日本人検閲者(覚書) 『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』 山本武利
CCD(民間検閲局)には、最盛期で8132名の日本人がいたという。彼らは恵まれた待遇を受けながら守秘義務を墨守し、その実態はほとんど語られたことがないという。しかし、そのような語りたくない体験を50年の沈黙を破って語る日本人も現れてきた。
時期と人数
恵まれた待遇
主力は若いエリート予備軍
語りたくない仕事
日本人を使った検閲







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![]() | GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書) (2013/07/19) 山本 武利 商品詳細を見る 独立後60年を越えた日本は、GHQの行なった検閲・諜報・宣伝工作から解き放たれるべき時だ。 |
時期と人数
検閲者の募集は、「タイプライター係募集」とうたって行われた。CCD最盛期の1947年で8132名、翌48年には5000名に減少するが、1949年には5500人となっている。受付業務、仕分け業務、検閲業務の9割強は日本人雇用者であったという。 |
恵まれた待遇
給与 最高職務 4500~5500円、中級職務 4000~4500円、初級職務 3500~4000円 磯山陽子さん(日本女子大学) 1947年1月に事務員として500円で雇われる。9月には1570円の初級職員となり、48年1月には2080円の中級検閲者に昇格。上級検閲者になった48年6月で3040円、48年9月には5000円に昇給した。 |
主力は若いエリート予備軍
数少ない証言者によれば、CCD勤務の日本人の主力は、大学生や大学卒業まもない比較的若いエリート予備軍だった。だが、検閲者のなかで上級職を占める年配の人物は、エリートとしての戦前の職業を隠して黙々と働いていた。彼らの前歴は、大学教授、学校教師、貿易会社社員、文筆人と多彩であったという。 |
語りたくない仕事
仕事を始める日、磯山陽子さんは係の日本人からこう言われたという。 『この仕事のことは絶対に他言してはならない。何故ならこれは日本人同士の裏切り行為と思われて、あなたが辛い思いをしなければならなくなることを恐れるからだ。実際は裏切りどころか日本人のありのままの姿を知ることにより、マッカーサーがよりよい占領政策をとることができ、疲れきった日本人の生活を向上させるのに大切な仕事なのだ』 磯山陽子さんは、この仕事に付いている間、毎日300通の郵便物に目を通していたという。 江藤淳の『閉ざされた言語空間』に触発され、郵便検閲の体験を証言した甲斐弦の『GHQ検閲官』は極少ない勇気ある1冊である。そのなかで甲斐は「俺は米国の犬だ」、「同胞の秘密を盗み見る。結果的にはアメリカの制覇を助ける。実に不快な仕事である」と記している。 |
日本人を使った検閲
対日インテリジェンス活動に動員できる人数は決定的に不足していた。そこでアメリカは、アメリカに忠誠を尽くす日系人を各地の収容所から選抜し、再教育したのち、軍曹レベルで各戦域に派遣した。こうした日本語の使い手の活躍で、対日戦争は2年も短縮したとウィロビーは評価している。 さらに日本軍兵士は、捕虜として捕まった当初から、日本軍に不利な情報を敵国アメリカに積極的に提供していたことも注目されていた。これに味をしめたGHQは、占領当初から日本人を雇用して空前の規模の検閲工作を行うことを考えた。 |


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