『神変 役小角絵巻』 山本兼一
2011年8月31日の記事に加筆修正
「役小角」という題名だけで手にしてしまった。修験道には縄文の匂いがする。古くから、おそらく我々にも内在するマルチな自然崇拝。しかも仏教と習合し、その奥行きを深めた。
天武により確立された皇祖神崇拝。おそらくそれは大幅にゆがめられて藤原神道として強制され、それまでの自然崇拝としての神道の姿は、その影を薄められた。同時に修験道が登場する。それまでの自然崇拝としての神道は、おそらく山にこもり、仏教とも習合して修験道を成立させたのだろう。奥深い山で大成されていった修験道は、やがて藤原神道の限界とともに山を下り、日本人の精神世界を融和的な、極めて豊かなものにしていく。
そして、明治に入っての神仏分離、廃仏毀釈の時代を迎える。ここで捨てられたのは仏だけではない。
縄文から引き継がれた神も捨てられたのだ。修験道そのものも、また捨てられたのだ。
そしれ残されたものは・・・。藤原神道である。国家神道への可能性を秘めている藤原神道が、明治政府によって選択されたのだ。
この物語は、そんな話とは、全く関係ありません。持統天皇期の律令国家体制建設と、国家による人民管理に反発する山の勢力のリーダーとしての役小角の戦いが、役小角の人間的成長、小角の持つ力の中に実体として表出する鬼や蔵王権現とともに描かれるお話です。
それ以上でもそれ以下でもありません。著者の飛鳥時代理解の中には、日本の歴史の本質に迫ろうというような野心は感じられません。まるで、白戸三平の『カムイ伝』と『カムイ外伝』の関係のよう。
1/3ほど読んだところで、その傾向の期待は放棄しましたが、時に垣間見える失われた歴史への慟哭に、「せっかく、背景としておもしろい時代だと思うんだけど、残念」という思いが高まりました。
東日本大震災は、そんな状況で起こった。とたんに共感する力が湧きあがった。それは、死んではいなかった。日本人の縄文はつながっていた。その同一線上に役小角がおり、私たちがいる。伝わってきたものを自分の所で途絶えさせるのは悲しいことだ。徳川慶喜も悲しいし、ビザンツ帝国をとだえさせたコンスタンティヌス11世も悲しい。私たちはもっと悲しい、ということになってはいけない。







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「役小角」という題名だけで手にしてしまった。修験道には縄文の匂いがする。古くから、おそらく我々にも内在するマルチな自然崇拝。しかも仏教と習合し、その奥行きを深めた。
天武により確立された皇祖神崇拝。おそらくそれは大幅にゆがめられて藤原神道として強制され、それまでの自然崇拝としての神道の姿は、その影を薄められた。同時に修験道が登場する。それまでの自然崇拝としての神道は、おそらく山にこもり、仏教とも習合して修験道を成立させたのだろう。奥深い山で大成されていった修験道は、やがて藤原神道の限界とともに山を下り、日本人の精神世界を融和的な、極めて豊かなものにしていく。
そして、明治に入っての神仏分離、廃仏毀釈の時代を迎える。ここで捨てられたのは仏だけではない。
縄文から引き継がれた神も捨てられたのだ。修験道そのものも、また捨てられたのだ。
そしれ残されたものは・・・。藤原神道である。国家神道への可能性を秘めている藤原神道が、明治政府によって選択されたのだ。
この物語は、そんな話とは、全く関係ありません。持統天皇期の律令国家体制建設と、国家による人民管理に反発する山の勢力のリーダーとしての役小角の戦いが、役小角の人間的成長、小角の持つ力の中に実体として表出する鬼や蔵王権現とともに描かれるお話です。
それ以上でもそれ以下でもありません。著者の飛鳥時代理解の中には、日本の歴史の本質に迫ろうというような野心は感じられません。まるで、白戸三平の『カムイ伝』と『カムイ外伝』の関係のよう。
1/3ほど読んだところで、その傾向の期待は放棄しましたが、時に垣間見える失われた歴史への慟哭に、「せっかく、背景としておもしろい時代だと思うんだけど、残念」という思いが高まりました。
一万年を優に超える日本の縄文期。その間に形成された日本人の自然に対する感覚は、その後の数千年の社会変化の中においても、容易に失われるものではなかった。動物にも虫にも、植物にも風にも、土や石に対してさえ共感する能力は、日本人に数々の成功をもたらすとともに、時に大きな失敗をももたらした。 良きにつけ、悪しきにつけ、それが日本人らしさであり、この列島で生きていこうとする者の知恵の塊だった。 しかし、戦後、暮らしやすい日常と引きかえに、それらの多くは失われた。欧米文化に翻弄されて、自然を足元にかしづかせ、電気のスイッチを押し、アクセルを吹かし、携帯の画面を眺めた。手に入れたいものがあれば、山を崩し、海をも埋めた。 共感する力など、もはや残されているのだろうか。日本人自身が日本人を疑った。 |


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