めんどくせぇことばかり 家康の深謀遠慮(覚書) 『井沢元彦の激闘の日本史 幕末動乱と危機管理』
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家康の深謀遠慮(覚書) 『井沢元彦の激闘の日本史 幕末動乱と危機管理』

危機管理にとって最も大切なことはなにか。それは想像力だ、と私は思う。別の言葉で言えば「不吉な想定をどれだけできるか」ということだ。
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(2013/08/24)
井沢 元彦

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なぜ「徳川三百年の泰平」は到来したのか
仮想敵国は薩摩と長州
薩摩藩島津家七十七万国と長州藩毛利家三十七万国。共通点は関ヶ原の負け組でもともと徳川に敵対する意思があり、大国としての力を残したまま江戸時代にまで存続した国。

徳川家が滅ぼされるとすれば、家康の時代、海路大挙して江戸へ向かう技術はなく、薩摩藩は陸路を江戸に向かい、関門海峡をわたって長州藩と合流することになる。

第一の関門は戦国一の築上名人加藤清正が作り、細川氏が守る熊本城である。事実、維新後になるが、西南戦争において近代的大砲とライフル銃を備えた薩摩隼人の死に物狂いの突撃に耐え切った。第二の関門は小笠原氏の小倉城。背後の関門海峡を越えなければ長州藩との合流は果たされない。仮にそれを果たしても、広島城、岡山城、世界遺産姫路城が第三、第四、第五の関門となる。

次に待ち受けるのは大坂城。大坂の役による落城後、より堅固な構造で建てなおされた幕府直轄城で、紀伊藩の和歌山城が後方から支援する防衛ラインがしかれる。ここを突破してようやく東海道に入る。待ち受けるのは清正が石垣を作った名古屋城。仮にそこを突破しても橋の架けられていない大井川は堀そのもので、その先には駿府城。続いて規模は多少小さいが、岡崎城、浜松城、掛川城と続く。

それらを突破しても関東の防衛戦である箱根の連山が待ち受ける。何とか越えたところにある小田原城。秀吉がこの城を落としたのは、戦国期っての大掛かりな“小田原攻め”の果ての話。これを越えないと江戸にはたどり着けない。

たどり着いた先の江戸はにほんさいだいの規模を持つ居城で、北東の方角にある水戸藩水戸城が後方支援の体制にあり孤立しない。攻めあぐんでいるうちに東北諸藩、とくに保科正之を初代とする親藩中最精強軍団を持つ会津藩が駆けつける。

どう転んでも、薩長連合に勝ちの目はないということだ。

江戸城落城、家康はこれも考えた
江戸城
大きくしてジックリ見てね
半蔵門の半蔵は、門の周りに住居を持ってここを警備した伊賀同心、つまり忍者軍団の長であった服部半蔵の名に基づく。江戸城の正門である大手門から正反対にあり、つまり搦手門、裏口である。

この門を出ると道は甲州街道につながり、まっすぐ幕府直轄の甲斐国甲府城に向かう。

江戸城が落ちた時、半蔵を中心とする伊賀同心が将軍を守って甲府城に落ち延びる。その準備がされていたということである。


最終最大最悪の仮想敵は・・・?
薩長の連合によっても江戸城がおとされることはないことは間違いない。それでも家康は、さらに最悪の事態を想定した。より多くの諸藩が、薩長に味方することである。関門であるべき要塞が要塞としての役を果たさず、薩長軍に合流してしまうという自体である。限定された条件のなかで、それはありうる。事実、鎌倉幕府はそれで滅びた。後醍醐天皇が幕府を倒せと命令したのだ。最終最大最悪の仮想敵は天皇家である。

天皇家は武力で太刀打ちできる存在ではない。しかし、それ自体は武力を持たない。最悪の事態は天皇家と薩長が結びついた時にのみ起こりうる。幕府は朝廷と大大名が結びつかないよう、両者の婚姻を武家諸法度、公家諸法度で厳しく規制した。参勤交代においても、大名行列は京都に宿泊することはおろか、通ることも許されなかった。

それでも家康は、朝廷と薩長が結びつき、他の諸藩がそれになびき、徳川家が朝敵となって滅ぼされる自体を想定していた。そのような事態になっても徳川家が生き残る方である。

それは、徳川家が朝敵として薩長連合と戦う時、天皇家に味方する一族を用意しておく。たとえ将軍家が滅んでも、その一族が徳川家の血筋を残す。その一族とは、水戸徳川家である。

水戸家は御三家の一つだが、家格の上では中納言で尾張や紀州の大納言に及ばない。しかも、将軍家が絶えたとしても、水戸藩からは将軍は出せない。しかし、正式な職掌ではないが“副将軍”と呼びならわされてきて、唯一参勤交代をする必要もなく、水戸藩当主だけは江戸に常駐することが義務付けられていた。明らかに将軍家に万が一がおこった時の用心である。

また、初代徳川頼房の時から勤王の家柄とされ、二代藩主水戸光圀は『大日本史』の編纂を始め、「将軍家は親族頭、本当の主君は天皇」と言い放っている。将軍家でさえ行わない朝廷との婚姻政策も行い、朝廷との関係は深い。背景には家康の意図を考えざるを得ない。そういった事態まで、想定したということだ。

最も有効な反乱防止策
それは教育である。教育制度を改革し、そもそも徳川家への反乱自体が絶対的な悪であるという観念を植えつけてしまう。そうすれば、反乱など起こりようがない。

それまでの日本には、主君への忠義を絶対とする考え方はなかった。裏切りは悪ではなく、家を存続させるためには時には正義でさえあった。

わずかに、歴史上、楠木正成が後醍醐天皇に絶対的な忠誠をつらぬいて討ち死にしている。それはそのころから日本にもたらされた支那の学問「朱子学」に基づくものであった。家康は儒学者林羅山に命じて、幕臣が朱子学を身につけるよう学問所を創設させた。武士の子弟が『論語』の素読を習うようになった。幕府がそれを奨励したため、地方の藩でも藩校が設けられ、朱子学を学ぶ体制が整えられた。

朱子学は、主君への忠誠を絶対とする学問であり、哲学である。これがすべての武士の教養となれば、すべての武士の主君である将軍家に弓を引くなどという大名も武士も一人もいなくなるだろうというのが、家康の算段である。

たしかに大きな効果をあげた。しかし、朱子学は劇薬であり、大きな副作用を引き起こすことになる。その一つが、天皇家こそが将軍家を上回る主であるということである。




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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本






















































































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