆撃や原子爆弾によって命を落とした約六〇万人の一般国民、ソ連が参戦した満洲や蒙古で虐殺され、自決した十数万人、シベリア抑留によって亡くなった約六万人の命は助かったはずである。
第二に、残虐非道なる原子爆弾の投下。現在、広島の原爆死没者名簿には約二八万人、長崎の原爆死没者名簿には約一六万人が記載されている。
第三に、米軍の焼夷弾による無差別都市爆撃の焦土作戦。全国二〇〇都市への焼夷弾爆撃によって一般市民が殺戮され、わずか半年の間に二五万人以上の死者・行方不明者を出した。
第四に、日ソ中立条約を破棄したソ連の違法な参戦。満洲・蒙古在住の邦人を多数殺戮したのみならず、約六〇万人を不法に勾留し、シベリアで強制労働をさせた。その極寒の環境で、約六万人が命を落とした。
昭和二十七年、沖縄で開かれた世界連邦アジア会議に招かれたパール博士の発言
《広島、長崎に投下された原爆の口実はなんであったか》
《日本は投下されるなんの理由があったか》
《当時、すでに日本は、ソ連を通じて降伏の意思表示をしていたではないか》
《それにもかかわらずこの残虐な爆弾を“実験”として広島に投下した》
《同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである》
《そこに人種的偏見はなかったか》
《しかもこの惨劇については、未だ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない》
《こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるのか》
『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』という碑文の意味を知らされたパール博士
この〈過ちは繰り返しませぬ〉という“過ち”は誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に誤っていることは明らかだ。それがどんな“過ち”なのか、私は疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者が日本人でないことは明瞭である。落とした者が責任の所在を明らかにして〈二度と再びこの過ちは犯さぬ〉というならうなずける。この“過ち”がもし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために撒いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行なって挑発した上、ハル・ノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。
原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現の中には、民族の再起もなければ、また犠牲者の霊もなぐさめられない。


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