米軍の焦土作戦 『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄
私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊したのだ。日本の都市の民家はすべて軍需工場だった。ある家がボルトをつくり、隣の家がナットをつくり、向かいの家がワッシャをつくっていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、すべて我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか・・・ カーチス・ルメイ『回想録』 |
![]() | 『「靖国」と「千鳥ヶ淵」を考える』 堀内光雄 (2013/08/02) 堀内光雄 商品詳細を見る さまよう霊があるかぎり、戦争は終わっていない |
1944年11月に始まる東京空襲は、当初、ヘイウッド・ハンセル准将に率いられて行われた。この時期の空襲は軍需施設中心に行われたものであったが、ジェット・ストリームの強い冬季の高高度爆撃は非常に命中精度が悪く、十分な戦果をあげることはできなかった。そこへ抜擢されたのが、ドイツ本土への爆撃で大きな戦果をあげたカーチス・ルメイであった。ルメイの作戦は、夜間低高度で焼夷弾無差別爆撃で、文字どおり木と紙でできた日本の都市を焼きつくすことを目的としたものであった。標的となった日本の都市は、軍需工場、民間住宅地の区別なく徹底的に焼き払われ壊滅的な打撃を受けた。冒頭に紹介したルメイの考えは、“そういうことにしておく”という、あとづけの、見たわけでもないのに手前勝手な前提にすぎない。
3月10日の東京大空襲を境に、空襲は市街地への無差別絨毯爆撃に変わった。名古屋、大阪、神戸などの大都市、また地方の中小都市も含め、被災都市の数は8月15日までに全都道府県200歳以上に及び、焼夷弾による被害者と原爆による被害者を合計すると、犠牲者は50万人を超えた。それもほぼすべてが民間人、つまり非戦闘員であった。被災人口は1000万人を超え、全戸数の約2割に当たる223万戸が罹災、消失している。
本所横川国民学校の教員石川有一さんは碑文に以下の言葉を書き残している。
アメリカB-29夜間東京を空襲す。暗黒の東都たちまち火の海と化す。江東一帯は焦熱地獄となり、ここ本所横川国民学校に避難する人一千有余、猛火の包囲に老若男女声なく、再度脱出の気力もなし。舎内火のため昼の如し。鉄窓も一挙に破壊され、一瞬の破裂音とともに舎内たちまち火と化す。一千の難民逃げるに所なく、金庫の中の如し。親は愛児をかばい、子は親に縋る。「おとうちゃーん」子は親にすがって親を呼べども親の応えは呻きのみ。全員一千折り重なり、教室校庭に焼き殺される。夜明け、火焼き尽き、静寂虚脱。余燼瓦礫のみ、一千難民ことごとく焼殺さる。一塊の炭素は猿の黒焼きの如し。白骨死体は火葬場の如し、生焼け女人の裸腹裂け、胎児露出す。悲惨ここに極まれり。生残者は虚脱し、声涙湧かず、嗚呼何の故あってか無辜を殺戮するのか。翌十一日トラック来たり、一千死体トラックへ投げ上げる。血族の者の叫び声、今も耳にあり。右、昭和二十年三月十日未明、米機東京大空襲。当夜下町一帯無差別爆撃の死者実に十万。我前夜横川国民学校宿直にて奇跡的に生き残る。倉庫内にて聞きし親子断末魔の声、終生忘るなし |
日本は、戦後世界の基調となった冷戦体制下において、アメリカの陣営に属して復興と経済成長を遂げ、今に至る。世界を見渡しても、生きることにおいて不自由を強調するような位置にはいない。それでも抱えている問題は、決して小さなものではない。世界における日本の位置も、抱えている問題も、大雑把な言いようだけど、すべてはあの敗戦に発している。‘今だけ’を土台に今後の「世界における日本」を構築すべきだという意見もあるけど、すべてを引きちぎるような、そんなまねはできないよ。目には見えないけど、英霊をはじめ全戦没者の無念と、彼らが後世に残した希望の上に今の世があると思うから・・・。青臭いけどさ。


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